羊雲

羊 雲

✥ 復路の羊のふんわりノート ✥

五十肩とコロナワクチン接種 その3

f:id:white-ivy:20200225142710p:plain 十肩になって、早9カ月が経ちました。

その後、どこまで回復したのかというと…

前方向には、かなり腕が上がるようになったので、電車のつり革に余裕を持ってつかまることができるようになりました!

スカートの後ろのホックも、なんとかとめられるようになりました!

しかし、横方向には垂直より上に上がりません。無理に上げようとしても二の腕に筋肉痛のような痛みが出てそれ以上動かせません。…これ、出来ないとだめなの?とも思うのですが、上着に袖を通すとき抜くときの動きがぎこちなく、とてもやりにくいので、この動作に関係している筋肉がまだ戻ってないからなのかな~?と思います。

今、日常生活で一番困るのは、職場にあるクリクラのボトルをセットできないことです。

クリクラのボトルは12リットルも水が入っているのでとても重いのです。それでも健常な時はセットすることが出来たのですが、今は持つことは出来ても、それを上に上げてセットすることができません。なので、自分が使っている途中で無くなったら、男性社員に頼まなくてはならず…それが若干煩わしいのです。

他には、全方向において少し先にあるものに左手が届かないのが少し不便なくらいです。

リハビリには、9月10月と2か月ほど通いました。その頃は、髪を洗ったり乾かしたり結んだりの動作が大変で、物に手が届かない、腕が広がらないので横幅のあるものが持てないなど、日常生活に支障を感じリハビリに通いました。その結果、それらのほぼ出来ない…が、かなり出来る!に変わり、効果を得ることができました。週2~3回の通院で、理学療法士の先生に自分ではできないところの筋肉をほぐしてもらい、家では隙間時間に指導されたストレッチを地道にやっていました。健常時に比べるとまだまだですが、ほぼ動かせない…が、ここまで動かせるようになった!という一つ一つに感激し、一つの動作にいかにいくつもの筋肉が連動しているのかが分かりました。今まで何も考えずにやっていた動作が急にできなくなり、そのもろさに恐怖を感じたのですが、今まで健常であったことに感謝の気持ちが湧き、人体の筋肉の複雑さに驚きました!

私の場合は、二の腕と肩甲骨の周りの筋肉がまだ回復していないからそれらの動作ができないようなのですが、肩甲骨周りという、触っても骨しかないようなこんな薄いところにもちゃんと大事な筋肉がついているんだなあ…と。

ちょっとギョッとしますが、肩甲骨の筋肉はこれです⇩

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リハビリを終了するとき、その後、家で続けると良いと教えられたストレッチは日々の忙しさにほとんど続けることなく日が経ってしまいましたが、この頃よりも回復しているのは、日常動作がリハビリになっているんだろうと思います。

それまで、言葉だけは知っていた五十肩

四十肩・五十肩、というその安易な呼び方から、その年代で発症する肩が上がらなくなるような症状?程度に思っていました。

しかし、実際に五十肩になってみると、私の場合は、痛いのは肩ではなく腕だったのです。そう訴える人も結構いるようです。最初の2か月間は、二の腕やひじより下の筋肉が痛くなり、腕全体や手指にシビレも感じましたが、肩は痛くないのです。それに…肩が上がらない、と言いますが、腕を下げた状態で肩の上げ下げはできます。正確には腕が真上まで上がらないですから、もう、五十と呼び名を変えたほうがしっくりきます!

毎年、秋が深まり寒くなり始める頃に肩こりが酷くなることはあっても、慢性的な肩こり持ちではなかったので、五十肩など自分には無縁であろうと思っていました。

それがまさか、夜間痛という夜眠れないほどの激痛を伴う病気になるなんて…全く思いもよりませんでした。

それまで意識することはありませんでしたが、仰向けになるとひじが肩の位置より下がるのです。これにより五十肩の神経を刺激するようで、飛び起きてしまうほどの激痛が出るのです!下図のようにひじが下がらないよう下にクッションを敷き、お腹の上にもクッションを抱いて腕の骨が身体と平行になるようにすると痛みが和らぐのです。

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横向きになるときは、クッションをひじの下に挟み、お腹の前に抱えます。

夜間痛は9月頃の3週間程度でしたが、この対処法を見つけるまではほとんど眠れず、尋常じゃないビリビリする痛みに怖くなって涙が出ました。酷い時はこれをしても痛みがあり眠れなかったのですが、そのうち睡魔に襲われ寝入ると体制が崩れて激痛で目が覚めるという、本当に辛い体験でした。

なぜそんなことになったのか?よーく思い返してみました。

思い返せば五十肩を発症した去年の6月は、私にとって数年ぶりの最悪月でした。

よく調べると、それもそのはず、去年は12年に1度の最凶年=0地点で、運気として6月はそのどん底だったのです。

掛け持ちしていた5年務めた派遣先の仕事を辞めることにしたのもこの時でした。

3年前に変わった上司によるパワハラに耐えられなくなったのです。

交代勤務の同僚も同じような辛い思いをしていたので、ずっと励まし合い頑張ってきただけに、彼女を1人残して辞めてしまうのは大変心苦しかったのですが。私の心がこれ以上頑張ることができなくなりました。しかし、しばらくして新しい方が決まり、その方は以前一緒に仕事をしたことがある明るく元気な方なので、今は少し安心しています。

五十肩になったのは、まさかその時の強いストレスが原因?とも考えましたが…腑に落ちず、その時丁度異動になったもう一つの派遣先の仕事場が原因だ!と気が付きました!!

住宅販売現地で営業補佐の仕事をしているので、マンションギャラリーなどが勤務地になりますが、物件が完売すると勤務地も変わります。その時に丁度販売開始となった勤務地で冷房が左半身に直撃する席になったからだ!と。

初日から左半身がすごく冷えて、最初は特にふくらはぎが冷えて翌朝歩くのが大変になるほど足がつったので、足のつりに効く漢方薬を買ってしばらく飲んでいました。あわててひざ掛けを持参し下半身はカバーしたのですが…そちらにばかり気を取られ上着を持っていくのを忘れているうちに、左肩とひじがキンキンに冷えていきました。それで血流が悪くなり筋肉が固くなっていたのでしょう。帰りの電車の中で左肩にかけたバッグから左手で物を取ろうと腕を後ろに引いたら…左腕にビビッとこれまでにない激痛が走り炎症を起こしたのだ!と思い当たりました!!

