羊雲

羊 雲

✥ 復路の羊のふんわりノート ✥

File15*右眼●ー*黄斑前(上)膜の術後*白内障手術の延期!

ー*黄斑前(上)膜手術当時49才だった為、白内障手術を同時にしなかった私の場合*-

(黄斑前膜の術後*1年9カ月)

 f:id:white-ivy:20200225152424p:plain 今日白内障の手術をする予定でしたが、来週に延期になってしまいました。。。

朝方の大阪で起きた地震の影響で新幹線が止まり鄭先生が新幹線に缶詰めになってしまい、いつ運転が再開されるのか分からないとのことで、急遽、このままいつこちらに到着できるか分からない鄭先生を待って手術してもらうか、来週に変更するか、という選択を迫られたのです。

 11時台の手術の予定でした。朝9時には受付をするよう言われていて、普段の出勤時より早く家を出る為、バタバタしていてTVも付けなかったので、医院でスタッフさんに言われるまで地震のことは知りませんでした。普段の定期健診は午後3時頃に行っているので、朝9時の医院は久々で…相も変わらず廊下の奥の方まで人がいっぱいでした!…聞こえてきたところによれば、大高先生も新幹線で足止めをくらっているとかで、とりあえず特急コースの先生のみで診察をするとのことでしたが…朝一からあふれんばかりの患者数、本日は鈍行になるのは必至でしょうから帰る患者さんもチラホラ。私も定期健診ならさっさと後日に出直しますが、手術ですから、翌日、翌々日、週末…と術後検診のために仕事の休みをスケジュールしていましたし…さあ、どうしましょう?と、しばし考えました。その間、近くにいた手術の患者さんが、スケジュールの調整がきかないから今日でないと困る、とか言っているのが聞こえてきます…。鄭先生がどの辺りで缶詰めになっているのかは分からないけれど、相当かかりそうだなあ…きっととてもお疲れになっていらっしゃるだろうな…と思うと、無理に今日してもらうより後日ベストコンディションでして頂いたほうがお互いのためにいいかな、と考えました。でも手帳を持ってこなかったので、まずは来週の仕事の予定を思い出します。そもそも肝心の来週の月曜が休みだったかどうか…?そうよ!術後検診のために月・火とお休みを取っていたのを思い出し、その後は連続勤務だけど…まあ、どうにかなるだろと、来週手術をすることに変更しました。

帰宅後、TVを付けると震度6弱と大きかったようで被害状況をずっと放送していました。午前授業で大学から帰ってきた息子と一緒に昼食を取りながら、1時前に新幹線の運転が再開されたことを知り、鄭先生は何時に医院に到着できるんだろう?長時間新幹線で座りっぱなしの後、手術されるのは大変だろうなぁ…(私もかつて、乗った新幹線が台風の影響で動かなくなり、朝まで過ごして辛かった記憶があるので、座っていても長時間同じ姿勢というのは結構疲れることはよく分かります)などと思っていると、急~に食後の睡魔に襲われ、そのままベッドで2時間も爆睡してしまいました。。。

というのも、私はお風呂上りに和室の窓辺で空を見上げてよく涼むのですが、昨日も寝る前に和室から夜空を眺めながらふと、右眼の水晶体に、これまでよく働いてくれたね!あなたのお陰でこれまでいろんなものを見てこれたよ!とお別れの気持ちが湧いてきて、涙が出そうになるのに出なくて…そんな気持ちの微妙な高ぶりのせいか、眠りが浅かったのです。(水晶体…、水晶のように透明だから?細かく砕かれるのではなく、きれいに取り出してもらえるのなら、見てみたいなぁと思う。)

今回の手術、鄭先生はまだ急がなくても大丈夫とおっしゃって下さっていたのに、手術する気になったのは、見えにくさが少しずつでも進んでいるのを自覚する中で、持っても1年弱というカウントダウンのような状態での時間の経過が負に向かっているように感じ、心がどんどん縮まっていくようで、嫌だったのです。治る可能性があるのならその努力をするけれど、徐々に悪くなるしかないのなら、何だか小さな爆弾を抱え続けているようで、それが嫌だったのです。そういう感覚が背中を押したのです。

地震で手術が来週に延びたこと。最初は、ま、そんなこともあるさ!くらいに思っていましたが、地震で多くの方が怪我をされていること、亡くなった方もいらっしゃるのを知り、ともかく鄭先生がご無事でよかった!と今夜も和室から夜空を眺めながら、思い直したのでした。。

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています) 

File14*右眼●ー*黄斑前(上)膜の術後*体験談と余談

ー*黄斑前(上)膜手術当時49才だった為、白内障手術を同時にしなかった私の場合*-

(黄斑前膜の術後*1年9カ月)

  f:id:white-ivy:20200225152424p:plain は黄斑前膜と分かる直前、今からもう3年前になりますが、ちょうど息子が高校生になり、これからはお金がかかる!という時、派遣から正社員の仕事への転職活動をしました。

派遣では住宅販売の営業補佐をしていたので(結局今も変わらないのですが)いっそ宅建の資格でも取って営業を頑張ろうか?と考えたり、しかし営業の大変さもよく分かっていたし、暗記が苦手な私が今更宅建に受かるとも思えないし、そこまでやる気もないような…で迷いながらの転職活動。しかも職種もあやふやに活動したので、年齢的にふるいにかけられる中ようやく面接まで進んでも、その迷いや甘さが出てしまい、うまくいきませんでした。実はその時、職場に苦手な先輩がおり、逃げ出したかったのもありました。そんな中途半端な気持ちでうまくいくはずがありません。不仲な先輩との関係は益々悪化し、転職活動もうまくいかず、更に息子の高校のある問題に頭がおかしくなりそうになっていたところへ、突如、視界の異変を自覚したのです。

この、初めて視界の異変を感じたときから、黄斑前膜の手術に至り、術後落ち着いてくるまでの経過を、横浜相鉄ビル眼科のHPに体験談として寄せていたのですが、

なんとこの度!

