羊雲

羊 雲

✥ 復路の羊のふんわりノート ✥

File19*黄斑前(上)膜・術後に発症した白内障の術後*半分、白い!…だけじゃない☆パート2

*右眼・黄斑前(上)膜の手術後、1年9カ月(51才)で白内障手術をしたモノビジョン私の場合*-(黄斑前膜の術後*1年11カ月)

 f:id:white-ivy:20200225152424p:plain 関東は、ひと頃より気温が若干下がったものの湿度は上がり、今度はこの湿度に体力を奪われてか、暑さにより蓄積した疲れが若干の気温の下がりで気が緩んだのか、先日ついにダウンしてしまいました。前夜、息子の19才の誕生日だったので、シャブシャブにケーキを食べたのが原因でしょう。…朝起きると、空腹なはずなのに胃が張っている(もたれているのとは少し違う)のです。触ると、胃がぷっくりしている。夏になると胃が弱りよくこうなります。

少し前から前兆はあり、結構苦しいので、それが嫌で、シャブシャブは3枚に、ケーキも小さいの(それは美しくそびえたった爽やかなイチジクのタルト)だったのに…、ダメでした。朝食にいつものオイルインした野菜ジュースとカフェオレ、そして前夜の残りの小さな焼きチーズケーキの半分、…半分ですから、薄くてほんの少しだったのに!食後に胃薬も飲んだのに!途端に気持ち悪くなり…、心の中で手がバッテンを作り、頭の中は白旗を上げ、本日の出勤は無理ー!電車で立ち続けていられないー!となりました。(いつもの時間に起きて、洗濯機も回し、お弁当も作っていたのに!)

会社に休みの連絡を入れると、昨日から疲れているように見えた、と言われました。確かに、疲れが溜まってきているという自覚はありました。通勤時間が、電車と徒歩で片道1時間くらいかかり、日ごろ特別に運動をしていないので、駅などではなるべく階段を使うようにしている(そう!駅の階段は、私にとって毎日通えるスポーツジムなの ♪ )ですが、その足も日に日に重くなるのを感じていました…。暑い時は体力温存のために無理に階段を使わない方がいいのか?それとも、動かないと逆に体力が落ちるのでは?と、果たしてどっちなの?と迷いながらも、頑張り屋の性分が、暑さで疲れている身体にムチを打つように、足は自然と階段に向かうのです。これは、今でもどちらが良いのか分かりませんが。

そして、食事は気を付けられますが、睡眠は早く床についても、エアコンとの相性が悪いのか、連日熟睡できていませんでした。エアコンが古いんだな…。だって、ここに越してきてからだから…もう19年!ひゃーっ!!どおりで風の質が悪いというか、雑というか…。それなりに掃除はしているけれど…、息子と同い年だけど、エアコンにしてはもうかなりのご老体ということね…。2年前に買ったエアコン(プラズマークラスター☆)が付いている息子の部屋に入ると、まるで空気が違うのを体感します。プラズマークラスターは本当に空気が違う!と、職場の人の強い薦めで買ってみたのですが、確かに職場についている他社のエアコンと比べても、違うのが分かります。なので、買い替えたいのですが、壊れていないのに買い替えることを良しとしない旦那に反対されて、なかなか実現しないのです。(チクショー!!)でも、もし、今壊れたら、新しいのを買っても即日取り付けてはもらえないでしょうから…、そうなったら、数日の間、地獄です!そうなったら、リビングに寝るしかないな…。リビングでちゃんと眠れるかなあー?…私だって、壊れていないのに買い替えることは基本的にはしません。だから、今でもガラケー使ってるんじゃない!…おや?旦那は壊れていないガラケースマホに買い替えてた!!お!?それを引き合いに再交渉の余地ありだわ!!

さて戻り、ダウンしたその日は珍しく朝から涼しかったので、窓から入る風だけでそのまま昼過ぎまでグッスリ眠れて、一気にスッキリ回復できました!

ここでも、やはり、睡眠大事!と睡眠の神様に手を合わせるのでした。。。

ではそろそろ本題に。

白内障の術後、2週間目に入ると、いろいろと気が付くことが出てきました!術後翌日にガーゼを取ったときの感想は、左眼と比べたその明るさに半分、白い!でしたが、2週間目に入り、だけじゃない!ことにいろいろと気が付いたのです!