肩回りから腕に続く筋肉は連携していますから、一か所が損傷すると他の筋肉に負荷がかかるのでしょう、ビビっとする激痛は徐々に場所を変えて数回起こりました。激痛は数十秒で治まりその後痛みはないのですが、一ヶ月くらいで全方向の可動域がぐっと狭くなっていました。

友人は、飛行機に乗っていて降りる時に上から荷物を取ろうとしてビビッとなったのがキッカケだと言っていました。

職場の先輩は、ほぼ治った頃に反対の肩がなってしまい長いこと苦しんだと言っていました。

夜間痛が始まる前にリハビリを始めていれば良かったのか?

「一年経ったら治る」と言われる五十肩ですが…、あと3ヵ月で本当に元通りになるのかしら?

その続きは、また後日。。。

 

の前に、来月、早くも回目のコロナワクチン接種を受けることにしました。今回も職域接種なので、モデルナです。本当は2回目接種の時にこれまでにない高熱が出て副反応があまりにも強すぎたので、3回目の副反応が怖いのですが…。テレワークできない職種なので、少しでも諸々のリスクを回避するために受けることにしました。

今回も高熱が出る可能性が高いでしょうから、今度こそ!寝る前にちゃんと解熱剤を飲むぞ!!

 

五十肩とコロナワクチン接種 その2

f:id:white-ivy:20200225142710p:plain に異変を感じてから2か月が過ぎても、病名は分からないまま、腕のあちこちに痛みが出る為、湿布が足りなくなり、痛み止め薬も処方されることになりました。聞くところによると、厳密には湿布は1症状に1枚しか保険が効かないのでやたらと複数枚処方することはできないのだとか。

処方された痛み止め薬はロキソニンです。これを1回1錠、朝昼晩と1日3回飲み、胃が荒れないように胃薬も1回1錠、毎回一緒に飲みます。湿布を貼り忘れて寝ると痛くなって目が覚めるので、それも忘れずに貼ります。貼らないよりは、そして飲まないよりは効いているのでしょうが、全く痛みがないわけではなく、日によって違い、痛みやシビレにはむらがありました。

そして、9月上旬、コロナワクチン回目を接種。

1回目の接種後も熱が出たので、噂に聞いていた2回目接種後の強い副反応に備える為にも、夕食後忘れずに、ロキソニン1錠と胃薬1錠を飲みました。ロキソニンは腕の痛み止め薬として処方されていますが、解熱鎮痛剤なので熱を下げる効果もある為、整形外科のドクターからも、コロナワクチン接種後の副反応対策にもなるでしょうと言われました。

なのに!1回目の接種の時より早い12時間後の真夜中に、今まで経験したことのない高熱が出たのです!!

今回も右腕に接種しましたから、患っている左腕と両腕に痛みを抱え、再びひたすら仰向け寝なのでなかなか寝付けません。ようやく眠ったかな~という頃、あまりのしんどさに目が覚めました。自分では熱いという感覚はなく、風邪などで熱が出る時のような悪寒がしてきて…というのもなく、突然苦しくなったという感じです。呼吸が荒くもうろうとします。トイレに行きたくなったのですが、身体を起こすことができません。身体に力が入らないのです。これまでも、熱が出ると頭が重くて起き上がるのが大変というのはありましたが、その比ではありません。自分の身体を動かせないという、経験したことのない感覚にうろたえ、隣ですやすや寝ている旦那に手を伸ばすことも、声を出すこともできませんでした。息も絶え絶えに、なんとかしてずるずるとベッドから降りますが、今度はなかなか立ち上がることができません。全身の力を込めて立ち上がり、周りの家具に手を伸ばしながら進もうとして…よろけ、あろうことかドアに左腕をぶつけてしまいました。

しかし、その時はトイレに行くのに必死です。何とかトイレを済ませると、今度は吐き気がしてきました。おそらく脱水症状です。とても気持ち悪くて苦しくて、呼吸を荒くしながらそのままトイレの前でしゃがみ込みしばらく動けなくなりました。水分補給をした方がいいでしょうし、キッチンはすぐそこなのに、全く余力がありません。それに、水分補給をしたことでまたすぐトイレに行きたくなるのが嫌で、とにかく横に…いえ、仰向けになりたくて、はうようにして何とかベッドに戻りました。

しかし、一安心したのも束の間、今度はぶつけた左腕に打ち身による激しい痛みを感じ始めました。

夕食後にロキソニンを飲んだのに、なんで何にも効かないのー?飲んだあと時間が経ったからかなーー?と思いながら「痛いよ~、痛いよ~…」と小さい子供のように涙をポロポロ流しながら朝まで眠れませんでした。

私があまりの高熱と激痛で眠れない一夜に悶えているすぐ横で、朝になり普通に目覚めた旦那。今しかない!と、消え入るような声でアクエリアスを求めました。アクエリアスは、この季節、我が家の冷蔵庫に常備してあるのです。ベッドの中で水分を補給し、一緒に持ってきてくれたヨーグルトを食べた後、薬を飲もうとして…袋に残っているロキソニンと胃薬の数が合わないことに気が付きました。

どちらも毎回1錠ずつ飲んでいたので同じ数残っているはずが、胃薬だけ2錠少ないのです。。。

間違えたんだ!

昨日の夕食後、ロキソニン1錠と胃薬を1錠飲んだつもりが、胃薬を2錠飲んだんだ!どーりで、高熱は出るし、腕の痛みも強いはず!!

アホや。やっぱり私はアホや。。。

肝心なところで間違える大まぬけな自分がつくづく嫌になりました。いつも通りロキソニンを飲んでいれば、そこまでの高熱は出なかっただろうし、そうすればフラフラになってドアに左腕をぶつけることもなかっただろうから、激痛で泣きながら眠れない夜に苦しむこともなかったのです。。。

元々、そうした肝心な時に抜けたところがあるのですが、今回のワクチン接種2回目の強い副反応により頭がぼんやりし始めていたのかもしれません。

その後、確かにロキソニンを飲むと、もう疲れ果てていたのもあり…薬も効いてきて!眠りに落ちていきました。

本来ならば、解熱剤は熱が出始めた時に飲むのが1番効果的と言われます。熱が出始めるのが起きている時なら可能でしょうが、寝ている時なら、気が付いたら高熱に達していて薬を飲む余裕などとてもありません。今回の経験から、例え薬を枕元に置いて寝ていても、高熱が出てからでは自分で飲むのもかなり難しいと思いました。