厚生労働省の「医療情報の提供内容等のあり方に関する検討会」により、病院のホームページに患者体験談を使った広告の禁止が、2018年6月1日から施行。

 されたそうで、医院のHPから患者の体験談を削除せざるを得なくなったとか。

私の寄せた、鄭先生への公開ラブレター♡おぼしき体験談は、1年間という期間限定のものと相成りました。。。

私の寄せたものが無くなるのはともかくとして、患者さんの実話である体験談は、同じ病気で悩む患者にとっては最も知りたいところだと思うのです。同じ病気に立ち向かいそれを乗り越えたからこそ、今を明るく語れる患者さんの声は、今を悩んでいる患者さんの何よりの勇気になると思うのです。かつて私も同じ病気の方の体験談を読み、もっともっと知りたくて探しました。だからこそ、今こうして発信し続けているのです。

(でもそれは、回復途中の私にとっても、自分を理解する心の最大の整理になっています。考えているだけでは断片的でまとまらないのに、書いているとそれらが繋がっていき、答えが出るように気が付く!そしてスッキリ!ということも沢山あるので、自分自身の為にもなっているのです。同じ病気で悩み、時に泣いているかもしれない人の役に立てれば!と思いながらも、同時に、書いている自分に自分も励まされているのです。)

ですが院長・大高先生の個人のHPには、患者さんからのお礼のメールとして残っているものもありますので、ぜひそちらにご訪問下さい  

眼科医 大高功(おおたかいさお)

そして、当時、視界の異変はほどなく黄斑前膜と分かり、進みゆく見えにくさと手術への不安から、転職どころか今の仕事すら続けられるのか?と、踏みとどまるのに必死になることになりました。結局、収入は少なくても、残業もなく、通院で休みの調整もしやすく、責任の薄~い今の派遣の仕事が、要領よく家事との両立ができないどんくさい私にはちょうど良かったのです。あの時、転職がうまくいかなくて正解だったのです。正社員になっていれば収入や遣り甲斐は上がったでしょうが、きっと残業や責任感やストレスで、私には家事との両立はとても無理だったでしょう。(神様は、そこんところをよーく分かってらっしゃったということです)

…実は先日、職場でその当時不仲だった先輩に偶然、3年ぶりに会ってしまいました。お互い、会いたくなかった相手に会ってしまった!…というのがモロバレな、これぞ上っ面!な挨拶しかしませんでしたが。(しかし、勿論そこは大人な笑顔です^^;嗚呼…笑顔って、時にとっても便利だったりする…)

というのも、関係が悪化した結果、更衣室で大ゲンカ別れ!以来の再開だったからです。(ヒャ~!あ、でも殴り合いではありませんから、流血はしておりませんので、ご心配なく。。。)

血液型を問われるとき、必ず「O型でしょ?」と言われるほど(O型じゃないけど)普段は穏やかな私ですが、意地悪な人は大っ嫌い!その先輩が異動してきてからの数か月、溜まりに溜まった不満からつい、営業さんや上司が周りにいたにも構わず言い返してしまった!日の帰りの更衣室で猛反撃をくらい(そう、賢い先輩は周りに人がいないところで強いのです!)帰宅後も怒り爆発なメールがきて、それを読んだ私は「もう、いやっ!」と携帯をソファーに叩きつけたのでしたが、その後先輩の方から異動を希望したらしく、それきり会うことはなくなったのです。しかし、その先輩によって私の悪評があっという間に広まったようで、それを聞きつけたかつてお世話になった他の先輩から心配してもらったり、彼女が苦手だった人は他にも何人もいたようで「ようやった!」とアッパレ扱いされたりで、勝ったのか負けたのかよく分からない結果でした。

(ふわふわもこもこ、柔らかくおとなしい印象のさん。しかし、そのもこもこの下には…侮ることなかれ!ちゃんとを持っているのよ。…と友人に言われました。そういえば、戦った先輩はトラだったなあ…そら、角出さないと勝てないわなぁ…。)

しかし、よく考えると、これまでも以前のパート先で、言い返してやりたい!と思うもっと酷い上司や先輩は沢山いたのに、結っ構泣かされたのに、当時は絶対に言い返すなんてできなかった。なので、我慢して我慢して溜まったストレスが限界に達すると、自己防衛本能として突然に転職スイッチが入り(ま、パートですけど)2年足らずで転職!を3回しました。いろんな努力をして頑張れるだけ頑張るけれど、もう無理!となったら、転職スイッチが入る。理由があるにせよ続けられないのは、根性なしのようで嫌だったのですが…ある友人に言わせると「長く続けている人は優秀、というわけでもないのよ。アイちゃんが2年で辞めた、というところがポイント!自分にとって3年を超えて続けるだけの職場なのかどうかは重要なところで、3年を超えると良い意味でも悪い意味でも変わってくるのよ。石の上にも三年、の意味は深いのよ~!」と。

へ~、そうなの??…良かった!根性無しじゃない説もあって!と喜んだのです ♪

ハッ!その先輩と喧嘩になったのは、この職について3年半の頃!3年を超えていたのも関係あったのかしら?それ以外の大波はなかったので、この仕事、気付けばもう7年目!Oh~!今、それを旦那に言ったら「長いじゃん!」と。そう、私は結婚前も転職していて、派遣ながら今の職が自己最長記録を更新していることに…。

でも、今思い返すと、あの頃が更年期による精神的なイライラがピークだった気がする。あの頃の私はどうかしていた、と思うのです。ホルモンバランスの乱れは、ブレーキが利かなくなってしまうのですから…やはり、恐るべし更年期障害

「思秋期、ミドルエイジクライシス、更年期障害…。全てはホルモンバランスの乱れのせいなのねー!」と、友人たちと深くうなずきあったのでした。。。

 

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)

File13*右眼●ー*黄斑前(上)膜の術後*決めた!

黄斑前(上)膜手術当時49才だった為、白内障手術を同時にしなかった私の場合*-

(黄斑前膜の術後*1年9カ月)

 f:id:white-ivy:20200225152424p:plain 眼・白内障手術の眼内レンズを、焦点40㎝に決めました!

