羊雲

羊 雲

✥ 復路の羊のふんわりノート ✥

息子の進学と彼女の進路のゆくえ。。。

f:id:white-ivy:20200225142710p:plain お陰様で、息子が晴れて大学生になりました!ありがとうございます♡

お陰様?ありがとう?

…はい!世の中は見えない絆で繋がっていますから、良いことがあると、繋がっているであろう見えない世間の人々の代わりとしておてんとう様に手を合わせる気持ちになり

 ます。その幸運はいろいろな人のなして下さったことと本人の行いが合わさってもたらされたのだと思い、見えない多くの誰かさんにも感謝してしまいます。ありがたや、ありがたや、と。

…それ、なんの宗教?

 いえ、特別な信仰はありません。お墓は仏教ですが、結婚式は教会式でしたし、実家には神棚がありました。ただ、今は亡き祖母がよく仏壇やお墓に向かってご先祖様に感謝の言葉を述べていたのが私の中に残っているのと、経験を重ね、年齢を経ること半世紀、甘ちゃんの私だからこそ、アホなことが多くたくさんの人にフォローされ、そう強く感じるようになったのです。…実は、この私、決して行動派に見られないのですが…今思えば、若い頃は結構怖い物知らずだったなぁ…と。それは…長くなるのでまた後日 ♪

さて、推薦により面接のみで進学した我が息子。

私の頃は、推薦!というと成績優秀な子のみにお声がかかる制度なイメージがあるのですが、それは私が山口という大学数の少ない田舎で育ったからかもしれません。現在は、関東で言うならば、いわゆるGMARCH以上を望まなければ、そこそこの成績で進学できるため推薦希望による進学者が増えているのだとか。息子の中学の時の勉強がすこぶる苦手だった普通高校に行った友達も、みーんなどこかかしらの大学に進学したと聞き、大学全入時代!とはこれまさに!!と実感したのでした。

大変失礼なのですが、大学とはその名のつくところに入るより卒業する方が大変なもの。(理系は特に!私は文系でしたから何とかなりましたが、理系大学で留年を繰り返し、結局卒業できないという話をよく聞いたものです)そもそも勉強が苦手な子が大学に入っても、卒業できないんだよ~、、と、息子に言うともなく、しかし自然と声が大きくなりブツブツ…。そして、そこには息子しかおらず、息子は一言「オレに言うな!」

では息子よ、確約面接だけで大学進学…、受験せずに大学合格…、自分で決めた事といってもだね、本当に本当にそれで良かったのか?と、S42年生まれ、たくさんの達とで狭き門を目指して、ない頭でもって受験勉強に挑んだ私としては、やはり若い頃の苦労は買ってでもしてほしかったというのが、親心なのだよ!…と、これは心の中でブツブツブツ…。

息子がこの道を決めたのは高校2年の時です。2年生の秋には3年生の選択授業を決めなくてはならないのです。今はキャリア教育といって、1年生の時から適性検査をしたり、将来やりたい仕事をいかに早く具体的に決めることが大事であると学校から迫られます。そこから、遡って進路を決めるという流れなのです。息子はそれまでやりたい仕事が見つからなかったので、とりあえず理系方面の成績を伸ばすことを目標に、塾を集団授業から個別に切り替えてまで頑張っていたはず。…が、夏休み明けのある日、突然に「やりたいことを見つけたから、大学行かないで専門学校に行くことに決めた!」と息子から打ち明けられたときは、まーびっくりしました。(旦那に言わずに、まずは私に言うのです)1浪したものの、絶対に大学に行って良かった ♪ と思っていた私は、今は勉強が大変だろうけど、大学生活は楽しいよ~ ♪ などと勧めていただけに、本当にびっくりしました。特別勉強ができるわけではなかった息子に、絶対に大学に行ってほしいわけでもなかったけれど…、芸術面、運動面よりは勉強面で力を発揮できたから、志望する進学高校へ入学したんじゃなかったの?その結論を出すのは早すぎるよー!と、あたふたしてしまいました。

し前の【読売新聞の人生案内】に状況がよく似たものがあり、これまた驚いたのですが、増田明美さんの回答に、そう!そうなのよ!と増田さんはお子さんはいないはずなのに、よく分かってらっしゃるわあーと感心しました。(以下  写真がいつも不鮮明で、すみません。父からもらったお古のデジカメのせいです。…スマホで撮れば?って?わたくし、あいにくスマホを持っておりませんの。ガラケーがまだ生きておりまして、それで用が足りていますものですからね…。これも周りから「えっ!?何で?」とよく言われるのですが、私も必要に迫られるか、欲しいっ!と思えば、そのうち買うのです。これもきっとマイノリティ…。因みに、ゲームばっかりしている旦那と息子はスマホ使いまくりですけどね。…じゃあ、もうちょっと画質の良いデジカメ買うか、息子のスマホ借りて撮れば?と言われそうなほど、画質が悪くてホントごめんなさいね。でも内容はとっても良いので、読んで頂きたい ♪ )