とにかく術後1週間常に保護メガネをかけて、眼をぶつけたり、眼に汗や水が入らないように、特別に気を付けて過ごさなくてはならなかったのですが、手術の予想外の延期により、手術の翌々日から(決っして勧めませんが)5日連続出勤した私は、出勤時に、さすがに医院で買ったあのパーフェクトボディの保護メガネをかけるのはためらわれ(シャワーと就寝時はかけましたけど)度のないPC用メガネを持っていたので、仕事へはそれをかけて行きました。普段眼鏡をかけている人は、ご自分の眼鏡をかけないと見えなくて困るでしょうから、私も普通のメガネをかけても大丈夫だろうと思ったのです。でも私のかけたのは、PC用メガネ、つまりブルーライトカットが入っている視界が若干褐色に暗くなるものだったので、術後1週間は気が付かなかったのですが、2週目に入り裸眼で過ごすようになると、あらゆることに気が付き始めました!(え?早く言え??)

まず、一番嬉しかったのは、愛用している(住宅販売の仕事の方は腕時計が必須なので)そのお気に入りの腕時計の文字盤の淡~い桜貝色がとてもキレイに見えたこと!

検診に向かう時、電車から見えた横浜の海側に広がる淡い空の色その上に太~い平筆で波を描いたような雲がキレイだったこと!

手術前は、夏本番前なのに早くもいつのまに日焼けしたのか?と思っていた、褐色に見えていた自分の手の甲や腕が、色白に!それに血色良く若干ピンクに見えること!

これは、衝撃的でした!!レンズのメーカーさんの説明だと、20才の時の水晶体と同じ色ということなので、19才の息子に聞くと「十分白いよ!」と言われました ♪

…でもこれ、手術した右眼だけで見るとピンクがかった白に見えるのに、年相応に経年劣化しているであろう左眼だけで見ると(術前の右眼ほどではないけれど)明らかに褐色なのです!!両目で見るとその間です。ということは、息子(若い人)からは色白に見られるのに、旦那や鄭先生(同い年)からは(個人差はあるだろうけど、きっと)若干褐色に見えている…。年上の人でも白内障手術をしていない人からは褐色に見られる…って、いったい誰の見え方を基準にして本当の色というのか?!と、考えてしまいました。。。

(水晶体の色や、白内障の手術については、大高先生の比較的新しいネット記事いしゃまちに詳しく!楽しく ♪ 書いてあったので、こちらをどうぞ ↓ )

 大高 功 | いしゃまち

そして、お化粧!私はずっと前から確かに極薄化粧なのですが、手術前の数か月でどんどん顔色が悪く見えていくのが気になっていたのです。手の甲や腕の色もどんどん褐色に見えていくのもあって、50才を過ぎるとこんなに一気に老けるのか?!と実はとても悲しくなっていたのですが、それは、白内障の急激な進行によって水晶体がどんどん褐色になり、何を見てもくすんで見えていたからだったのです。

改めて、核白内障について分かりやすい説明の記事を見つけたので、以下に ↓

白内障
白内障の中で、もっとも早く手術を受けなければならない核白内障は、水晶体中央部の核から濁りが広がります。核はもともと硬いのですが、濁るとますます硬くなり、手術が難しくなってしまいます。核白内障は、放置すると合併症のリスクが高まるだけでなく、手術しても視力回復に支障が出る可能性があります。そのような事態にならないためには、早期発見・早期手術が必要です。
自覚症状として気をつけるポイントは、色彩感覚の変化です。核は硬くなると同時に黄色味を帯びるようになり、やがて褐色になります。常に濁ったレンズを通して物を見ることになるので、何を見てもくすんだ色に見えるようになります。
また、核が硬く大きくなってくると、光の屈折率が変化し、一時的に近視のような状態になるため、メガネやコンタクトレンズの度数を変える方も多いのですが、老眼が改善されたと勘違いして、白内障であることに気がつくのが遅れてしまうケースもあります。
色の見え方やメガネやコンタクトレンズの度数などに変化が生じたら、核白内障を疑って眼科を受診してください。