私としては、ハーッ ハーッ ハーッ (…笑っているのではありません)と息が切れるくらいの、選択でした。…焦点40㎝と50㎝…、「そんなに変わらないんじゃないのー?」と言われそうですが…。。。

この数週間、私はずっと「40か?50か?…40か?50か?…」と口癖のように呟いていました。いろいろと想定したり、更に調べたりしてもなかなか決められずに、自分でもなぜこんなに迷うのか?…と。。。

確かに、私は、何かと どんくさい のですが、それは主に行動であって、思考における決断においては割とすぐに決められる方だと思っています。(よって、その理由はどんくさいからではありません!)…きっと、黄斑前膜になっておらず、左右のモノの大きさが同じに見えていれば、もっとシンプルに決断できたと思います。

元々希望する焦点は、40㎝でした。

だけれど、裸眼で1.0以上見えている正視の左眼が、将来白内障になり視力が落ちてきたときに、眼鏡で矯正すると、右眼の眼内レンズは焦点50㎝(2ジオプター以内)でないと(左右のモノの大きさが違って見える)不同視になる?

そもそも、そうなったときに、左眼だけ遠くが見えるレンズの入った眼鏡をかけて、眼鏡によるモノビジョンって成り立つの?

そうなったら、さっさと左眼も白内障の手術をして遠くが見える眼内レンズを入れれば、そのままモノビジョンでいられるのでは?…でも、そうなったら、中間距離が見えにくくなる?…ついに中間距離まで気にしだしたか?!

だって!今職場で目の前に座っている一回り歳上、同じ羊の眼鏡のオジサマ上司が、机に座りパソコンに向かうと普段かけている眼鏡を外し、パソコン距離用手元距離用の2つの眼鏡をかけ直しーかけ直しー仕事をしているのです。そして、しょっちゅう目の前の私に向かって「目が疲れる…」と言って目薬を点しながら「遠近両用の眼鏡にしようと思ってるんだけどね~」と言っているのに、いつまでも合計3つの眼鏡を使っているのを見ていると…それはそれは更に私にいろいろと考えさせるのです!

このように、私の性分はフル稼働し、諸々の想定による疑問が湧き出たのですが…、不確かなことは断言なさらない鄭先生を「予測不能です」と貝にしてしまったように…その予測の難しさにいつまでも決められなかったのです。。。

そして結局、中~遠距離を正視の左眼で見ることで、人の顔も鏡に映る自分の顔もそのままの形に見えることを重視したいので、右眼の縦長に大きく見える視界はなるべく近距離に抑えたい、そして今の生活とその少し先の生活を想定して考え、決めました。

今の仕事は、先ほど述べた3つの眼鏡を使っているオジサマ上司がいる職場はほぼデスクワークなのですが、もう一つの住宅販売の営業補佐の仕事では、受付、お茶出し、電話受付、パソコン入力他事務作業、在庫パンフの補充発注、住戸の掃除等…1日中、立ったり座ったり移動したりしていますから、術前や術後しばらくの頃はしょっちゅう老眼鏡をかけたり外したりしていました。制服があり、その胸ポケットに老眼鏡を入れていたのですが、うっかりどこかに置いてしまって、ない!ということもあり、その時にお客様がお帰りになった商談宅を急いで片付けたつもりが、ちゃんと片付いてなくて注意される!ということもありました。住宅販売の商談宅は、イマドキおしゃれな暗暖色で、必ず物件周辺の地図が印刷されたデスクマットが敷いてあるのですが、それに貼ってあったフセンや出たままになっていたクリップが、明るさが足りないのと地図のごちゃごちゃで裸眼では全く見えなかったのです。それからすると、今はちゃんと裸眼で見える!まで回復したことの有難さよ!!そして、私にとって、モノビジョンはこのような今の仕事にはとても便利なのです。

しかし、通常、白内障手術やレーシックでモノビジョンに設定する場合は、優位眼(利き目)を遠くが見えるようにするらしいのですが、私の場合は逆で(自然とそうなったのですが)優位眼の右眼で近くを見ているのです。いわゆる指で輪っかを作り、両目で見た状態で少し先にあるものにその輪っかが入るようにして、片目ずつつむって輪に入ったものが見える目が利き目らしいのですが…今、それをしてみても視力が落ちているボケボケの視界の右眼が利き目になるのです。利き目が変わってくれればいいのですが、長年担ってきたその座をなかなか明け渡そうとしないようです。術後間もなくの頃、アプリコットさんのブログにも書いてますが、利き目を変えよう!として、しばらく眼帯をつけて過ごしたことが懐かしく思い出されます。自分の身体の一部なのにコントロールできないもどかしさよ。。。(もう慣れましたが)私のモノビジョンに違和感があるのは、そのせいかもしれません。

私は今、車の運転もスポーツもしてませんし、今後もする予定がなさそうなので、このままモノビジョンで焦点40㎝の眼内レンズに決めました。でも、自転車には普通に乗っていますし、毎朝のように?駅まで階段を含め走ったりもしていますので、そのくらいの行動はできますが、車の運転や球技などのスポーツは難しいかも?と思っています。テニスや卓球でもする機会があれば、試してみたい気持ちはありますが、慣れれば遊びにはできるでしょうが、それをしっかり頑張りたい人にはモノビジョンはどうかな?と思います。車の運転やスポーツは、スピードや遠近感、視野の広さが重要だと思うからです。

(黄斑前膜の手術は白内障手術を同時にして左右の視力を同じようにする人が多いでしょうから、私のようにモノビジョンにはならないでしょう。術後数か月はダブって見えたりするかもしれませんが、網膜の戻りが落ち着くと、左右の視界の中間で像を結ぶと思います。私のように人の顔が少々歪んで見えることを気にすることよりも、運転やスポーツを優先したい人には、モノビジョンでないほうがいいと思います。)

普段、老眼鏡をかけるのは、パソコンやデスクワークをするときです。料理を作るときはかけなくても、みじん切りもできます。新聞を読むときはかけたほうが見やすいですが、寝る前に寝転がって読書をするときは裸眼です。

TVの距離は正視の左眼で見ていますが、普通に見ていますし特に疲れるということもありません。TVはそんなに長時間視ることはありませんが、パソコンは長時間使います。でもブルーライトカットの入った眼鏡のお陰か、特に疲れません。(黄斑前膜の手術をする前、ブルーライトカットの入った眼鏡もかけていないときは、とっても疲れていました。)

お月様は一番遠くにあるのに、シンプルなbackに光り輝いているので、近視の右眼もしっかり捉えてしまい、離れて2つに見えます。光っていなくても、単純なもの、しかも丸い物は少々遠くにあるものでも、ダブって見えます。

この今の視界と同じくらい、若しくは若干見やすくなるのを期待して、右眼に焦点40㎝の眼内レンズを選んだのですが、勿論、焦点ズレする可能性はあるそうです。それは、人の眼は精密機械ではないから、計算式通りにいかない眼球の形だとそうなりやすいとか。屈折とか難しい事は分からないけれど、つまりは眼球はほぼ丸いけど、精密にまん丸ではなく、多くの人の眼球の形を平均した計算式に沿って手術をなされるけれど、その人の眼球の形によりズレが生ずることもある、という理解でいいのかしらん?鄭先生?!