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 相談で、下が回答 

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ね!素敵な回答でしょうー!!学校の先生は近道などと言わず、このような進路指導ができるようになられることを願ってやみません。。。でも、よくこうした相談事は親や先生といった縦の関係の人よりも、斜めの関係の人からの意見の方が同じ内容でも当人が受け止めやすいと言われますが、その3角形が見えるようですよね。

こちらはお父様がハッキリと意見を述べてらっしゃるところや、お嬢さんのスマホや部活などを自由にさせてもらえなかった不満も溜まっているところはうちと違うのですが。高校2年生のこの彼女、この回答をもらい3年生に進級した今、進路をどうしたのでしょうね?高校生で、親と学校では納得できずに人生案内に相談してくるなんて、なんて頼もしい子なのでしょう!それ故に非常に気になります。読売新聞さんにぜひ人生案内その後を掲載して頂きたいわあ!私は人生案内が好きでよく読むのですが、このような事で悩んでるんだ~と、ホント他人の心理の勉強になります。それに対する回答がまた素晴らしくて、物事は捉え方、考え方、見方が大事と言うけれど、それを具体例で示されると非常~に分かりやすくて感心しきり!他人の悩み解決なのに、なぜかテンションが上がるのです ♪

ではその時、大学には行かない!宣言をした我が息子が、なぜこの度大学に進学したのか?

それは、私なりにすっごく考えて何度時間をかけて、息子に話しました。やりたいことが見つかったのはとっても喜ばしい事!でも、親というより人生の先輩として言わせてほしい。若い頃の興味は燃え上がるのも早いけど冷めるのも早いもの。今短絡的な結論で進路を狭めてしまうのは大変残念。世の中まだまだ学歴社会。だけど大手だから安心という保証もないし、別に大手の会社に勤めて欲しいわけでもない。学歴など関係ない仕事もたくさんある。でもあなたの今までの努力と素質を見ても、今大学進学をしないことで、この先の不安定な世の中で学歴という条件で真っ先にふるいにかけられることになるのはあまりにも惜しい。回り道のように思えても、人生無駄なことは一つもないのだから。云々。。。と、何日もかけて、長文派の私のままに多くの言葉になりながらも…。最終的に、息子のその興味を叶えつつも幅広く潰しのきく学科がある大学を見つけてきて、こういう選択もあるけど、どう?と提案したら、それがまんざらでもなく思いのほか気に入ったのです。(…ここに旦那が話し合いに入っていないのは、数学と物理だけが異常にできて、それだけで推薦入学した口なので、一般受験の相談相手は私に任されていたのです。。。暗黙に。)

昨日が入学式で、今日から始業。春、というより初夏の陽気の中、はつらつと出かけた息子。

特殊な学科で、息子にとっては第一志望の大学でしたが、世間様から見ればきっと「?」…それをこれからどう切り開いていくか!自分で決めたのですから、それが己の生きる道!

♪ 押しくらまんじゅう、押されて泣くな ♪

いっぱい揉まれて、たくましくなってもらいましょう

追伸;本日は3千字越え…そんなに長いか?人生案内の字数は入ってないんだよね?

File9*右眼●ー*黄斑前(上)膜の術後*1年6カ月検診と新たな疑問!(OCT画像付き)

ー*黄斑前(上)膜手術当時49才だった為、白内障手術を同時にしなかった私の場合*-

(黄斑前膜の術後*1年半)

 f:id:white-ivy:20200225152424p:plain 月13日、1年6カ月検診に行ってきました!

早速、今回を含めここ半年で撮ったOCTを披露します

 (左から、術後1年 → 術後1年3カ月 → 術後1年6カ月)

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(再び左から、術後1年 → 術後1年3カ月 →術後1年6カ月)

「ん?変化なし?というか数値、上下してますけど?」…はい、そうなんです。。。

数値が上下しているのは、撮影時に視点が中心からズレたことによる誤差のようなのですが、もうずっと見え方が変わらないので、数値に変化がないのもそうだろうなという感じに受け止めています。

以前は網膜のために良い生活を心がけることにはりきっていたので、数値が下がっていると、何が良かったのかしら?とか、逆に変化が無いとあのストレスが原因か?はたまたよく眠れなかったからかも?とかあれこれと振り返ったりして、それをアプリコットさんのブログにせっせと報告していたことが懐かしくなってしまいますが。(ここにきて、アプリコットさんとは?という方は、是非 File1から順に読んでアプリコットさんのブログに飛んで頂きたい!)

モノビジョンになってからは、見え方に慣れてきたことや、その頃より更年期による様々な乱れが若干落ち着いてきたことも重なり、いつしか網膜のための良い生活への力も抜けていきました。ベータカロテン(ビタミンA)をしっかり取るなどは続けていますが、以前はやはり睡眠が一番大事!?と、11時には寝るようにしていたのが、いつしかついつい12時を過ぎるようになってしまいました。(…それがいけないのか?)

ここまで見えるようになり、モノビジョンという塩梅の良い状態になれたので、このまま止まってしまってももう大丈夫!と思っているのです。あ、でも大高先生は一生戻るで!と言って下さったので、術後の回復途中の方は是非希望を捨てないで下さいね!