ちょうど1年前、黄斑前膜の術後10カ月頃、徐々に近くが見やすくなってきて近視のような状態になり(それで、左眼で遠くを右眼で近くを見るというモノビジョン状態になったのですが)術後に淡い色がキレ~に見えるようになった今、 この記事を改めて読むと、もうその通ーり!!です。

 ただ、水晶体の濁り方には大きく分けて他に2種類あるそうなので、参考までに ↓

後嚢下(こうのうか)白内障
水晶体の後ろ側から濁ってくる後嚢下(こうのうか)白内障は、発症割合はそれほど高くないのですが、一度発症すると重篤化しやすい白内障で、短期間で急激に視力が低下することがあり、放置しておくと、最悪の場合、失明の危険があります。
自覚的な症状の特徴として、水晶体の中央部から濁り始めるため、早い段階で光の通り方に影響が現れ、強い眩しさを感じます。急激な視力低下や光を敏感に感じるなどの変化を感じたら、早めに眼科を受診してください。
後嚢下白内障は、加齢白内障だけでなく、アトピー白内障でも発症します。一旦発症すると急速に悪化するため、早急な治療が必要になります。

 

皮質白内障
水晶体の外側の皮質という部分から濁る皮質白内障は、加齢白内障の中で最も多いタイプ白内障です。核白内障や後嚢下白内障に比べると、発症した時点での手術の緊急性は高くないのですが、その進行の遅さが災いすることがあります。
濁りが水晶体の中央に広がるまで視力に影響がないため、何年も症状に気づかないことがあります。しかし、濁りが水晶体の中央、つまり核の部分まで広がってくると、急に光に敏感になり、眩しさを強く感じるようになるという自覚症状も出てきます。
進行が遅い白内障とは言え、早期に手術を決断した方が治療もスムーズです。

 他にも、術前にトイレや浴室の灯かりがどんどん暗くなっていくように感じていたのが、今はハッキリと明るいのです!(トイレや浴室といった狭い空間の方が明暗の違いを感じやすい)LEDだから、時間の経過とともに暗くなったりしないはずなのに…、不良品かな?と思っていたのが、まさか己の水晶体がそれだけ濁ってきていたからだったなんて、本当にビックリしました!!

まだまだあるのですが、それはまた次回に ♪

 

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)

File18*黄斑前(上)膜・術後に発症した白内障の術後*半分、白い!…だけじゃない☆

-*右眼・黄斑前(上)膜の手術後、1年9カ月(51才)で白内障手術をしたモノビジョン私の場合*-(黄斑前膜の術後*1年10カ月)

 f:id:white-ivy:20200225152424p:plain 急車のピーポー…という音を聞かない日がないほど記録的な連日の猛暑!に、いくら責任がほぼ皆無な仕事の私でも、連日出勤し、日常生活を送るだけで体力を奪われる。。それでも毎週ちゃんと検診には行っている ♪ 優等生な患者の私ですが…、そうして仕事は休みだけど通院に出かけるだけでまた疲れるこの暑さ…暑さには強い私も今年は参ってしまいそう。。

でも!食べることと寝ることだけはちゃんとしないと、身体も頭もおかしくなってしまう!と気を付けていても、先日、私は朝食はパン派で、それに野菜ジュース(伊藤園充実野菜が好き ♪)とカフェオレ(牛乳にブレンディのインスタント粉を入れたもの…何といってもブレンディは溶けが良い ♪ )を飲むのですが、日に日に朝から暑くて、冷房の効いた寝室を出て、夜中窓を開けっぱなしだったリビングの室内温度計がついに31度!…という日、頭がボーッとして、野菜ジュースにはいつも(緑黄色野菜の吸収を良くするために)少しだけオリーブオイルやココナッツオイルを入れるのですが、牛乳に入れるはずのブレンディを野菜ジュースに入れてしまい、コーヒー味の野菜ジュースを飲む、という苦~いことに。。というわけで、頭の回転も鈍く、ブログの更新は後手後手。。。でも、そろそろ…続きを