さあ、どうなるのか?

ちょっと、ドキドキ!ちょっと、楽しみ ♪ です。。。 

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)

File12*右眼●ー*黄斑前(上)膜の術後*運転免許の更新!

ー*黄斑前(上)膜手術当時49才だった為、白内障手術を同時にしなかった私の場合*-

(黄斑前膜の術後*1年8カ月)

 f:id:white-ivy:20200225152424p:plain 転免許の更新に、行ってきました!

優良ドライバーなので、5年ぶりの更新です。…しかし、その間1度も運転していません。というのも、我が家は現在、車を所有しておりませんから。車を手放してからもう、何年になるでしょうか。。。

地方に住んでいると、車は移動手段として絶対に必要なものでしょう。しかし、こちらでは電車通勤が多いですし、道路の渋滞具合は半端なく、電車の方が絶対に速いですから、車を持たない家庭はそれなりにあるのです。私もかつて生まれ育った山口では一家に一台は当たり前で、お父さんが通勤で車を使うから、日中お母さんの移動手段として軽自動車がもう一台、というおうちもざらでした。ですから、上京してきたばかりの頃、横浜の親戚が車を持っていないことを知った時「えっ?!なんで?どうして?」とひどく驚いたものですが…やはり横浜に住んでいた旦那のうちも車どころか、両親とも免許すら持っていなかったのです。つまりは、こちらではそこまで必要としていない家が結構あるということなのです。我が家も、息子が小さい頃は家族で遊びに行くことも多かったので、小さい子供とのお出かけは何かと車の方が便利でしたが、息子が大きくなり、私も仕事を始めると、普段の買い物は自転車で行けるところで十分足りるし、お米やビールなどの重いものはネットで買えるしで、車に乗って出かけることが滅多にない!ということになってきたのです。しばらく乗らないとバッテリーは上がるし、維持することが大変になってきて…ある日故障したのを機会に手放すことにしました。駐車場代に保険に税金…維持費はばかにならず、いざとなったらタクシーやレンタカーを使う方が安上がりだということに ♪

そして、身体的事情が変わってしまったこの度、免許を更新するか否か…迷いました!

今後もこちらに住み続ける可能性は高く、そうするとこの先運転する機会はもうないような気がするし…それに何より、今のこの見えかたで運転するのが怖いのです。。。

 

私は、大学在学中に運転免許を取りました。小さい頃からなぜか車の運転に興味深々で、遊園地では必ずゴーカートに乗っていました ♪ (母曰く、母が自動車学校に通っているときに私を授かったことにしばらく気付かず、結構運転していた!からだと…)ですから、実際に免許を取ると、レンタカーで遊びに行くだけでは満足できず、どうにもこうにも自分の車が欲しくて仕方なくなり、親にお願いしたのですが…。北九州という交通治安が決して良いとは言えないところで1人暮らしをしている娘に、学生の身分で車を所持し、免許取り立てで北九州の街を走り回るなど、以ての外!けんもほろろに…。まぁ、どんな親でも当然反対するでしょう。。。ところが、わたくし、どーにも我慢できず、親に内緒で(今は無き)中古のホンダ・シティを15万で買ったのです!軽ではなく、小さくても普通車が欲しかったのです!白くてコンパクトなシティに、その頃キティちゃんが大好きだったのでそのまま”キティ”と名前をつけてました。その頃ドアミラーが増えてきて、フェンダーミラーはカッコ悪い扱いをされる中、その中古車・シティはドアミラーであったのに、自動車学校のチェイサー(懐かしい…)がフェンダーミラーでそれがあまりにも見やすかったので「絶対にフェンダーミラーがいい!」とわざわざフェンダーミラーに付け替えてもらって(…というか、付け替えてくれたら買う !とディーラーさんを泣かせて)買ったものですから、友達には「さすが、アイちゃんやねー!フェンダーミラーと言えば、パトカーか!タクシーか!アイちゃんか!」と言われました。あれから数十年、今や全く見なくなりましたね~、フェンダーミラー。

実はあの頃少しだけお付き合いしていた人が車を持っていたのですが、とにかく自分の車で運転しまくりたかったのです。。。

でも勿論、親に黙って車を買うことにはためらいは大いにありましたから、ヨナにも彼にも相談はしました。ヨナは「私が何と言おうと、アイちゃんは買うやろ!」とか言って、2人で笑い飛ばした気がします。一つ年上だった彼は心配して反対するかと思ったのですが「アイちゃんももう成人してるから(大学4年生でした)いいと思うよ」と言われ、意外な気がしたのを覚えています。

…そしてこの親不孝は、今でも親に…内緒…にしています。。。

しかし…当時、その15万円のローンを返す為に駐車場を借りるお金がなく、大学の駐車場や路上駐車を繰り返しながら、よく卒業するまで1年も乗り続けたと思います。今思えば、何とお転婆な…というより無茶苦茶毎日のようにバイトに行くとき、足を延ばして福岡の友達のところや、時に山口の実家にさえも乗って帰るというふてぶてしさ。(少し離れたところに路上駐車したりして…)そして極めつけは、就職活動に東京まで高速飛ばして行きました。。。友達と旅行気分で ♪ 右も左も分からないのに、友達の地図ナビだけであの激しい首都高の波に乗り、幾度も分岐を繰り返し、行徳の友人宅まで行ったときは、友人の彼氏がひどく驚いていましたっけ…。よくぞ、ご無事で!…若いって、コワイわぁ!?