私は別院で黄斑前膜が分かり、その時は若干のかすみと大きく見えるようなわずかな違和感はあったものの裸眼視力は1.0はあり、方眼用紙を見ても縦横線のゆがみは感じなかったので、すぐには手術を勧められず様子を見ることになりました。その時にパソコンの画面で見せてもらった右眼の断層写真(OCT)と正常な左眼のものと比較して「本来はこのように凹んでいるものなのですが…」と説明されたので、既に凹みはなかったように記憶しているのですが…ここで一つ、疑問が湧きました!

黄斑前膜が初めて分かったこの時、既に網膜は凹んでいなかったのに視界の違和感は今ほど感じなかったのです。今は白内障が始まっているため、裸眼視力が0.2くらいまで落ちていますから厳密な比較にはなりませんが、今の方が(まだまだ縦長に)大きく見えるのがよく分かります。くぼみができている今の方が網膜の元の形に近いのに、見え方は今の方がその異様さが顕著なのは、なぜ?という疑問です。

その違いは、術前と術後の差、膜があるかないかでしょう!

極薄~い膜なのでしょうが、網膜にとってはこれが張り付いている視界は、使い古したクリアファイルに入った書類を見るようなもので、ゆがみや大きく見えるなども分かりづらいのでは?と。それを証拠に、手術で膜を取った後は視界がどんどんクリアになっていきます。しかし、クリアになるということは、今までベールの向こうだったからこそ見えなかったゆがみもハッキリしてくるということ。それ故に、術後は二重に見えるものが出てきてしまいます。

そして(今頃になって気付いたのですが)網膜の均衡が違うということ!

黄斑前膜が初めて分かった時、凹みはなかったものの、均等というか、なだらかにほぼ平坦な感じだったように記憶しています。それに対して、今は横切り方向に凹みはできているものの縦切り方向にはほとんど凹んでいない。その不均等が故に、縦方向に大きく見え違和感も増しているのではないか?!という、我が見え方とデータによる自己分析なのですが、核心を突いているんじゃない?!と思い至ったのです!

(鄭先生には「凹みと見え方についての関係は、クリアに説明できないのでご容赦頂きたい。」と言われたのですが、この自己分析論どう思います?!と聞いてみよっ ♪ )

つまり、凹みがなくても形がほぼ均衡に保たれているなら見え方の違和感は少ないのでは?と思うのです!(と、一人で力説してしまいますが、アプリコットさんに見え方について今質問を投げており、回答待ちです。…早く気付いて下さらないかなー。。。)

アプリコットさんは凹みが出来ないことを嘆いていらっしゃるのですが、案外とそこが重要ではないように思えてきたのです。

くどくどと続けますが、近視用の眼鏡をかけると対象物が実物より若干小さく見えますよね?でも、眼鏡を外したら急に違和感を感じる!なんてことないですよね?反対に、老眼鏡は若干大きく見えるけれど、老眼鏡を下にずらし眼鏡のない上方で遠方を見てもさほど違和感は感じないのと似たような感覚で、若干大小の見え方があっても全体のバランスが同じようであれば、視界としてそんなに違和感は感じないのでは?という自論です。

アプリコットさんの回答を待ちつつ、私の右眼がまだまだ縦長に見えるのをモノビジョンがカバーしてくれていることについては、また次回 ♪

(ああ、今日も2000字越え…毎度わたくしの長文にお付き合い下さり、ありがとうございます。どうしても長文になってしまう私は、ツイッターなんて絶対無理だわあ…まあ、しないけど。。。)

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)

子パンダ*シャンシャン *

f:id:white-ivy:20200225142710p:plain 日、上野動物園の子パンダ、シャンシャン♡に会いに行きました ♪

両親が息子の進学祝いに田舎から出てきたので、みんなで見に行ったのです。

(一番見に行きたかったのは、私なのですが…♪ )

開園後、先着順に見学時間の書いてある整理券をもらうのですが、上野に到着したのは10時40分頃。駅は既に混んでいて、見渡す限りみ~んな顔に「シャンシャンに会いたい♡」と書いてあるように見え、ワクワクしているのが伝わって来るようです ♪

上野動物園のHPには、1日9500人分!の整理券を配布しているとあり、公式ツイッターには毎日配布状況が出ています。3月上旬でしたが、9:30に開園して平日は11時半前休日はだいたい10時半頃には配布を終了しているようでした。私が行った日は平日でしたが、整理券がちゃんともらえるかしら?という心配もありながら、小さい子供連れが多いせいか殺気立ったようなせかせかと急ぐ空気もなく、駅から動物園まで歩く人の足取りもいたって普通でした。

動物園入り口前はそれなりの長蛇の列で、20分近くかかりました。

数十年前、まだ学生だった私と両親とで東京で一人暮らしを始めた弟を訪ねた時にみんなでディズニーランドに行き、(春休みだったこともあり)その時は入園だけで2時間待ったよね~と懐かしく思い出話をしながら、ウキウキと並んでいました。

そして、入園するとそのままスイスイ整理券配布場所まで行け、そこでは並ばずにすぐに整理券をもらうことが出来ました。

11時過ぎで<15:40~16:00見学>のチケットを無事入手!