噂通~りのコロナワクチン2回目接種後の強い副反応を諸に受けこの先再び来るであろう3回目の接種の時は、寝るまでに熱が出なかったら解熱剤を飲んで寝る!ことを強く肝に銘じました。

しかし、この時の地獄の夜は、ほんの一夜限りのこと。

その後すぐに、夜本当に眠ることができない激痛、五十肩の典型的な症状といわれる夜間痛が始まりました。その痛みは打ち身とはまた種類が違い、恐怖を感じるくらいビリビリとした鋭いものでした。

この尋常じゃない痛みに連夜苦しみ、次回の診察予約日を待てずに病院に行き、痛み止め注射を打ってもらいました。

痛み止め注射、と聞くと、さぞ効果があるのかと思っていましたが、その効果は個人差があるそうです。私の場合は、打つタイミングが遅かったのか?数時間ほどしか効きませんでした。そもそもが痛みの連鎖を断ち切るための一時的対処のようで、定期的に打つものではないと言われました。

この時には腕もすっかり上がらないし、後ろにも回らない、そして夜間痛の症状もあることから、ようやく五十肩の診断を受けましたが、ネットで調べる限り早々にそうであろうと思っていました。

3週間近くも続いた、この夜間痛との闘い。

ああ恐ろしや…五十肩。その続きは、また次回。。。

五十肩とコロナワクチン接種

f:id:white-ivy:20200225142710p:plain んともつまらんタイトルですが、うかつにも…五十肩になってしまいました。

うかつにも!というのは、後に気付いた思い当たる原因に対しての対策がやはり遅かったと思うからです。というのも、よく聞くこの五十肩、治るのに1年もかかるらしいとてもやっかいな病気なのです。

私は右利きなので、患ったのが左肩だったのは幸いでしたが、ちょっと友人に言っただけで、4人も経験者がいるほど、やはりポピュラーなのか?四十肩・五十肩。40代でなるか50代でなるかの違いで呼び方が変わるだけで、正式な診断名は肩関節周囲炎

そして、経験者にしか分からないであろう夜眠れないほどの激痛期を伴うとんでもなくあなどれない!病気なのです

今は、その地獄の激痛期を抜け、腕の可動域は狭いもののほぼ痛みが落ち着いた慢性期に入ったので、こうしてブログを書く余裕ができましたが、その診断が下されたのは9月中旬。そして、肩や腕の様子がおかしくなり始めたのは、半年も前の6月中旬なのです。

左肩にかけていたバッグの中身を左手で取り出そうとしたら、ビビッ左の二の腕にこれまで経験したことのないような激痛が走ったのです。

これまでも、後ろの物を取ろうとして少し無理に腕をひねって伸ばした時にピッと痛みが出る!というようなことはあったのですが、その時の痛みの強さと痛みが継続する時間が明らかに違いました。ビビッとした激痛が数秒あったのです。

でも、治まるとその後痛むことはないので、忘れていましたが、またしばらくして今度は別の動き前回とは違うところにビビッと激痛が走りました。そしてしばらくすると、また別の動きで違うところに激痛が…。

一番最初に痛みが出たのは二の腕だったのですが、通勤時に何年もの間、重いバッグを左肩にばかりかけていた故に肩を痛めたのが原因では?と思いました。なので、すぐに左肩にバッグをかけるのをやめ、同じように右肩も痛めるといけないので、バッグの中身を減らしたり、ミニバッグに分散させて、こちらは手で持つようにして肩に負担がかからないようにしました。

湿布を張り、なるべく悪い方の左肩を下にして寝ないようにするなどして様子を見ながら1か月が過ぎた7月下旬、回目のコロナワクチン接種日が迫ってきました。

右利きの私は、注射は通常左腕に打ちます。しかし、この状態の左腕にコロナワクチンを打っていいものか?と思い、相談も兼ねて整形外科に行きました。

その頃には軽いしびれも感じていたので、肩だけでなくのレントゲンも撮ることになりましたが、どちらも骨には異常はありませんでした。

「夜眠れないほどの痛みが出ることはありませんか?」と聞かれましたが、この時はNOです。

腕の可動域も、健常な右に比べると若干劣る程度でしたから、五十肩の診断は出ませんでした。他にも肩の病気はいくつかあるようなのですが、どれにも症状が当たらないようで、とりあえず痛みがあるところに湿布を貼り様子を見ることになりました。

病院のお盆休みを挟むので、次の診察は3週間後の8月中旬になりました。

ワクチンは、悪い方の肩に打つとその後痛みが出た時にワクチンの副反応による痛みなのか?肩の悪化による痛みなのか?が分からなくなるので、痛みのない方の右肩に打つよう言われました。

去年、インフルエンザワクチンを打った後、数日ほど腕が軽く腫れて赤くなり痒みが出たので、コロナワクチン接種後も副反応が出るだろうな~と思いました。

2~3日だとしても、ワクチン接種後どちらの腕も痛くて、寝る時にどちらにも寝返りが打てなくなるのは辛いなあ…、なんでこのタイミングでこんなことになっちゃったんだろう?と初めてのコロナワクチン接種に対する不安と合わさり、気持ちは沈みます。

これまで、重いバッグを左肩にかけて、片道1~1.5時間、徒歩と電車での通勤でした。コロナ禍になってからは電車が空いてきたので座れることもあったのですが、座れなければ重いバッグはずっと左肩にかかったままでした。バッグの中身は、財布やスマホ、眼鏡、定期といった必要最低限の物の他に、お弁当に水筒、晴雨兼用折り畳み傘に単行本(多い時は2冊。文庫本の方が軽いのですが、図書館で借りると文庫本より単行本の方がキレイなので)に会社の資料…とトートバッグがパンパンになるほど。周りの人に「重っ!」と言われても、少々重いくらい負荷がかかる方が骨が丈夫になる!というのを何かで読んでからは、鍛えているのだ!くらいの気持ちでいました。それが今回、加齢による筋力低下で痛めてしまったのではないか?と思ったのですが…。

『左肩に常に重いバッグをかけていたから』が原因ではない!と、整形外科のドクターにはキッパリ否定されました。

ならば原因は何~?と腑に落ちないまま、8月上旬、1回目のコロナワクチン接種を受ける日が来ました。

自治体よりも職場の職域接種の方が早く打てたので、ファイザーよりも副反応が強いと言われていたモデルナです。この頃は、第5波の真っただ中で感染者数が爆増していましたから、一刻も早く打ちたいー!と一心に願っていました。