でも、こんな風に今まで十分運転を楽しんできたので、運転することにはもう未練はないのです。だからもう更新しなくてもいいかな、と思い旦那に何げなく言ってみたら「でも…、一応運転免許は持ってた方がいいと思うよ」と言うのです。もう今の見え方では運転すること自体が怖い、ということも伝えた上でこう言われたのが、何だか遠回しに「まだ見え方は改善するかもしれないだろ」と希望を持たせてくれたように感じて、少し嬉しくなりました。きっと、そこまでの意味はこもってなかったのだろうけど、それを言われた時に私の心が軽くなったというか、ふわっとしたのです。この感覚を大事にして、良いように捉えておくことがポイントです ♪

旦那はこのような励ましの言葉を口にするタイプではありません。むしろ「ありがとう」も言わない、可愛げのないヤツです。12月生まれなので同じ羊歳なのですが、予定日より3カ月も早く生まれてきたらしく…つまりは羊の皮を被ったなのです!

何事もどんくさいのに白黒つくとサッサと捨てる派の私とは反対に、一応取っとく派の旦那。ただ単にそれ故だったのかもしれませんが、そこで、私も若い頃なら人に聞いておきながらも最終的には自分の思うとおりに突き進まないと気が済まなかったのですが、いつしか「あなたがそう言うのなら、そうしとこうかな」とすることがまんざらでもないようになりました。

さて、いつものように前置きが長ーくなりましたが、、、

運転免許の更新と言えば、視力検査合格しなくてはなりません!

若い頃から長い間コンタクトをしており、数年前からはレーシックのお陰で裸眼でバッチリ見えていましたから、今まで更新だからと言って視力検査を意識することはありませんでした。今回も、右眼の視力は落ちているものの、両目で遠くまで見えるのだから大丈夫でしょ!と勝手に思い込んでおりました、警視庁のHPには、いわゆる普通免許の視力合格基準は次の通りでした!!

両眼で0.7以上、かつ、一眼でそれぞれ0.3以上、又は一眼の視力が0.3に満たない方、若しくは一眼が見えない方については、他眼の視野が左右150度以上で、視力が0.7以上です。

 そうだったのか!と驚いてしまいました!!

そして右眼の結果は、そのボーダーラインの0.3が、白内障手術の予約で視力検査したときよりももっと見えなくて焦り、力を込めて目を凝らし、ここでは俄然頑張りました!「眼鏡を作った方がいいかもしれませんね~」と言われながら、何とか合格。そこで、今後免許を更新するには、右眼だけ遠くが見える度の入った眼鏡が必要になるかも?と考えていたら…あることに気が付きました!

白内障の手術で、右眼に近くが見える眼内レンズが入ったら、今よりもクリアに見えるようになるけれども黄斑前膜の術後の大きく見える症状は変わらない。そこへ、右眼だけ遠くが見える度の入った眼鏡をかけると、度の入ってない左眼で見ている視界より、度の入っている右眼の視界の方が凹レンズにより小さく見えるはずだから、黄斑前膜の術後の大きく見えるのとプラスマイナスした結果、左右の視界はほぼ同じ大きさに見えるかも?!

これ、とってもややこしいのですが、前回書いた不同視理屈です!

あら?!何だか、画期的ねーと思っていたら…わたくし既にそれ実践しておりました!

今まさに、パソコン打ちながらかけている、左眼だけ度の入った老眼鏡です!老眼鏡は凸レンズですから、度の入っている左眼だけ大きく見えるのですが、度の入ってない右眼は黄斑前膜の術後で大きく見えていますから、結果左右がほぼ同じ大きさに見えている!

どーりでこの老眼鏡をかけたときの視界が、裸眼でモノビジョンの普段よりもずっとスッキリ見える!と思っていたら、やはりそんな種や仕掛けがあったんですね!!

元々は両方度を入れて作ったのですが、右眼が近視になり始めた時に、視力が落ち着くまで右眼は度を入れないものに変えてもらったという、偶然の賜物だったのですが…。

そして…警視庁HP掲載の視力合格基準の後半部分、「一眼が見えない方については…」を読み、File2で書いた、片眼しか見えなくても雪の中を車を運転してきて下さった修理屋さんのことを再び思い出したのでした***

…って、吞気なこと言ってる場合ではないのです!医院に電話で聞いたら、眼内レンズの変更はなるべく今月いっぱいに連絡を!とのことで、実はまだ、焦点40㎝か50㎝かで迷っているのです…)

 

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)

File11*右眼●ー*黄斑前(上)膜の術後*白内障手術の予約!と、迷い。。。

ー*黄斑前(上)膜手術当時49才だった為、白内障手術を同時にしなかった私の場合*-

(黄斑前膜の術後*1年8カ月)

 f:id:white-ivy:20200225152424p:plain 眼・白内障手術の予約を、6月にお願いしてきました!

右眼の矯正視力0.6でした。

、例のマークはとっても薄く、にじんでぼんやりとしか見えませんでした。

…これが見えるといえるのか?…いっそのこと「見えません!」と言った方がいいのでは?…こんなの見えてるうちに入らないじゃん!!と思っている心とは裏腹に、口では「う~ん…、右~?」「…ん~…、上~?」と言ってしまい、それが全部当たっていたのか?検査士さんは何だか満足気でしたが、私は…何ともスッキリしない結果でした。

この視力検査、実は大高先生が以前に連載されていた大高 功のガイド記事一覧 All About

のどこかの記事に「…視力検査で頑張ってしまう人がいるが、正しい結果のためには頑張らないでほしい…」のように書かれていたので、そうか!と意を決して臨んだのです。にも関わらず、根が頑張り屋さんな私は「見えません!」と言い切れずに…「ん~」と唸りながら目を凝らし、それを検査士さんは優しく静かに待ってくれるのです…。そして、まるで検査士さんとの根気比べ!に負けた私は、何とな~くそんな気がする方向を答えると当たっている?…の繰り返しで、結果頑張ってしまったようになってしまいました…。あーん、これが白内障の手術の度数に影響しないといいけど…、と少し不安です。(は~っ、つくづく私はアホや!…でも、All About の大高先生の記事を久々に読み返してみると、医院のHPよりは綺麗に整った文章が多いのですが、大高先生らしい文章もあって、やっぱり面白かった ♪ オススメです!)

そして、実はその前夜、部屋から綺麗な三日月が見えたので、なにげに正常な左眼だけで見たら薄っすらダブって見えたのです!不安になったので、それを伝えた上で左眼も検査したのですが、眼はバッチリ見え、裸眼で1.2ありました。

(レーシック術後から変わってませんでした。あ、でも左眼、遠くは見えるけれど老眼は進んでいるので近くは見えにくいんですよ!)