これで本当にシャンシャンに会える♡とそれだけでもテンションはUP ↑

チケットさえあれば、再入園もできるのでどうしようかと考えていたら…、まもなくお父さんパンダのリーリーのお昼ご飯の時間だというので、見に行くことに。

リーリーはまだおらず、係の人が笹の用意をしていました。まだ少し時間もあったので見物人は少なく、真ん中の前の方でスタンバイしました。私は川崎に住んでいるのに、息子が小さい頃にもたまたま上野動物園には行ってなくて、私自身パンダを見るのは何

十年ぶり。(息子は高校の社会見学で来たと言っていましたが)

そして、笹の準備が済むと、檻が開きリーリーが入ってきました!

すぐに奥の方に座り、奥にあった笹をモグモグ。…耳しか見えません。。。しかし、気付けば後ろは人でいっぱいになっていて「何にも見えな~い!」という声がするので、耳が見えるだけでもマシなのね…と思って待っていると、不意にのっしのっしと歩き出し…ぐるりと回って目の前で真正面にでんと座り、どうだ!とばかりに豪快に笹を枝ごとムシャムシャする姿の勇ましい事 ↓ (左)お父さんのリーリーは、大きくてごつくて男らしかったのです!

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写真 (中)と(右)お母さんのシンシンです

お父さんリーリーを見た後、一旦退園して昼食後に再入園。15:40まで他の動物を見て回り、時間どおりパンダ舎に到着。20人ずつくらいで1グループに仕切られ、並んで待っていると、シャンシャンがいると思われる園舎の手前の屋外で、お母さんのシンシンがウロウロしていました。

お母さんシンシンの方が写真がアップなので大きく見えるのですが、実際はTVで見るよりずっと小さかったです。…ということは、シャンシャンがとっても小さいからお母さんが大きく見えるということ?6月に生まれて9カ月経っているけど、まだ小さいかなー?と、期待に胸を膨らませて待っていると…♪

ついに、シャンシャンご対~  ………が!

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…シャンシャン…、奥~の方にある木に登ったまま…少~し動いたけれど…手で顔は隠れたまま向きを変えて…そのまま…昼寝?…と、みんなスマホやデジカメを持つ手に力が入りながらも、静かに息をのんで「こっち向いて♡」と待つこと30秒…はあっという間に過ぎ…

「はい、終了でーす!」と無情な係員さんの声…も苦笑い気味。。。え!?終わり?

その、まるでコアラのような、木の先にあんばい良く収まっている小さな丸い背中もと~ってもかわいい♡…けれど…一目お顔が見たかった。。。

なので、持ち帰ったパンフレットのシャンシャンのお顔を代わりに…ね♡

(皮肉にも同じ木の上と思われるところが笑ってしまいますが…、きっとお気に入りの場所なのね!)

その日は真冬並みの寒さでしたし、シャンシャンの面は拝めなかったけれど、その愛らしい背中だけでも、十分幸せな気持ちでいっぱいになったのでした♡

今回は、両親が山口から9時過ぎ羽田着の飛行機で来てその足で行ったので、見学時間が夕方になり、シャンシャンにはおねむの時間だったのかも。もっと早く行って、午前中に見学できれば、元気に遊ぶ姿が見れるのかな?

シャンシャン、また会いに行くからね  愛らしい姿をありがとう

File8*右眼●ー*黄斑前(上)膜の術後*の患者が考える手術のタイミング!

ー*黄斑前(上)膜手術当時49才だった為、白内障手術を同時にしなかった私の場合*-

(黄斑前膜の術後*1年半)

 f:id:white-ivy:20200225152424p:plain 院で黄斑前膜が分かり、手術が怖かった私は、症状が進み不便を感じることが増え、日常にも困るようになってからようやく手術を決意しました。黄斑前膜の診断を受けてから9カ月後でした。そこでようやく、ネットで黄斑前膜手術の名医を探し、横浜相鉄ビル眼科の鄭先生に行きつき、高度で丁寧な手術をして頂いたからこそ、ここまで回復できたのだと、本当に感謝しています♡(素人の私になぜ高度で丁寧な手術だと分かるのかって?それは…スーパードクターの大高先生にそう言われたのです☆ )

しかーし大きく見える縦横線が波打つかすむ、などそんな妙な症状が出る前に手術していれば、完全に元通りにならなくても、見え方の異常を最小限に抑えられただろうと思うのです。そこは、私が手術を決意するのが遅かったと思っています。(やはり私は鈍臭いのです…。)診断を受けた病院に定期的に通院し、見え方の異変と網膜の形(OCT)をしっかり観察していれば、もっと早く手術を決意できたかもしれません。

(ただ、そうしていたら、硝子体手術ができる医院だったので、そのままそこでお願いする流れになっていたでしょうから、そうなっていたらアプリコットさんと巡り合ってああだの、こうだのと術後を励ましあうこともなかったでしょうし、このブログもなかっただろうと思うと、これもまた運命だったんだろうなあと思うのですが。…しかし、一文が長い!戻り!!)