そして、待望のコロナワクチン1回目を接種。

その日の夜、予想以上に腕が痛くなりました。ドアを閉めようと後ろに手を伸ばすだけでイテテテテ…と痛みが走ります。でも、反対側の悪くしている左腕の、時折起こる思わぬ動作で突然走る尋常じゃない激痛に比べると、たいしたことはありません。

しかし、接種した腕を下にして寝るのは痛くてできません。反対の悪い方の腕を下にすると即座に痛いわけではないのですが、長時間圧迫すると痛みが出るようで、途中で強い痛みに目が覚めたことがあり、これ以上悪化させるのは怖くてできません。私の母や息子はうつ伏せ寝もしますが、私は身体が固いのでうつ伏せ寝などできません。

よって、ひたすら仰向け寝です。

…あまり眠れなかったような気がしますが、ちょうど仕事が10日間の夏季休暇に入っていたので、気持ちは楽でした。

翌日の午後、ちょうど接種の24時間後に37.7度まで熱が出ました。だるさがあったので横に…いえ、仰向けになりましたが、悪寒や頭痛などはなく、さほどしんどくはありません。これ以上熱が上がるのを避けるために解熱剤を飲んだら、夜遅くには平熱になりました。

その翌日には、ワクチンを接種した方の腕の痛みはかなり軽くなり、徐々に引いていきました。その後は安静にしつつも、普通に家事をして過ごしたと思います。

しかし、夏季休暇が明け10日ぶりに出勤し、制服のスカートの後ろのファスナーを上げようとすると…違和感が。。。ファスナーは何とか上がりましたが、ホックが止められないのです!決して太ったからではなく、手がそこまで届かない!のです!!

仕方なく、ホックを前に回して止めて、再びクルッと後ろに戻しました。

同様に、エプロンの後ろのヒモが結べないなどのこの動作が出来なくなるのは、五十肩の典型的な症状だというのは後に分かったのですが、そうとは知らなかった私は2回目の診察時にそれを伝えませんでした。若き担当ドクターは、手や腕の軽いしびれが続いているので首のヘルニアの可能性を心配し、首のMRIを撮ることになりました。その病院には、MRIの機械がなかったので別のMRI専門クリニックで撮影した結果を持って、1週間後に3回目の診察を受けましたが、首に異常は無く、首のヘルニアではありませんでした。

「首のヘルニアだったら大変なので、まずはそうでなくて良かったです!」と言われました。

確かに!首のヘルニアでなくて良かった~♡

「…しかし、ならば何?ということになるのですが…」と、若きドクターは頭をひねります。私も病名が分からないままでは不安になります。薄っすらと…じゃあ五十肩?という空気が流れますが、ドクターの口からはその診断名は出ませんでした。

その時は、スカートの後ろのホックの他に若干髪が結びにくくなっていたので、少し動きが悪くなっているが工夫しているので何とかなっていると伝えました。痛みは、二の腕だったりひじの下だったり複数個所痛くなることがあるので湿布が足りないと伝えると、湿布は一番痛いところに1箇所だけ貼り、他は飲み薬の鎮痛剤で対処することになりました。「まだそこまで悪いわけではないので、今後は、痛みが強くなったらもっと強い痛み止め、動きが悪いのを改善したいならリハビリに通うということになります」と言われました。

その頃は、手のしびれや腕のだるさの方が不快だったので、リハビリをすると軽減するか?と問うと「それは神経から来るものだと思うので、リハビリでは治りません。」と言われました。

そして再び様子をみることになったのですが、2週間後の9月上旬が2回目のコロナワクチン接種直後だったので、副反応が出ると通院は難しいであろうということで3週間後になりました。

こうして、診断名がつかない不安をかかえたまま、症状は着々と五十肩へと進んでいき、回目のコロナワクチン接種後の強烈副反応と五十肩の地獄激痛期突入というW悲劇に大泣きすることになるのです。。。続く。

はて…な?ブログ⁉

f:id:white-ivy:20200225142710p:plain ログを始めて3年半。ブログを始める原動力となった黄斑前膜の術後5年!が過ぎました。

当時、黄斑前膜の手術直後の情報はいくつかあったものの、もっと具体的なその後の情報が知りたくて、…そんな私のように、同じように迷える子羊となってしまった方に、少しでも1例として役に立つことがあるのなら…と思い綴ってきました。

私の場合は、黄斑前膜の術後に白内障も発症し、更に手術をしたので、長きに渡る経過報告となりましたが、それも月日の経過とともに、視界は安定していき、新たに発信することはおそらくもうないでしょう…。

かろうじて、同じ黄斑前膜の手術をしたハルさんの術後の経過とともに回想録を綴っていましたが、それもハルさんの素晴らしく良好な術後の視界の安定により、安堵の気持ちでいっぱいのまま終了を迎えたも同然です。

振り返れば、よくもまあ、黄斑前膜と白内障だけで46もの記事を書いたものだと思います。

鄭先生も、もし私のブログを読んで下さっていたとしたら、まだ言うか?と思ったことでしょう。どの記事も長文で、どんだけ「あーだ、こーだ」と言えば気が済むのか、自分で書いておきながら、後から読み返すと…こんなこと書いてる!と、案外すっかり忘れています。

黄斑前膜に関して発信することがなくなったであろう今、これが本ならば、完!となるのでしょう。

ブログであっても、アプリコットさんのように更新終了宣言をして、放置することもできるでしょう。

私の場合は、コメントのやり取りもしていないので、発信の役目が終われば、それでお終いでしょう。

さて、はて?これからどうしようか…な?

…はて、な?…ブログ⁉

こうして考えてしまうことを書くから、Hatena Blog なの?と気が付いたのです!

そもそも、ブログって厳密にはどういう意味だったかしら?と思い、検索すると⇩

ブログ (blog) は、World Wide Web上のウェブページに、覚え書き論評などを記すウェブサイトである。「WebにLogする」のウェブログ (weblog) をブログ(Blog)と略称する。

 他の方のブログを見ると、覚え書きが情報公開してあったり、趣味や子育てやペットの事などが日記のように綴ってあります。

披露しがいのある趣味をお持ちの方のブログは、羨ましいほど充実しているようですが、私には披露するほどの趣味はありません。

成長著しい子供は毎日のように変化がありますから、私が子育て中だったら夢中になって綴っていたと思いますが、今や息子は大学生。ブログに夢中で綴るほどのことはそう起こるものではありません。

ペットも同じく、日々いろんな出来事があるのでしょうが…私が飼っているペットは熱帯魚。小魚群とパロットファイヤーの2つの水槽がありますが、飼育歴20年となった今は真新しい事もさほどありません。以前紹介したパロットファイヤーのパオちゃんについても、成魚になった今はもうそうそう変わったこともありません。

(因みに、パオちゃんに関する記事はこちら⇩)

hitsujigumo.hatenablog.jp

ならばもう、強いて伝えたいことがないのなら、潔く終了すればよろしい!