三日月がダブって見えたのは、乱視のせいでした。気になるほどではないし、他の病気ではなかったので安心しました。

そして、今のままモノビジョンにしたいので近レンズでお願いすると、いろいろな検査の結果から焦点50㎝のレンズが適切ということになりました。それより焦点の近いレンズだと不同視になるからだと。

…不同視?とお尋ねすると、

「屈折値の差が2ジオプター以上になると左右眼でモノの大きさが違って見える、というのが不同視です。不同視が起こらないようにレンズの度数を選択するのが鉄則です。もちろん、度数ズレする可能性がありますが。」 とのこと。

そうなんだ、そうか、焦点が50㎝…。

家で、定規をあててシュミレーションしてみると、パソコンの距離が50~60㎝で、デスク上の資料の距離が40㎝。パソコンは疲れ防止のためブルーライトカットの眼鏡をかけるので、パソコン使用時に眼鏡をかけるのはやぶさかではないのだけれど…。今私の右眼の焦点は30㎝まで近視になっていて、頭痛などはないのですがこれでは若干近すぎると感じていて、でも50㎝では…現在電車通勤中に少々混んでいても立ったまま裸眼で文庫本を読めているのですが、これはきっとできないな…。

ならば、40㎝くらいがちょうどいいのかも?

…でも、不同視になる=左右眼でモノの大きさが違って見えてしまう?と複視になる??

ん?…私、今既に、右眼の方が1.2倍くらい縦長に大きく見えてるけど

左右眼でモノの大きさが違って見える…つまり既に不同視ってこと?あ、でも今モノビジョン状態で、両眼視していないから、それは不同視と言わない?んー??

ハッ!そういえば、アプリコットさんのブログで、しばらくコメント下さっていたマルさん!

黄斑前膜の術後間もなく、縦横どちらにも1.5倍も大きく見える不同視の状態が酷くて辛いとか嘆いていらっしゃったことを思い出しました!マルさんが手術されたのは4月でしたから…あれから、もう1年経ったんですね!早い!!…マルさん、私よりも10才もお若くて小さいお子様がいらっしゃるのに、遠くから通院してらしたけれど…その後専用眼鏡はうまくいったのかしら?お元気かしら?気になります 。。。

以下、 マルさんがお話されていた吉祥寺の眼鏡店の記事です。

opteria-glassias.jp

( ↑ 2017.3.27)

opteria-glassias.jp

( ↑ 2016.9.11)

 そこで、不同視のことを更に調べていくと、だんだん分ってきました!

まず、ジオプター(Diopter)は英語で、ドイツ語のジオプトリ(Diptrie)と同義語で、略してで表される光の屈折力の単位のこと。

凹レンズの近視の場合はマイナス、凸レンズである遠視・老視(=老眼)の場合はプラス、で表示。(大きく見える虫眼鏡は凸レンズ…その形が触ってみるとよく分かります!)

1m ÷ 本の文字のピントが合う距離、のよう。

例えば、私がこれから入れようとしている白内障の眼内レンズは近視用なので

焦点 1m なら、ー1D 

焦点 50㎝ なら、ー2D 

焦点 40㎝ なら、ー2.5D

焦点 33㎝なら、-3D

  :

という具合で、コンタクトレンズや、眼鏡の度数にも使われています。

確かに、私の左だけ度の入った老眼鏡(凸レンズ)の保証書に + 2.00 と書いてあります!そういえば、100均で売ってる老眼鏡にも、+1.0、+1.5、+2.0…と表示してありますよね!お~、少し賢くなった気分 ♪ 

そして、このジオプター(D)、コンタクトは眼に密着しているので見え方にほとんど差がないのですが、レンズが眼から離れた位置にある眼鏡では、数値が大きくなるほど近視レンズならよりモノが小さく見えてくるのです。

以下【不同視眼鏡研究会】なる不同視眼鏡の調整に力を入れている眼鏡店グループのHPを見つけたので、参考までに。

http://www.ggm.jp/hudoushi/hudou2.html

これ!分厚い近視の眼鏡をかけた人の眼が小さく見えたり、度の強い(つまり数値の大きい)老眼鏡をかけた人の眼が大きく見えたりするのは、私も前から感じていました!

そう!どうもポイントは眼鏡だったようなのです!

鄭先生がおっしゃったのは、おそらく「左右で2D(ジオプター)以上の差がある状態を眼鏡で矯正しようとしたときに、左右で大きさが違って見えてしまう不同視になりますよ」という意味だと理解しました!

眼鏡を使わなくても遠近見える ♪ モノビジョンも、正確にはほぼ眼鏡なしで済むといわれていて、全く眼鏡なしでいける保証は何もないのです。

実際に、私も今既に、パソコン距離は左だけ度の入った老眼鏡をかける方が見やすいので使っています。

なので、この先、加齢とともにゆくゆくは左眼も白内障が始まり視力が落ちてきたときに眼鏡で今の視力 1.2 に矯正しようとすると、不同視になるということでしょう。そのときはコンタクトにすれば不同視にはならないのでしょうが、今後高齢になってからのコンタクト生活もいかがなものかと考えてしまいます。(そもそもコンタクトが辛くなってきたから、レーシックをしたのですから)ならば、そんな高齢になるころはもうそんなに遠くがハッキリ見えなくても、1.2より弱い眼鏡にすれば不同視にならないのでは?

 といろいろ考えた末、2D以内の焦点50㎝レンズかそれを若干超える焦点40㎝レンズか決めかねて既に今右眼が 1.2倍 くらい縦長に大きく見えていることが少しでも緩和する方のレンズにしたいです!」と無謀にも鄭先生に迫ったら、それはさすがに予測不能とのことでした。。。

私の場合は、レーシックをしていることだけでも焦点ズレする可能性は他の人よりありそうですし…、それはもうその時!と肚を括って、あとは鄭先生にお任せするしかないのですが…。

ああ…肝心のレンズ、どっちにしよう?