さて、翌日検診の日の、大学から帰ってきた息子が、ガーゼが取れた私の右眼をじっと覗き込みます。「今回も麻酔注射を打ったから、その時の出血のせいで赤いのよ」と私が言うと、健常な左眼と手術した右眼を交互に見ながら「全然、本物みたいだね…」と息子。はぁ?とよく聞けば、白内障の手術とは駄目になった水晶体を人工の眼内レンズに入れ替えるんだよと教えていたのを、義眼になるんだと思っていたらしく…私は笑ってしまいました!それを聞いていた旦那が、すかさず「人造人間だ!」と口を挟みます。クレイジージャーニーという番組で、以前、皮膚の下にチップなどを埋め込むのが海外のどこかで流行っているという放送をしていたのをスゲー!と興味深げに観ながら、そういうことに全く興味のないお風呂上りの私に言っていた、アレね…と私は眉間にしわを寄せます。。。全く、この家には、昔のホームドラマのような気恥ずかしくなるくらいの労わりの言葉の掛け合いというものは、ないようです…(-"-)

その日は保護メガネをかけてシャワーを済ませ、髪は濡れタオルでガシガシ地肌を拭いて、ドライヤーでさっぱりさせてから、また保護メガネをかけて、寝ます。(翌朝、眼の赤みが引いていたら出勤するつもりなので、ほお骨辺りに跡が付かないようガーゼを貼って、その上から保護メガネをかけました。)…(再度)これは美活ブログではありませんが、わたくし、洗髪も数年前からいわゆるシャンプーやリンスは使っておらず、オリーブオイルの石鹸(サボン・ド・マルセイユ、夏場はオリプレがオススメ ♪ )で洗い、リンスの代わりに薄めたクエン酸を使っているので、地肌に余計なものが付かない分べたつきも少ないので、2日に一度の洗髪で何とか乗り切ました。(ただ石鹸洗髪はコツがいるので、専用サイトを参考にしてください)脱衣所に仰向けになって頭だけ浴室に出し、眼にお湯が入らないよう気を付けて(器用な旦那ではなく)不器用だけど素直な息子に洗ってもらいました。

翌朝(やはり保護メガネのせいか、眠りは浅かったのですが)起きて右眼を見てみると、このくらいなら出勤できる!というくらい、白目の赤みが前日より随分引いています。

黄斑前膜の術後の時はもっと真っ赤で、完全に赤みが引くまで10日はかかったので…その違いを実感します。黄斑前膜の手術は網膜硝子体手術で、大高先生の手術の説明文に、白内障手術に代表される眼科の他の手術とは根本的にレベルが違う手術、おなかの大手術などに似ていると考えてください、と書かれていた通り、手術前にも手術の翌日にも(今回は打っていない)抗生物質の点滴を打ったし、白目を縫っていたのもあり、今回よりは腫れているような重いような感覚がありました。

今回はそういう重さはありませんが、時折、眼の中の筋肉がヒクヒクするような、眼内レンズがプルプルするような感覚があります。水晶体を操っていた毛様体筋が眼内レンズと格闘しているのかな?と思いました。(だって、今まであったはずの水晶体とは全然!形も、厚さも、違うものがものの15分程度で入れ替わっているんですから!!毛様体筋はさぞかしびっくりしていると思うのです。。)

そして肝心の見え方です。術後すぐは希望した焦点40㎝の距離辺りはぼやけていましたが、術後5日目くらいから…何だか見える!ようになってきたのです!!裸眼・両目で、カレー箱の裏に書いてある分量や作り方が、手に取っても、台に置いても見えるのです!(手術前は、手に取って近づけないと見えなかった)

見える ♪ 見える ♪ と、術後1週間検診に行きました。しかし、検査の結果は手術翌日の数値ー1.5D(焦点66㎝)と変わりません。「でも…術後5日目くらいからもっと近くが見えるようになってきたんですけど…?」と言うと、「それは、偽調節でしょうね!」と、鄭先生にまた新たなワードを頂きました!早速、調べるとこのようにありました

眼内レンズは水晶体と違い、眼内レンズの厚みは変化しませんので、白内障手術後、本来の「調節力」は失われます。しかし、毛様体の筋肉が収縮・弛緩することにより眼内レンズの位置が微細に変化することなどにより、60歳以降の方と同程度の「調節力」を得ることができ、偽調節と呼んでいます。

 

単焦点眼内レンズを入れた場合でも、なかには眼鏡なしで遠くも近くも見えるようになる方がおられます。「偽調節」という状態で、その方の瞳孔の大きさや乱視等の条件がそろえば起こることがある程度分かってきていますが、術後偽調節となれるかどうか術前には分からず、またごく一部の方に限られ、たいていの方は眼鏡なしで見える距離は一か所に限られます。

 そうなんだ!そんな可能性があったんだ ☆彡

と私は、保護メガネ及び洗髪の解禁とともに、大喜びの術後2週目に入ったのでした

(あら?!タイトルの半分、白い!だけじゃない☆…の内容まで行けませんでしたね。それは、次回パート2で…)

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)

File17*黄斑前(上)膜・術後に発症した白内障の術後*半分、白い!