…なのに、くすぶっているのです。

きっとこの心のくすぶりが無くならない限り、私は独り言を続けるでしょう。

人生100年と言われる時代、自分が100歳まで生きるなんて考えられないけれど…御年54歳の今、復路は、まだ始まったばかりですからね☆彡

File46*右眼●ー*黄斑前(上)膜・回想録【8】術後7カ月~1年頃*OCT画像付き

ー*同じ黄斑前膜の手術をしたハルさんと共にFile1*術後1年3ヵ月】以前を振り返ります。初めての方は、先に ABOUT をご覧ください。*ー

f:id:white-ivy:20200317205656p:plain 記事の4月頃は、ちょうど関西の新型コロナ感染拡大が急増し医療崩壊の危機に瀕している頃でしたので、関西に住むハルさんも受診を控えていらしたようでメールの返信もしばらくありませんでした。5月には返信を頂いたのに、その後私の方が職場や実家で諸々よろしくないことがあり、体調もあまり良くなく、ブログに向かえない日が続くうちに8月になってしまいました。

強行されたオリンピックでは日本のメダルラッシュに沸く中、コロナ感染者数はこれまでで一番の上昇を続け…明と暗の東京に出勤している私の不安は増すばかりです。

しかし、私事はいずれも改善の方向に向かって来たので、遅ればせながらハルさんから頂いた素晴らしく順調な報告メールを紹介して元気をもらいたいと思います♡

以下ハルさんから頂いたメールです。⇩

(ハルさんは、2020/10 に私と違う眼科で左眼を手術されています。青字は私がハルさんにした質問です。)

4月末に予約を入れていた眼科の検診ですが、コロナの緊急事態宣言で、

延期しまして、まだ行ってないのです。

散瞳検査があるので電車で行くしかなく、通院を控えた次第です。

 

まずは、ご質問の回答からですが

 

 (⇩私がした質問⇩) 

 月も一つに見えますか?勿論、両目でメガネをかけた状態で。

 

手術前(コンタクトレンズ越し)から、上下に少しダブって見えることがありましたが

術後(メガネ越し)もほぼ変わりなく、少しだけダブって見えます。

ほんの少しだけですので、二重だと意識したことはないのです。

三日月がちょっと縦長に見えるなという程度なんですが。

 

(⇩私がした質問⇩) 

人の顔は今までと同じように見えますか?不自然に感じることはありませんか?こちらも勿論、眼鏡をかけた状態で。

  1. テーブルを挟むくらいの距離で対面している時の人の顔
  2. 2~3mくらい先の人の顔
  3. 遠くにいる人の顔と体のバランス(顔を見ると顔だけ大きく感じませんか?)
  4. スマホなどの写真の中の人の顔

 

これも、特に意識したことがないのですが

別段、バランスが悪いと思ったことはないのです。

大視症が残っていますので、全体に大き目で右上が若干縦長に映りますが

中央付近はほぼ正常に映っているように思います。

ですので、人の顔は中央で見る限り、どの距離であれ普通に見えております。

私が無頓着で気付かないでいるのかもしれませんが。

 

 (⇩私がした質問⇩)  

車の運転はされていますか?

もしされているとしたら、特に不安なくできていますか?

 

車は毎日、通勤に運転しております。

ドライブが好きなので、休日も出かけることが多いです。

術後しばらくは、メガネが合わず控えてた時期がありましたが

メガネを作り変えてからはまた普通に運転しております。

遠近両用のメガネのおかげで遠くもよく見えて、カーナビや手元もよく見えるので

以前のコンタクトの時より、快適になりました。

 

メガネは鬱陶しいですが、だいぶ慣れてきました。

最近、メガネを追加で作ったのです。

遠近両用1個で運転も仕事(主にパソコン)も家事もできるようになっていたのですが字を書く時、不自由を感じたので、メガネ屋さんに相談に行ったのです。

字を書くときは姿勢にもよりますが、下を向くと遠近両用の中央付近で見ることになり度数が合わなくて

メガネを上にずらすか、または裸眼で見ると見えるんですが、そうするとより近くでないと見えないので

首が痛くなったりと、かなりのストレスになっていました。

 

で提案してもらったのが、近々両用という近くに特化したメガネです。

中近両用とかも試したのですが、近々で仕事用に重宝しております。

 

裸眼で生活できることが理想で夢でしたが、メガネのおかげで日常過ごせることに

感謝しています。

(⇧以上、ハルさんから頂いたメールです。)

 

あれから更に、近々用メガネを作られて、用途に応じたメガネを使い分けることで視界に困らない生活を過ごしていらっしゃいました。

車の運転も問題なくされていますから、それも同じ黄斑前膜で手術を考えている人や術後まだ不安がある人の希望になる報告です☆彡

良かった!本当~に良かった!!

ここまで視界が安定されていたら、もう何も言うことはありません!!!

後は、この先、反対の眼の白内障手術をするときに両目で見た時のバランスがなるべく変わらないようよく相談されてから眼内レンズの度数を決めることができれば良いのです。かつてアプリコットさんが黄斑前膜手術の1年後に反対の眼の白内障手術をされて、よりよく見えるようになると思いきや、それまで安定していた両目で見た時のバランスが変わって、再び視界に戸惑う事態になったと聞きましたから。

アプリコットさんは60代後半でしたので、反対の眼の白内障手術もそう間を置くことなくされましたが、ハルさんはまだ50代後半ですから、今せっかく視界が良好でいらっしゃるなら、不自由を感じるようになるまではもう片方の眼の白内障手術も様子を見た方がいいように思います。

さて、ハルさんの画像はないのでこの頃の私のOCT画像を載せます。

既に前回折れ線グラフで示したように数値としてはあまり変化はありませんが、参考までに。⇩

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術後7ヶ月⇒10ヵ月⇒1年

 

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(術後7ヵ月⇒10ヵ月⇒1年)