実は焦点40㎝のレンズがあることも、予約に行ったとき検査中に偶然他の人が迷われていて検査員の方と長い事お話されていたのが聞こえて知ったのです。手術の1カ月前にはレンズの発注をかけるので、それまでに決めておいて、とかなんとか。だから、そろそろ、はっきりお返事しなくてはならないのですが…うー。。。

(本日、最長文字数3500字越えにて、この辺で、閉店ガラガラガラ…?)

 

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)

File10*右眼●ー*黄斑前(上)膜の術後*だからこその ” モノビジョン ” と決意!

ー*黄斑前(上)膜手術当時49才だった為、白内障手術を同時にしなかった私の場合*-

(黄斑前膜の術後*1年7カ月)

 f:id:white-ivy:20200225152424p:plain 在私は、右眼で近くを、左眼で遠くを見ているというモノビジョン状態。

先月、黄斑前膜の術後1年半検診に行ったばかりだけれど、このところ新聞も裸眼では近づかないと読みづらく、職場のデスクワークでは老眼鏡をかけた方が見やすい。だがこの老眼鏡、左にしか度が入っていない。(右眼が近視になったから…)そして更に右眼の近視が進んできているということなのだが、それは核硬化性白内障が進んできているということ。。。

先日、その老眼鏡を職場に持っていくのを忘れてしまい、パソコンや書類にいちいち近づかないと見えないし、間違えてしまいそうで、疲れてしまった。先生はまだ急ぐことはないとおっしゃったけれど…季節もいいし、よし!右眼、白内障の手術をしよう!

 …思い返せば、術後10カ月でモノビジョンになるまでは、老眼鏡がないと本当に文字が読めなくて(それが文字であることは分かるが、にじんだアリの行列にしか見えなかった…)全く仕事にならなかったので(ま、忘れた時は、顧客用に置いている老眼鏡をこっそり借りるという手があったから何とかなったけど…)老眼鏡は”財布”や”家の鍵”と同じくらいに、どこに行くにも絶対持っていくものとして必需品だった!…頃からすると、随分楽になったものよ ♪ と思う。

そしてこのモノビジョン、黄斑前膜だからこその利点を発揮しているのです!

ただ単に左右の眼を使い分けて近くも遠くも見えることが便利なだけじゃなく、左右で見る領域を分けているからこそ、黄斑前膜特有の両眼視だとダブって見えたり(私の場合)縦長に大きく見えるというのを最小限に抑えているのです!!

(光るものは2つに見えるので、完全ではないのですが)

モノビジョンになる前、その時はよく分からなかったのですが、どうも人の顔がかなり縦長に変に見えていたようなのです。モノビジョンの今は近くは右眼で見てますから、縦長に大きく見えますが、中~遠距離は正常な左眼で見ているので、人の顔も、洗面所の鏡に映る自分の顔もそのままに見える!私は、これが一番嬉しいのです♪

よって、このままモノビジョンの見え方でいきたい!から右眼は近レンズにします。

よし!手術予約を入れに行こう ♪

しかし…聞けば、多くの人は白内障の手術をする!と決心すること自体も、恐怖心からストレスになるのだとか。。。

確かに、怖い!と思う感覚をコントロールするのはとても難しくて大変だと思います。なぜなら…(話は逸れるが)私はクモとゴキブリがとっても怖い!幼少のころから怖い思いをしたからだと思うが、前世でも何かあったんじゃないか?と思うほどに、見ただけで全身が凍り付くかのごとく、発狂して、心臓がバクバクするのです!

今は都会のマンション暮らしなのでそんな恐怖体験は滅多にないが…いや正確には、どうして~?!と思った恐怖体験が1度だけある!…思い出すのも恐怖で頭がおかしくなりそうだが、家の中にやや大きめのクモが出たことがある!いったいどこから来たんだか…。黒くて丸っこいピョンッと跳ねる小さなクモはよく出るけど…あれもいったいどこで繁殖してるんだか、ほんっとに不思議!

私の実家、山口は田舎で一軒家なので(?)夏になると家の中に大きな茶色のクモが出る。今思えばよく18年も住んでいられたと思うくらい、毎年恐怖体験を積んできていた。しかし私の父母はクモなどちっとも怖くなく、私がギャーギャーとあまりに恐怖におののくので、母がいつも「クモは家の中の害虫を食べてくれるんだけどね~。かわいそうだけど、ごめんね~(これはクモに対して)」と言いながら、殺虫剤をシュ~ッと動かなくなるまで…。私も一応殺生は気の毒とは思うので、どこかにいても私の前には現れないでね!私の前に出てきたら、あの世生きになるからくれぐれも出て来ないでね!と強くテレパシーを送っていたんですけどね…。なぜか、どういうわけか、家族の中で私が一番遭遇してた気がする。だから、今も夏の帰省は極力しない。

そして、ゴキ!(もう、フルネームを打つのもヤダ)これは、幸いなことに実家では出たことがなかったのです。実家では床下にシロアリの消毒をしていたお陰で、一度も出たことがなかった。でも、すごく怖い!という話は友達から聞いていた。「高速で移動したかと思うと、ピタッと止まり、ん?と思ったら、急にバッと羽を開いて飛ぶのよ~!こっちにー!もう~、反則だよー!!飛ばれたら、もうアウト!」とか、嘆いていたのをよく覚えている。だって、その後家を出て大学で1人暮らしを始めた私は間もなく初遭遇…これが噂の!と殺虫剤を握りしめ果敢に挑んだのに、少しシュッとしたら、即飛行され…私はもう大パニック!!いつも思うけど、ヤツらはなぜこっちに向かって飛んでくるのだ?ヤツら以外の虫たちはみな飛ぶときも逃げるのに…その予想できないスピード級の動きに、どんくさい私は一切太刀打ちできなくなるのです。

あえなく初戦で完敗し、完全に戦意喪失した私は、その後、たまにゴキが出ると夜中だろうと勇敢なヨナにバイクで飛んできてもらってたなぁ…。(あの頃もヨナは強かった!)そして、うら若かった私が結婚相手に求める絶対条件は、ゴキ&クモ退治のできるヒト!になり…勿論今、殺虫剤など使わなくても丸めた新聞紙でパンッと瞬時に且つつぶさずに即死状態にできる機敏な旦那様に守られているのでした。

ここんとこの4月なのに夏を感じるような暑さに猛烈に思い出してしまいましたが…これから油断ならない季節になりますからね!コンバット買っとこ!事前の対策、まず出ないこと!が大事なのです。

怖い話がちょっとズレましたが…、さて戻り。

私は、レーシックに黄斑前膜で眼の手術は2度経験しているし…何といっても全幅の信頼を置いている鄭先生にお願いするので、全く怖いことはなく、よってストレスもない!