-*右眼・黄斑前(上)膜の手術後、1年9カ月(51才)で白内障手術をしたモノビジョン私の場合*-

 f:id:white-ivy:20200225152424p:plain 内障手術の翌朝、というか未明、外はまだ暗かったのですが…トイレに起きると何となく感覚が変なのです。家庭にはないような太っといテープでガッチリ貼ってあったはずのガーゼがない!暗い中あわてて周りを見ると…白いガーゼは枕のそばに落ちていて、驚きました!!…その横で、私の術後よりもサッカーのワールドカップで頭の中はいっぱい!連日夜更かししている旦那が静かに眠っています。(コヤツ、口は悪いが、寝相だけはいいのです)私も前夜は処方された睡眠薬のお陰でぐっすりだったので、何も覚えてません。

「このガーゼは翌日の診察まで取らないで下さい!」と言われていたので、キヤ~ッ!と半泣きな気持ちで、とにかく一刻も早くガーゼを元通りにしなくては!!とトイレは後回しにして、洗面所に行き鏡を見ながらテープを追加してしっかり貼り付けました。…その間、勿論、右眼は開けていません!コワくて開けられません!!もう必死で右眼をつむっていました!!!そしてその後、トイレを済ませ、右眼がとりあえず感覚的に何ともないのに少し安心して、再び眠りにつきました。

7時過ぎ、旦那のスマホの目覚ましの音楽で目が覚めました。…今度はガーゼはちゃんと付いています。右眼は痛くもカユくもありません。大丈夫そうです。…でも、どーして取れちゃったんだろ?不思議です。。

翌日検診、午前の受付までに来るように言われていました。しかし、片眼ガーゼのまま通勤で混んでいる時間に電車に乗りたくないし、半端な時間に行っても結構待つしなー。天気も良かったので、2回洗濯機を回しシーツなども洗ってゆっくり家を出ました。昨日の帰り道に続き、すっかりモノビジョンの私は完全に片眼でもほぼ普通に歩けます。私、この先、片眼しか見えなくなってもやっていけるじゃん!と何だか自分が頼もしくなります ♪ 医院に着いたのは12時過ぎ。午前の受付は12時半までなので、さすがに人はまばらでした。受付を済ませ、長椅子に座ろうとしたら、なんと!昨日お話した年配のご婦人が座ってらっしゃるではありませんか!!(また会えた ♪ )ガーゼはすでに取れていて、保護メガネをかけていらっしゃいます。隣に座っているご主人とおぼしき男性とお話されていたので、私はにっこり「こんにちは」と挨拶だけして空いているところに座りましたが、すぐに検査に呼ばれました。検査室で検査士さんにガーゼを剥がされ、周りをきれいに拭いてもらいます。そこで、初めてそっと目を開けました。

1日ぶりに右眼に明るさが戻ってきました。勿論、見えます!…しかし、いくつかの検査をしている途中で、希望していた焦点40cmよりも若干遠くにピントが合っているように感じます…。検査が終わり診察を待つ間に、トイレの鏡で右眼を見てみると…白目が赤い!…アレ?確か、アプリコットさんが黄斑前膜じゃない方の眼の白内障手術をしたとき、黄斑前膜の時と違って術後は眼がきれいだったと書いてらしたはず!!昨日、沢山泣いたから?寝てるときに、ガーゼが取れちゃったから?と、少し不安になり、だけど検査士さんには何も言われなかったし…あ!この目で明日から仕事に行けるかな~?と明日からの予定を考えます。急な手術の延期でしたから、仕事の休みが変えられず、術後翌々日から5連続出勤でした。でもそこは、時給に似合った責任の薄~い、どころか、ほぼ責任などないような仕事ですから、いざとなれば堂々と病欠すればよいのです。急に休んでも、特に迷惑がかかることがない、という気楽なところが今の仕事のよいところなのです。だから、(私としては最長の)7年も(?)続いているのです。