断面写真では違いは分かりませんが、数値はほんの少し下がっています。

私は黄斑前膜の手術当時49歳だった為、白内障手術を同時にしませんでしたし、かつて受けたレーシック手術により遠くが見えていたので、白内障手術を同時にし近視で眼鏡をかけているハルさんとは、術後の見え方を単純に比較できないのですが、この頃の私の見え方を思い出してみます。

50歳以上の人が硝子体手術をすると1年以内に発症する確率が高いと言われていた核(硬化)白内障をもれなく罹っていたことで、右眼が近視になっていき、術後10カ月頃には近くがよく見えるようになりました。健常な左眼は遠くは見えますが老眼により近くは見えにくかったので、遠近で自ずと見える方の視界を優先させるモノビジョンになりました。

当時、モノビジョン、などという言葉さえ知りませんでした。鄭先生に言われて知ったのです。

そして、白内障を発症すると近視になる、ということも知らなかったので 、近くが見えるようになってきたことをとても喜んでいた私に、「…それは白内障が進んでいるのでね…」と、鄭先生はそっと仰っいました。

あんなに、なりたくない!と思っていた白内障に、近くが見える ♪ という好条件と共になってしまった。。。

右眼が再び疲れやすくなったり、夜間の電柱の灯かりに虹のような輪が見えたりしていたのが少し気になっていましたが、それが白内障の発祥のせいだとは全く思っていなかったので、驚きました。軽くショックのような感覚もありましたが、そうか、と思いました。

数か月前から、近くが見えるようになってきた ♪ と無邪気に喜んでいた私に、言いにくい事実をいつ告げるべきか?鄭先生は前々から言い兼ねていたのかもしれません。鄭先生の言い方に、私への気遣いの気持ちが伝わってきて、その気持ちが有難くて、スッと事実を受け止めることができました。

一呼吸置いた後、私は笑顔のまま、だいたいいつ頃手術することになりますか?と聞いたと思います。鄭先生は、長ければ1年くらいは持つと思うので経過を見ていきましょう、のように答えて下さったと思います。

硝子体手術の影響でなる白内障は、 老化によりゆっくり進む白内障と違い、数か月で近くが見えるようになるほど進行が早いということなのでしょう。

 でも、この時改めて思ったのは、伝え方の大切さ、です。

何事もそうですが、伝える内容は同じでも、伝え方によってその伝わり方は大きく変わるということです。とても難しい事ですが、大切なことだと思います。

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これは、私が、かつて職場での人間関係にとても苦しんでいた時に、気持ちのセルフコントロールに役立ててほしいと友達からもらったワンセルフカードのうちの一枚です。

裏返した状態で1枚だけ引くのですが、全部で30枚のメッセージカードがあるのに、不思議と同じものをよく引くのです。

そして、これも私がよく引いてしまうカードの一つです。

 …コロナ最凶期の今、政治家の方々にも、お送りしたくなりますね…。。。

 横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています) 

File45*右眼●ー*黄斑前(上)膜・回想録【7】術後3~7カ月頃*OCT画像付き

ー*同じ黄斑前膜の手術をしたハルさんと共にFile1*術後1年3ヵ月】以前を振り返ります。初めての方は、先に ABOUT をご覧ください。*ー

f:id:white-ivy:20200317205656p:plain 須作業だったこのブログの https化に長~い事手間取り、なかなか回想録を進められないでいるうちに月日が経ち…ハルさんとのメールも間遠になっていました。。。そんな訳で、前回の術後1カ月半から一気に術後6カ月になってしまったハルさんから頂いたメールです。⇩

(ハルさんは、2020/10 に左眼を手術されています。)

その後、特に大きな変化はありませんが、順調に回復しているようで、片目でチェックしておりますが、歪みはほぼ気にならなくなりました。

大視症はやや残っています。

両目で見る分には、自覚することはありません。

1月の検査で、矯正視力が1.2でした。

視力もほぼ回復し視界がクリアになりましたので、手術して本当に良かったと思っております。

 

メガネは遠近両用で有難いことに遠くも近くもよく見えております。

3回ほど作り直してもらいましたが、やっとストレスなく使えるメガネになりました。

白内障の眼内レンズの焦点距離は、30cmぐらいでしょうか、元々の近視の度数が少しだけ、減ったような感じです。左右差があまり出ない範囲でのことかと思います。

私も偽焦点が作用して、見える範囲が広がるといいのですが、まさに単!焦点のようで、焦点が合う範囲は狭いです。

 

ご質問いただいていた、大視症は、縦長というより少し右上がり気味で全体的に拡大された像です。

両目で2重にみえることは、意識したことはありませんが、片目でみると、たまに2重に見えるときがあります。

今日は見えずらいなと片目チェックしたときに、右目だったり左目だったり上下に二重にみえるときがあります。乱視の影響でしょうか?

でもたまにでる症状で、疲れ目なのかもしれません。

視力や乱視具合は、一日の内でも朝晩で変わりますし、体調や天候によっても変わるような気がします。

 

もう一点、術後に空気を入れた理由なんですが、聞くタイミングを逃して実は聞いていないのです。

説明では『うつ伏せになる必要はないが、術後2、3日は夜寝るときはできたら横を向いて寝てください。そう神経質にならなくていい、日中は気にしなくていいですよ。』とのことでした。

網膜剥離や黄斑円孔の手術で空気やガスを入れるのは剥がれた網膜を押し上げたり、穴を閉じる目的だったりと聞くので、黄斑前膜もできた肥厚や変形に圧をかけているのかなと勝手な解釈をしているんですが、どうなんでしょうね。

 

黄斑部の凹みが、ほんの少し現れたように思います。

数値のわかる資料は術前のものしかありません。

4月の受診後にまたご報告させていただきますね。

1月の受診の時、次回は半年後と言われたのですが、心配症なので3か月後の今月の半ばに予約を入れております。

というのは、左目の黄斑前膜発症時(前)に、飛蚊症があったのですが(術後は消えました)最近、右目に数も頻度も少ないですが飛蚊症がでるようになって、気にしております。

右目まで黄斑前膜や他の病気になったら怖いので注意しております。

1月の受診の際にも診てもらったのですが生理的なもので特に心配配ないと

言われたのですが、定期的に診てもらいたいと思っております。

年齢を重ねると、いろいろ心配事が増えます。

(⇧以上、ハルさんからのメールです。)

 私が、 https化という気の重~い必須作業に難航し長い事固まっていた間に、ハルさんは度数を3回も変えながらもストレスなく使える遠近両用メガネを作られて、良好な視界を手に入れていらしたようです。メガネが合っているから、右眼と左眼の視界が上手く融像出来ているのでしょう。「二重に見えることを意識したことは無い」とおっしゃっています。矯正視力1.2まで回復されて素晴らしいです!