ならば「黄斑前膜が分かった時点で、なるべく早く手術をすることが一番良いのでは?」と、鄭先生に問うてみました!お答えは「手術にリスクやデメリットがないのなら…」そう、リスクやデメリットの可能性がない手術なんてないのですから、ドクターの立場からすると、手術というものをおいそれと勧めることはできないのでしょう。どんなに腕の良い名医が技術として最良を尽くしても、術前診断には限界があるようで、手術して初めて分かる事もあるのだそう。そもそも手術というのは生体に手を入れるのですから、患者の体質云々も関係し、予期せぬことが起こることもあるのでしょう。自分の大事な身体ですから、患者自身もリスクやデメリットとは何なのか?をしっかりと理解し(横浜相鉄ビル眼科の黄斑前膜の質疑応答をご覧ください)誰にでもそのリスクやデメリットは起こり得ることをしっかり覚悟しなくてはなりません。

こまめに、片目で見た時、両目で見た時の見え方、症状の進み方に注意しながら定期的に検診し、よく矯正視力が0.6くらいに落ちたらなどとありますが、私は視力よりも見え方(大きく見える、歪んで見える)を重視して、いつ手術に踏み切るかどうかを自分で決意することが大事だと考えます。(逆を言うと、症状が進行しない、見え方に異変がない人は手術というリスクを負わなくてもよいということです。)

黄斑前膜は、失明などの緊急性がないゆえにドクターから手術を急がれることはなく、手術のタイミングは多分に患者の自発的な意思に任せられます

見え方の不便の感じ方も、近視が強かったり、老眼や白内障が始まっていたりすると、本人も気付きにくいのですが、その複合的な要因も絡む故に、その微妙な見えにくさや視界の変化は、検査の結果からドクターが指摘できるものではないようで、やはり本人にしか分からないのです。だから、なんとなくズルズルと時が過ぎてしまう。そこがこの病気の悲劇なところだと思うのです。

白内障のように、進み方に少々差があっても(進行し過ぎてさえいなければ)手術すればほとんどの人が同じような良好な結果が得られる病気と違い、黄斑前膜は時間が経てば経つほど網膜は変形するでしょうし、物理的に考えても、大きく変形したものほど戻りにくいであろう、時間の経過と見え方がとても大事になってくる病気です。

私が過去に戻れるとしたら、大きく見えるのを感じ始めた時にすぐ手術をすれば良かった。(なぜなら、私の場合、今、人の顔が上半分を引き延ばしたように縦長に大きく見えるのですが、それがとても嫌だからです。縦横線の歪みも若干はありますが、それは気になるほどではありません。)

わずかに大きく見え始めた時も、その時点では視力が1.0以上あることで、その時にかかっていた病院の先生は、絶対的に様子を見る段階です!というスタンスが強くて、手術を意識することから私が離れてしまいました。特に不自由なことはなかったから、ズルズルと様子を見てしまった。そうして見えにくいという不自由を感じるまで進行したから、手術しても大きく見えるのが残ってしまったのでしょう。

その時私が感じた具体的な異変は、「人込みで周りの人が霞む」「階段の足元が霞んで見えにくい」でしたが、いよいよ不自由と感じたのは「明るすぎる店内で物の値段が見えない」「財布の中の銀色の硬化(1円、100円、500円)の区別がつかない」「爪の境目が老眼鏡をかけても見えない」「暗めの店内でメニューが全く見えない」などです。(今はそれらはスッキリ解消してますけどね☆)

年齢的に老眼が始まるときでしたから、老眼の症状なのか分らなかったのですが、私よりはるかに年上の人達よりも見えてない様子から、老眼だけでここまで見えないはずはないと判断しました。老眼は見えずらいから始まりますから、距離を離せば何とか見えるようになったりするようですが、黄斑前膜は離しても見えませんでしたから。まさしく、透明なゼリー状のものが眼前に張り付いているように、透明感はあるのに、見えなかったのです。

周りの同級生や、普段老眼鏡をかけている年上の先輩達さえ裸眼で見えているメニューが私一人全く見えなかった、あの時の不安と孤独感は今でも忘れられません。

 (今日も長文だなぁ…どうしても、長文になるんだなあ。。。)

 

追記:その後2年が経過した、黄斑前膜の術後3年半に改めて手術のタイミングを考え直しました。File9~File36があったからこそ、File37に至ったのですがお急ぎの方は一足飛びにどうぞ ⇩

hitsujigumo.hatenablog.jp

 

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)

File7*右眼●ー*黄斑前(上)膜の術後*ヨナのOCT!