そして鏡を見ながら保護メガネをかけ、待合室に戻り、長椅子に座って診察を待っていると、昨日お話したご婦人がいらして、また少しお話することができました。その方の白目は赤くありません。どちらの眼を手術したのかわからないくらいです。やはり何か違うのだわ…と思いながらも、2人で共通した感想は手術した方の視界が明るい!そして、手術はやはり、しっかり手術でしたよね!と。その方は、手術中に「眼を閉じないで下さい」と言われたようで、次週の黄斑前膜の手術はもっと大変かしら?ガスを入れることにならないといいんだけど…と心配されていました。そんなことをいくらも話さないうちに、その方は会計に、私は診察に呼ばれたので「黄斑前膜の手術、頑張って下さい!」とお別れしました。

診察室に入り、鄭先生に昨日の手術のお礼を申し上げるとすぐに「白目が赤いんですけど?」と言います。鄭先生はこともなげに「通常は目薬の麻酔だけなんですけど、硝子体手術をした人は痛みを感じやすいんでねぇ、麻酔の注射を打ったんですよぉ。右上のところに。それで、出血してるんです」と。え?今回も白目に麻酔注射打たれたんだ…全然分からなかった!黄斑前膜の時は、恐怖心が湧くほどグッと押されるような衝撃があったのに…。あの時は初めて白目に穴が開いたから、あんなにグウッと押されるように感じたのかなあ?それとも注射の種類が違うのかなあ?などと思いながら、診察を終えると鄭先生はカルテを見ながら「モノビジョンでいくにしては…若干近視が弱いですかねー。60~70㎝にピントが合ってますねえ。2.5D狙い(焦点40㎝)にしたんですけどねえ…」とおっしゃり、レーシックもしているし黄斑前膜も影響して焦点ズレするかもしれないことは覚悟していたけれど、やはり少しガッカリします…。でも、その気持ちを振り払うように、これを潔く受け入れなくては!と私は笑顔で「大丈夫です!文句言いませんから…」と言いました。すると、スタッフさんが笑い、鄭先生も柔らかい京都弁のイントネーションで「文句言われても、どうしよ~もないんですけどね~。まあ、まだ変わりますから!」とおっしゃい ました。そこで単純な私は、すぐさま、まだ変わるの?!そうか、変わるかもしれないのか!?とたちまち良い暗示にかかったのでした☆彡

そして、翌日か週末に来られるかと聞かれたのですが、来週ではだめですか?とお願いしたら、何事もなければ来週でもよいということになりました。

帰りの電車で、ふと昨日と違う自分になっているような気がしました。昨日は電車の中でも悲しくて涙が止まらなかったのに、今はもう悲しくありません。そして、突然に詩人金子みすゞの「大漁」が浮かんできて、昨日の私の悲しい涙は、水晶体への弔いの涙だったのだと気が付きました。もしかしたら、まだ頑張っていたかもしれない水晶体を私の意思がさっさと見切ってしまったのではないかと、長年頑張ってくれた水晶体に申し訳ないような気持ちになったのだと分かりました。しかしガーゼが外れ、眼内レンズの入った新たな右眼の視界が開けたことで、喪が明けたのです。

(後日この気持ちを鄭先生にお伝えしたら、「弔われた水晶体は超音波で砕かれて吸いとられて見事成仏しているので、ご安心ください。」とお返事頂きました^^)

ですから、無事に成仏した水晶体のためにも、私は、焦点ズレも含め自分で決めた新しい視界をしっかりと受け入れなくてはならないのです。

大漁       -金子みすゞ

 

朝焼け小焼だ、 大漁だ
大羽鰮(おおばいわし)の 大漁だ。

浜は祭りの ようだけど、

海のなかでは 何万の、
鰮(いわし)のとむらい するだろう。

 さあ、気持ちが新たっまたところで、術後1週間は眼に水や汗が入ることは厳禁なので、顔は拭くだけ(これは平気 ♪ ) 髪は他の人に洗ってもらいます(これは大変!)お風呂も寝るときも保護メガネを1週間はつけて、3種類の目薬を1日4回(こちらは数か月)点します。

…にしても半分、白い!右眼だけで見ると、白いものが純白に!