術後3ヶ月時点でのOCT画像も見せて頂いたのですが、私の術後1カ月半と同じくらいの凹みが出来始めていました!ハルさんの病院では断面図の画像はあるのですが、数値を表した資料がないようなので、私との厳密な比較はできないのですが、見た目には、その頃の私の画像ととても良く似た形に見えます。出来始めた凹みがどこまで凹んでいくか、今後が楽しみですが、既に視界に満足していらっしゃるようですので、期待には及ばないのかもしれません。

ここで、分かりやすいようOCT画像を載せますね。

 ハルさんのOCT画像は載せられないので、今回も私の画像です。⇩

術後1カ月半⇒ 3カ月⇒ 7カ月

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眼で二重に見える時があるのは、私も乱視の影響でしょうと言われましたが、『白内障も、濁った水晶体の核が硬くなり、不正乱視を作るために二重に見える症状が出る』ようです。

最も顕著なのは、月を片眼で見た時です。私の場合、両眼で見ると、月は二重どころかハッキリ離れて2つに見えるのですが…それは困る事ではないので受け入れています。

飛蚊症に関しても、私も健常な左眼に少しありますが、普段は気が付きません。片目で空などを見ると分かるくらいです。黄斑前膜の手術時に硝子体を吸い取られた右眼は、今は体液で満たされているので飛蚊症はないよね?と思い、右眼だけで空を見てみるととても小さな塵のようなものがうごめいているのが見えます。左眼に見える物とは大きさも形も全然違います。手術後しばらくは無かった気がしますが…でもこれも何にも困ることは無いので気にしていません。

飛蚊症に関して分かりやすい記事を見つけたので参考に⇩

www.healthcare.omron.co.jp

さて、の術後3~7カ月頃はどうだったのか?思い出してみると…、白内障手術を同時にしていなかったので、その経過観察もあり毎月のように通院していました。OCT画像をご覧頂くと分かるようにの数値は順調に下がりその分凹みも少しづつ凹んでいっているのに、それに合わせて視界が改善している実感はなかなか感じにくかったように記憶しています。そしてその理屈に合わない実態に、気持ちも不安定になっていました。

この頃は、確か更年期障害が強くなってきていて、寝つきが悪く、眠りも浅く、長時間眠れないことに困っていました。ちゃんと睡眠が取れないのは網膜に絶対良くない!術後早いうちがより網膜が戻ってくれる時期なのに…眠れない場合じゃない!!と焦っていました。そんなとき、鄭先生に「視界が安定するには2~3年の月日を要しますので、一喜一憂されない方が…」と言われ、3年!と、その時は遥~か先の事のような衝撃を受けましたが…なのことはない、光陰矢の如し、今や術後4年半となりましたが。

術前から術後10ヵ月までのOCTの数値をグラフにしていたので公表します。初公開です!

サークル内の数値を、中心、内輪(=真ん中の輪)、外輪(=外側の輪)の3つに分けて、内輪と外輪は4つ数値があるので、足して4で割った平均値を出してグラフにしました。⇩

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こうしてみると、私の場合は、術後3ヵ月まではグッと下がり、その後は緩やかに下がっています。数値が上がっている時があるのは、検査の時に中心を見る位置がズレてしまった為のようです。3~5ヵ月間は、停滞しているのが見て取れますね。

見え方としては、少しでも暗いとやはり近くが見えないので、職場でも100均の老眼鏡をかけたり外したりして、ないと困るので、どこかに置き忘れないように気を付けていました。しかし、左右ともちゃんと度が合っているわけではなかったので、仕事で入力ミスをすることが何度かあり、ちゃんと合った老眼鏡を作ることにしました。網膜の戻りと共に視力も変化するのではないかと思い、一年間レンズ交換無料の zoff で作りました。

普段はメガネなしで過ごしていたのですが、手術した方の眼を鏡で見ると黒目が内側に寄ったように見えたり、人の顔がおでこから上を少し伸ばしたように縦長に見えることがあり、戸惑うこともありました。

目が疲れると鈍痛がするので、目薬を持ち歩いていました。

この頃は、術後の合併症である白内障になることが嫌だと思う気持ちが強くて、心も視界もとても不安定な時期でした。

しかし、その後、漏れなく白内障になり、視力が落ちることで、右眼だけ近くが見えるようになっていきました。それは、右眼で近くを見て、左眼で遠くを見る、モノビジョンという新たな視界を得ることになっていくのです☆彡

 

 横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)

 

File44*右眼●ー*黄斑前(上)膜・回想録【6】術後1カ月半*OCT画像付き

ー*同じ黄斑前膜の手術をしたハルさんと共にFile1*術後1年3ヵ月】以前を振り返ります。初めての方は、先に ABOUT をご覧ください。*ー

f:id:white-ivy:20200317205656p:plain 回は、術後1カ月を過ぎた時のハルさんから頂いたメールから始めます。⇩

(ハルさんは左目を手術されています。)

 私のほうは、有難いことに順調に回復しているようです。

歪みも大視症も半減したように思います。

左目片目で見るとパソコンやタブレットの文字が波打って泳いでおりましたが、今はある程度、直線状に並んで見えます。

同じように、片目チェックは癖のように、あらゆるところでしておりまして通勤途中、鉄橋がみえるところで、通る電車が術前は電車がうねうねと波打っていたのが、ほぼ直線に見えるようになりました。

 

視力も徐々に回復しているようです。

 

気になっていた黒い浮遊物も見えなくなりました。

くっきりとしたものだったので消えるか不安でしたが、本当に良かったです。

 

当初、黒い物体が心配になりネットで調べたところ、

横浜相鉄ビル眼科医院の硝子体手術のQ&Aのページに以下のように載っておりました。

http://www.isao.com/vitdaysurgery.html

硝子体手術後に現れる『黒い小さなものは、炎症細胞や目の中の濁りのようなもので、時間と共に薄くなっていくと考えられます。』

このQ&Aを見て、だいぶ安心したものです。

 

空気を入れたことについては、術前から言われており理由については説明がなかったので特に疑問を持たなかったのですが、黄斑前膜の手術の体験記などを見る限りあまり症例がなかったので、後からふと疑問がわきました。

来週、診察に行きますので尋ねてみようかと思います。

 