ー*黄斑前(上)膜手術当時49才だった為、白内障手術を同時にしなかった私の場合*-

(黄斑前膜の術後*1年半)

 f:id:white-ivy:20200225152424p:plain が親友ヨナ(未手術)が先月半ばに診察を受け、OCTの結果を写メしてくれました! ヨナのことは、File3&4に書いています。

hitsujigumo.hatenablog.jp

hitsujigumo.hatenablog.jp

 (勿論、ヨナに掲載の許可を取っています。) 

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黄斑前膜と診断を受けたのは、右眼(写真右)だそうなのですが、右側が垂直に近い壺型に変形しているものの、まだしっかりとくぼんでいます。右の矯正視力は0.8で、左は1.0だったそうですが、驚いたのは、左眼(写真左)も引っ張られていること!まさにこれから膜が張りつこうとしているのでしょうか?ということは両目とも?!…これを知って泣きそうになっているのは私の方で、ヨナはとっても明るくてサッパリした性格で、まだ大きく見えるとか歪んで見えるとかがないのもあって、この事実にもケロッとしていて実にたくましいのです!

…ヨナはB型です。私はB型の人と気が合ってしまうようです。日本人はA型が人口の4割、O型が3割。その2型で7割を占めるというのに、私が気が合う人はB型とAB型が多いのです。(勿論、A型やO型の仲良しもいますけど、少ないのです。)話はどんどん逸れますが…、少し前に現役!東大卒!!という抜群の頭脳なのにとても親しみやすい高校の同級生のY君と会った時に「A型とO型に合わせれば7割成功するんだから、どうたらこうたら…」と言っていたのを聞いて、経済もそのように操作されているから、私は、みんなが面白い!という、いわゆるヒットする映画や本などが同じように面白い!と感じないのかあ…と。逆に視聴率が低いときの朝ドラや大河ドラマに限って、私にはこんなに面白いのになぜー?と不思議でしょうがなかったことに納得してしまいました。これ、マイノリティあるある!だと思うんだけどなぁ。。。

さて戻り、ヨナが初めて眼の違和感を感じたのは、1年ちょっと前だったけれど、1年過ぎてもまだこんなにしっかりくぼんでいる…。私は若いと進行が早いのでは?というのを一番心配していましたが、とりあえずくぼみもあるし、見え方の異常も感じていないようなので、まだ手術の段階ではない、という結論になったそうです。

ヨナは、近所の大学病院で診察を受けました。横浜相鉄ビル眼科のOCTとちょっと違うのは、機械の違いと、これがPC画面のコピーだからでしょうかね。その大学病院では、OCTのコピーは通常渡していないのですが…と言われながら、もらって?きたそうです。

横浜相鉄ビル眼科では、1枚30円でコピーを下さいますが…、実は先日、大高先生から、今更ながら衝撃的なことを言われました。その日のコピーは手間ではないけれど、さかのぼってのコピーが欲しいと言われると、PC内には保存してないので、以前のファイルを探して、その分厚いファイルから外したり戻したりがものすご~く時間がかかって大変なんや~(泣)!と。。。う!ごめんなさい!!そういえば、私がOCTがもらえることをしばらく知らなくて、術後1か月半検診の時に「今まで撮ったものが全部欲しいです!」と言ったら、その日たまたまコピー機のトナー切れだったのか「以前のものが鮮明にコピーできないのですが…いいですか?」とスタッフさん達が入れ替わり立ち代わりパタパタと私のところに聞きにいらっしゃいました。只でさえあふれんばかりの患者さんで大忙しなのに、お手を煩わせてしまい申し訳なかったです。でも、さすが大高先生が誇る性格の良いスタッフさんばかりで、誰一人としてみじんも嫌な顔一つされず対応して下さいました☆

しかしながら…左眼も黄斑前膜になりかけているヨナの今後に目が離せませんが、大高先生は、黄斑前膜の症状が進行しない人もいる!とおっしゃっていたので、手術のタイミングも意識しながら、しっかり経過観察していくことが重要だと思います。

ヨナはずっと視力が良く、就職してPCを使うようになってから少し視力が落ちたくらいで、高校生で0.05前後の視力で長年コンタクトをしていた私のように眼が弱い体質ではないようなのに、この歳で同じ病気になってしまうなんて…しかも両目かも…?

ヨナの今後に、幸運あれ☆彡

(術後患者として振り返りながら考える、手術のタイミング!は次の記事で。。。 )

 

追記(2021/4/11)

⇩ 以下は、とある眼科のHPより拝借いたしました。

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⇧ 画像をご覧頂くと分かるようにこれも壺型でヨナの凹み方に似ています。この黄斑偽円孔(おうはんぎえんこう)も黄斑前膜の一つとあるので、きっとヨナはこれなのでは?と思います。他の病院のHPにも、このタイプは症状が軽いので歪んで見えるなどが出ないうちは経過観察が一般的だとありました。どうりでヨナは3年も経過観察していられることに納得しました。。。

 

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)

File6*右眼●ー*黄斑前(上)膜の術後*のデメリットがメリットに☆彡

ー*黄斑前(上)膜手術当時49才だった為、白内障手術を同時にしなかった私の場合*ー

(黄斑前膜の術後*1年半)

 f:id:white-ivy:20200225152424p:plain の場合、手術をしたことによる一番大きいと思われるデメリットは、術後合併症である核硬化性白内障をもれなく発症してしまったことになるのでしょうが、私はこれをデメリットとは思っていません。 