むしろ、そこまで安心してお任せできるドクターに出会えたことは、とっても幸せなことだなぁ…と思う ♪ こんな幸せもあるんだなぁ…と。。♪

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)

半分、蒼い!

f:id:white-ivy:20200225142710p:plain HKの新・朝ドラが始まりましたね!『半分、青い。』

花子とアン』以降、主人公がたくましく出世していく話が好きで、『あさがきた』『とと姉ちゃん』『べっぴんさん』は先が楽しみで仕方ないくらいに見ていました!

でもそれ以外は脚本や構成との相性なのか、主人公が自分と同じようにおっとりしていて話の内容もなかなか進まないなど好みが合わないと、途中で挫折してしまって…。(『ひよっこ』は有村架純が女コックになってくれることを期待して、結構頑張って見たんですけどね…)

私は、派遣勤務ながらもWワークをしていてMAXだと月24日出勤するので、毎朝バタバタでリアルタイムで見ることは無理。よって、毎週土曜日のBSのまとめ放送を録画して、休日(不定期ですが)のランチのお供の楽しみに ♪(先週2週目のはまだ見てないので、今日この後の楽しみに♪)

…週休2日の旦那より、私の方が出勤日数だけは多いのです!帰りに買い物をし、帰ったらすぐに夕飯を作って…と、そこまでは何とか体力は持っているのですが、問題は食後です。

お腹いっぱいになったら、一気に疲れが出るわ…眠くなるわで…一番辛い時間が。。。「あー!誰か食器洗ってー!!」と叫んでも、旦那も息子も聞こえないふり。。。お料理って、包丁を使ったり、かき混ぜたりと、とにかく右手をよく使うから右肩が異常に凝って…それが1日の疲れと合わさって…「ギャ~!助けて~!!肩揉んでくれるだけでもいいから~!!!」と叫ぶことに。。。たま~に息子が肩揉んでくれる時もあるけど、ほぼ助け舟は来なくて…一通り独り言を叫んだ後、自分でアンメルツを肩に塗り、簡易なマッサージ器をブ~ン♪とあてて少し横になる。(少しでも横になると違います!…何でだろ?横になると血流が良くなるからかな?かつて妊娠中に、なるべく横になって血流をよくするといいとお医者様から言われていたことを思い出しましたが…果たして?)そうしてまあ、とにかく少し疲れを取ってから「嗚呼…家族の中で私が真っ先に過労死する~!」と続けてぼやき、以前職場で一緒だった、母子家庭の女性の営業さんから、帰るのは娘の方が早いから夕飯作るのは娘でお皿洗うのは私なの!と聞いたことを思い出して…産んだのが息子ではなく娘だったら手伝ってくれたのかしら?などと考えながら、食器のあらかたは食洗器に助けてもらって、それでもお弁当箱や水筒、フライパン、ボウル、まな板などを手洗いして、明日のお弁当のご米を研いで炊飯器のタイマーセット、お弁当のおかずの下準備を済ませ、ようやく台所から解放されるのです。。。あら?!愚痴が長くなりましたね、失礼!

(おっと!本題に入る前に、ここで既に1000字を超えてしまった!)

さてさて、この度スタートした朝ドラ「半分、青い。」

なんの予告の情報も得ないまま見始めた私は、初回冒頭、なんと!ものの数十秒で泣いてしまいました。。。

主人公のすずめが友達の律から差し出された傘が一部壊れているのを、自分の左耳が聞こえないのに例えて、これを「悲しい」と思うか「ちょっと面白い」と思うか…「私はこれをちょっと面白いと思うのです!」と言ってオープニング曲に~♪

それはそのまま、すずめの左耳が私の右眼に置き換わり、歪んでしまった右眼の視界を「悲しい」と思ったり「ちょっと面白い」と思ったりしながら今まできたことと重なったのです。

傘の骨の一部が壊れているその例え、その壊れた部分は内側から見れば分かるけれど、それ以外の骨がしっかり支えているから外側からは分かりにくく、ちゃんと開いていて使えるところが、片耳が聞こえなくても(片眼が歪んで見えても)傍からは分からないし日常生活はさほど不自由せず過ごせることと重なり、そんなことが私の中を一気に駆け抜け、涙が出たのです。

 ここで涙が出てしまうところが、私の心もいまだ回復途中、一進一退だということ。

…つまりは、まだまだ半分、蒼い!

(…”青い”ではなく、蒼い。蒼は、くすんだ青色です。)

 

主人公のすずめが生まれたのは1971年ですから、わたくし羊より4才下のイノシシ。

私も年子の弟と2姉弟で、子供の頃は近所の男の子に混じって野球をしたり、いとこのお兄ちゃん達と川で泳いだりして活発に遊んでいたのを思い出しました!これから続きが楽しみです♪

 

そして、我が子が小学生の頃に知り私が強く感銘を受けた、児童文学者の石井桃子さんが晩年残された言葉を思い出しました。

 子どもたちよ、子ども時代をしっかりと、たのしんでください。

おとなになってから、老人になってから、あたたを支えてくれるのは、

子ども時代の“あなた”です。

石井 桃子 2001年7月18日

(杉並区立中央図書館の展示の際に寄せられたメッセージより)

 子育てに関しても、自分自身に対しても、ハッとさせられました。

石井桃子さんは2008年に、101才で生涯を終えられています。これは、94才のときの言葉です。それこそ、人生100年と言われる現在を生きた方の身から出た言葉。

自分が年を重ねれば重ねるほど、身内も友人も少しづつこの世を去っていく。その寂しさ虚しさはいかほどか…、支え合える人が減り行く中で、最後にしっかり自分を支えてくれるのは子ども時代の自分なのだと。

子ども時代の自分は、我が身が滅びるまで永遠に我と共に存在しますものね!

子ども時代は生きる力の基礎を作るときなんだ!と、息子には思いっきり楽しんでもらいました。。。

さ、先週の「半分、青い。」見~よおっ ♪