白内障の眼内レンズに関しては、

焦点距離はもっとよく考えるべきだったなと後悔しております。

手元に合わせた今、元々の生活ではありましたが、日常生活でメガネ、コンタクトなしでは生活できないので欲が出て裸眼での日常生活が実現できたら、どれほど快適だろうと少々後悔しています。

(ここでいう日常生活とは、歩いたり家の中での家事やテレビをみたりという手元を見る以外の生活です。)

 

眼内レンズを決めるときは、黄斑前膜のことばかりに気をとられておりましたので、

なるようにしかならないと運任せのところがありました。

白内障手術の体験記で、焦点を手元にあわせても、中間距離はそこそこ見えるように書いてあったのを見たものですから、もう少し見えるんじゃないかと期待していたところもあります。

  

近い将来?右目の白内障の眼内レンズを入れるときがきたら、モノビジョンも視野に入れ検討したいと思います。

白内障のレンズ選びは一発勝負になりますから、もっと慎重になるべきでした。

まずは、心配されていた クッキリと見える黒い浮遊物などがなくなり順調に回復されているとのこと本当に良かったです♡ ハルさんは他院で手術されていますが、横浜相鉄ビル眼科のQ&Aに救われたなんて…大高先生の膨大な情報提供に感謝です♡

私も、今は黄斑前膜だった右眼をつむり正確な形で見える左眼でチェックする癖がついていますが、術後しばらくの間は手術した眼だけで術前の見え方と比べるということをよくしていました。いつも見ているもので比較して、術前よりも歪みが減ったのを実感したり、膜が取れてクリアに見えるようになったから2重に見えるものも出てきたりしていました。その頃は、駅の流れる電光掲示板が2段になって流れて見えたり、駅の時刻表がごちゃごちゃして見づらかったのを覚えています。

その頃の楽しかったことを一緒に思い出したので、少々お話致します。

ちょうど弟に子供が生まれ、お宮参りで両親が来ていたので、私も同行しました。生まれたての時は壊れそうなくらいに小さかった姪っ子が3カ月でしっかり成長していたので「大きくなって~♡」とみんなで姪っ子を囲んだ瞬間、ベビーカーに収まったまま身動きの取れない姪っ子はニッ満面の笑みを見せたのです。それが瞬時に、あまりにも満面の笑みだったのが可笑しくて、一同でどっと笑ってしまいました。そばにいた弟曰く「エンジェルスマイルって言って、周りの人に愛されて生きていく為の生理的反応なんだって」と。調べてみると、生後3カ月頃までによくある生理的現象で『3か月微笑』と呼ばれることもある、とあります。しかし、微笑を越えた、笑いを取るほどの満面の笑みを見せてくれた姪っ子に早くも大物の予感がしながら、とても楽しいお宮参りになりました。

私が息子を産んだときはそんな言葉知りませんでした。…微笑?…そういわれると、息子は生まれた時からずっと人見知りがなく、誰にでもニコニコしていました。抱っこしている又はベビーカーを押している私にはその表情は見えないのですが「可愛いわね~♡愛想のいい赤ちゃんね~♡」とよく外出先で知らない人に話しかけられていましたっけ…。なのに、今はむしろいつも仏頂面。う~ん?

そしてお宮参りの後日、両親と東京スカイツリーに行くことにしました。息子は社会科見学で行ったことがあり、平日で学校があったので両親と私の3人で、私も初めてのスカイツリーでした。スカイツリーから夜景を見たいので、その前にどこか散策できるところへ…と浜離宮恩賜庭園に行きました。秋空の下、天気も良く広い庭園をゆっくり散策していたら、偶然、庭園内から隅田川を北上する船が出ていてスカイツリーの側まで行けることを知り、それならば!と船に乗っていくことにしました。船は意外に大きくて修学旅行の学生や外人さんも多く乗っていて、船から見る東京の街並みは電車から見るのとはを違い、一気に観光気分が盛り上がりました。船を降りてから、当時まだスマホを持っていなかった私は立て看板の地図を記憶しスカイツリーまで歩いたのですが、近くまで来ているはずなのに、大きくてすぐ見つかりそうなその姿が見えず、間違えたかな?と思った途端、建物と建物の間にいきなりドーンとスカイツリーが現れました。それはそれは見上げるとふんぞり返りそうなくらいで、大木を見上げるアリになったような気持ちで3人で「わーっ!」と驚いた、笑ってしまいました。上階から見る東京の夜景もキレイでしたが、地上から生で見る夜のスカイツリーの方がずっとキレイでした°˖✧

そんな楽しい記憶の方が印象に残っていて、浜離宮の景色はどんな風に見えたのか?とか、スカイツリーの夜景はちゃんと見えたのか?という厳密なところまでは覚えてないのですが、そんなに不満を抱いた記憶はありません。昼食を取るのに入った海鮮屋さんが薄暗くて、メニューが見えず老眼鏡をかけた覚えはあります。手術前から持っていた100均の老眼鏡でしたが、老眼鏡をかけたということは、それを想定して老眼鏡を持ち歩いていたのでしょうから、少しでも暗いと老眼鏡がないと見えない状況だったということでしょう。

 

術後1カ月半の私のOCT画像を載せますね。⇩

術後3週間⇒ 術後1カ月半:正常な左眼

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よーーーく見ると、術後1カ月半、いえその前の術後3週間の画像も極わずかに凹みができ始めています。その後少しずつもっと凹んでくるのですが、ただ、凹みがあるのとないのとで、どれほど視界に違いがあるのかは分かりません。

 ハルさんは、白内障のレンズを反対の目に合わせて近くにしたけれど思った以上に中間距離が見えずに不便を感じていらっしゃるようで、今後モノビジョンも考えたいとおっしゃっています。

現在モノビジョンの私から申し上げると、黄斑前膜の術後に両眼近くが見えている人が眼鏡をかけてどんな風に見えているのかが分からないので、どっちが良いかは分かりません。黄斑前膜のモノビジョンは、近く~中間距離は比較的見やすいですが、遠景は(主に外は明るすぎる故)文字は読めますが、景色全体は2重に見えるものが出てくるためシャキッとしないなど、健常眼のモノビジョンに比べて視界に違和感があり不完全です。それでも、家の中で家事をしたり、会社の事務所内で仕事をしたりする分には眼鏡なしでほぼ見えますし、太陽光よりは抑えられている室内では見え方に違和感もないので私は満足しています。

しかし、これもまた、目に見える比較が出来ないのが難しいところなのです。。。

 横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)