白内障にはいくつか種類があるようですが、見えづらくなった水晶体を人工レンズに入れ替えるという手術(水晶体再建術)は同じだそうです。

我が黄斑前膜の友=ヨナはこれを聞いて…

ヨナ「えっ?!目玉を取り換えるってこと?」

私「目玉…というと白目も含む全部になるよねぇ…」

ヨナ「ああ…じゃあ!黒目を入れ替えるってことよねっ?!」

私「まあ、そうだよねぇ…?!」

という、何とも恐ろしくなるような会話のやり取りをしたのですが…、白内障!といえば、その昔亡き祖母が手術したときに初めてその名を知り、今や自分たちの親世代が順に対象となってくるであろう誰もが一番よく聞く眼の病気でしょう。でも、それがどんな手術なのかは知らない人がほとんどなのでは?と。。。

私は数年前にレーシックの手術をしていますが、これは素人表現で言うと、黒目の表面を薄~くレーザーで削っただけ!と認識しているのですが…、よく知ってみると多くの人が受けている白内障の手術の方がずっと凄いことをしている!!…そして私は、なぜか、アルプスの少女ハイジのおばあさんが目が見えなかったのを思い出し、あれはきっと白内障が進行したんだわ!と…、あの頃は白内障の手術という技術はきっとなかったのね…と思ったのでした。そして今更ながら、医療の技術の進歩ってスゴイ!!と今の世に生まれ、その恩恵を受けられることを有難いなあ…と思ったのでした。

万人がなるのであろういわゆる加齢性白内障は、老化が原因ですから個人差はあるのでしょうが、私の79才の父はようやく1年前に片目の手術を済ませましたが、75才の母においてはまだ手術をしていません。なのに、まだ50才の私が母を追い越して先に白内障の手術をしなくてはならないことは、単純に考えると悲しいことです。とてもゆっくり進む加齢性白内障と違って、核硬化性白内障急激に進行するので発症してから1年もてばよい方なのだそうですが、私は近視や眼精疲労が進んできているので、4月か5月頃に手術をお願いしようと思っています。(本当はもっと早くしてもよかったのですが、家族や仕事の都合上そのあたりに)黄斑前膜の手術から1年半ちょっとで再び手術です。

だったら、最初から黄斑前膜と同時に白内障手術をした方が良かったんじゃない?と思われるかもしれませんが、そうしていたらきっと現在便利に感じているこのモノビジョンという見え方を知り得なかったでしょう。

つまり、黄斑前膜の手術と同時に白内障の手術をしなかった→術後半年後くらいから、白内障が始まってきた→それ故に視力が下がってきた→結果、自然に右眼で近くを見て左眼で遠くを見るというモノビジョンになっていった!

これが私にとっては最大のメリットになったのです☆彡

黄斑前膜の手術(硝子体手術)と同時に白内障の手術をするかどうかのラインは、私がネットで調べたところでは、下は45才~上は60才と結構幅広い。私の通院している横浜相鉄ビル眼科のラインは50才で、私は手術当時49才4ヶ月だったため、「ピント調節機能を残しましょう。」という執刀主治医の鄭先生の提案を承諾し、白内障手術を同時にしなかったのです。(横浜相鉄ビル眼科HPでは、50才以上60才未満の人には、要相談となっていますが、同時に手術した方がメリットが多いようですね。)

、これがもし!「もうほぼ50才ですから、一緒にしちゃいますか?」などと言われていたら…(注!:鄭先生は決してこのような軽薄な言い方はなさいません!…じゃあ、誰?…いえ、あくまで、架空の、他院の若~いフランクなお医者様!の設定にしてみました!若い…、そう!若さゆえの悪気のない何げない一言!…のような…)とにかく!専門家(お医者様)にそう言われたら、きっとそうしたでしょう。

白内障の手術を同時にするならば、入れるレンズを<遠/中/近>の中からどれにするか選ばなくてはなりません。一般的には、見え方をこれまでと同じようにするために、優位眼に合わせるそうです。私の場合だと、それは正常な左眼(裸眼視力で1.0)ですから、右眼もそれに合わせ遠レンズを選んだでしょう。いくら私が下調べしっかり派で、事前にモノビジョンの知識を得ていたとしても、いきなり「これからはモノビジョンでいきたいので、左右で遠近別々の見え方になるレンズにしたいです!」とは、さすがに言わなかったでしょうから、偶然にして幸運な流れのように感じています。

追記;どうして黄斑前膜の手術(硝子体手術)をすると、術後に白内障になるのか?を鄭先生に伺ったら、以下の回答を下さいました。

「硝子体手術をするとなぜ白内障になるのか?実は、詳しくはわかっていません。硝子体を最小限しか切除しなくても白内障を発症することもありますし、若くても発症する時は発症しますし。代謝の変化、水流による刺激、眼内圧の変動、などがざっくりとした白内障のトリガーとして考えられますが、すべては仮説の域を出ないです。原因がわかっていれば対処の仕様がありますが、わかっていないので、硝子体の切除量を少なくする、可及的速やかに手術を行う、くらいしかできることがないのです。」

 と、とっても解りやすくて、丁寧な回答にちょっと感激 ♪(…って、ほんとに解ったの?)

 

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医鄭(てい)先生*ー

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)

File5*右眼●ー*黄斑前(上)膜の術後*1年5カ月の今の見え方は?

黄斑前(上)膜手術当時49才だった為、白内障手術を同時にしなかった私の場合*ー

(黄斑前膜の術後*1年5カ月)

  f:id:white-ivy:20200225152424p:plain 後1年3ヵ月検診の記事では、慣れない画像張りに必死で…OCTを披露しただけで力尽きてしまい、肝心な見え方についてお伝えできていませんでしたね。 

術後1年5カ月経った今、右眼だけだと縦長に大きく見え(具体的に言うと、2m先のまん丸な壁掛け時計が1.1倍上方向に引き延ばして見え)縦横線もまだ若干ゆがんでいます。OCTの画像でもあれだけ正常なものと差があるのですから、こんなものかなと思っていますが、その右眼をもってして両目でどのように見えているのかを詳しくお伝えしましょう。

私は現在、術後の合併症である核硬化性白内障を発症していて、その急な進行のせいで右眼の裸眼視力が0.2くらいまで落ちています。よって、近くは(老眼が始まって見づらくなっている)左眼をカバーするがごとく、この近視になった右眼で見ています。そして、数年前にレーシック(近視矯正手術)をして遠くが見えるようになった左眼で遠くを見るという、モノビジョンの状態です。遠~近を見るのに、左右の眼でよりよく見える方を脳がうまいこと切り替えてくれているのです。遠~近距離へと脳が瞬時に切り替えているのですが、数か月かけて右眼の視力が落ちるとともに自然とモノビジョン状態になったので、頭痛がするとか、眼精疲労が増したということもありません。遠近どちらも見えるようになり、とても便利に感じて喜んでいます ♪ が、その見えるというのは字が読める!というような情報として識別できる!ということで、全体の画像としては(とても明るいところ、晴れた日の外など、は特に)違和感はあります。モノビジョンといっても、私の場合は完全に左右を切り替えているのではなく、反対の眼の画像が薄っすらと被っているから、左右の画像が一致しない分の違和感になるのでしょう。(おそらく明るいとことでは眼が画像をしっかりキャッチしてしまうからだと思うのですが。)でもまあ、もう慣れましたし、ここまで見えるようになったことに比べれば、このくらいの違和感にぶうぶうとは言えません!(術前は見えづらいどころではなく、見えなかったのですから…霞むというよりは、正に透明なゼリー状のものが眼に張り付いているようで見えなかったのです。そのままそれが硝子体の膜!だったのでしょうが。)

遠~中距離は主に正常な左眼で見ているので、当然、遠~中距離は正常な視界なのですが、単体で光るものだけは0.2まで落ちている右眼もそれが見えてしまうようで、お月様や信号、TVの赤い電源などは2つに見えたりダブって見えたりします。私は今は車の運転をしていませんが、正直この見え方で運転するのは怖いです。(必要があって慣れていけば、できないこともないとは思いますが、日差しの強い日や夜は特に怖いと感じるのでは?と想像します。ただ、白内障もダブって見える症状が出るようなので、白内障の手術をするとこのダブリは軽減するかもしれません。)

近くは主に右眼で見ているので、若干縦長に拡大して見えます。字が大きく見えるのは読みやすくなるので大歓迎なのですが ♪ 唯一、困るというか、改善できると嬉しいなあと思うのは、写真の人の顔がおでこの辺りを上方向に引き延ばしたように縦長に見えることです。これはみんなの顔が面長に見えるだけでなく、ちょっとブサイクに見えるのが悲しい;なので、正確に見たいときは、老眼鏡をかけ右眼をつむって左眼のみで見るのです。あとは、困るほどではありませんが、ハサミで真っすぐに切るとかシールを真っすぐに貼るといった正確な作業にはちょっと自信がありません。

どんな風に見えるまで回復するのかが、一番気になるところですが、術後1年半になろうとする今、回復は更に緩やかになっていて、今後劇的な回復があるとは考えにくいのですが…、私の場合は白内障の手術も近いうちに控えていますから、その術後にまたどのような見え方になるのか、記録していきますね!

追記;逆にスゴイ! と思うことを、ここで

左右であれだけ網膜の形が違うのに、ダブって見えるのは単体で光るものだけ、つまりそれ以外は、右か、左か、その間をとった画像、になっていてダブって見えないとこが、スゴイ!まあ、右眼の視力が落ちているからなのでしょうが、それでも脳の画像処理能力って、素晴らしい!と、私の体の中でのことなのに、無意識なところで頑張ってくれている私の体に(変な感じですが)感謝してしまいます ♪

それから、黄斑前膜になる前、両眼よ~く見えていた頃は、道を歩いていると前から来る人に視線を向けなくても、かなり遠くからそれが誰なのか分かったのですが、今は視線を向けないとすぐ近くですれ違っても分からない(それが人であることくらいは分かる)のですが、これが意外といいのです!余計な情報に振り回されないというか…、会いたくない人とすれ違っても気が付かないというのは、なかなかいいものなのです ♪

 

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医*鄭(てい)先生*ー

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)