そして、今までなんでこんなに薄いんだろう?と思っていた、このはてなブログの字やoutlookのメールの字が、濃く見える!!字が薄く見えるのは、システムの設定のせいだと思っていました…。なんで、こんな薄ぼんやりしたグレーなんだろ?…と。何のことはない、己の水晶体の濁りのせいだったのです!それは、もう、びっくりです!!

…そして、比較されて初めて分かった、半分、セピア!

という左眼の視界の衝撃の事実!!…この続きはまた次回。。。

追記:前回の黄斑前膜の手術の時は、余分に張り付いた憎っくき膜を取ってもらった喜びでいっぱいだったのに、今回の白内障の手術では終了直後から悲しみが押し寄せてきて…同じ眼の手術でも術後の感情がこんなに違ったことに、自分でも驚いてしまいました!

感情に身体が反応して涙が出た…そのずっと後に頭で理由が分かる。涙は止めようとしても、止められない。そこに私の意思はない。意思によって生きているつもりでいるけれど、意思は、私のごく一部なのだと思い知らされる。私は、私が思っているよりもずっと複雑なのだと。面白いなぁ…と、思う。

 

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)

File16*右眼●ー*黄斑前(上)膜の術後*白内障手術。。。

ー*黄斑前(上)膜手術当時49才だった為、白内障手術を同時にしなかった私の場合*-(黄斑前膜の術後*1年10カ月)

 f:id:white-ivy:20200225152424p:plain 先週、関東が観測史上最短で梅雨明けしたという、いきなりの猛暑日となった6月25日、右眼の白内障手術をしました。

1年9カ月前にした黄斑前膜の手術後、高い確率で発症すると言われている合併症の核白内障の手術です。(白内障にはいくつか種類がありますが、手術は同じで、駄目になってしまった水晶体を人工レンズに入れ替えるという水晶体再建手術です。)

術後1週間はパソコンを控えた方が良いということでしたので、自宅のパソコンは封印しておりました。(しかし、思わぬ手術の延期でスケジュールの調整がつかず、術後3日目から昨日まで5日間連続勤務で、職場のパソコンは使わざるを得ませんでしたが…。)

そう、本当は先週手術の予定でした。思わぬ事態で延期となり、先週は術後検診の為に多めに仕事の休みを取っていたので、Wワークしていて普段は休みの少ない私に突然ゆっくりできる時間が出来ました。すると、何だか急に気持ちが乗ってきて、ずっと汚れが気になっていたキッチンの床シートを張り替えたり、奥の棚の改造をしたりと、普段はできない家の中の整理整頓に身が入りました!

家の中がスッキリすると、心もスッキリします☆

立つ鳥跡を濁さず。身の回りを綺麗にして、再度手術に臨みたい…。

お陰様で心の準備も十分に、余裕を持って手術の日を迎えることができました。

手術当日の朝、旦那には延期になったことも勿論伝えてありましたが、朝に弱い旦那は普段通り自分の出勤支度にバタバタ。私が「今日、手術なの」というと「あ、そ」と予想通りにコヤツらしい返事。「頑張って!とか、何とかないの?!」と言うと、「頑張るのは医者だろ。おまえは麻酔かけられて転がってるだけだろ。」と相変わらずの淡冷辛口ぶりに「麻酔ったって、部分麻酔なんだから!キョロキョロしないように、じっとしてるの結構大変なんだよ!」と言うと、チロッとこっちを見て「…じゃあ今日無理して晩飯作んなくていいよ。弁当買ってきてやろうか?」とようやくコヤツの(これで目一杯の!)気遣いの言葉を聞ければ、私の心はよし!となり、「いいよ、片眼でもご飯は作れるよ。予め下準備してるし」と言うと、再びチロッとこっちを見て「あ、そ」と出勤していきました。(…何も言わなかったら、きっと帰って来るなり片眼ガーゼ貼ってる私を見て「あれ?今日だったの?」で終ってたんだろうな…。ま、別にいーんですけどね。)

手術は14:20~でした。3時間前には来るよう言われていたけれど、少し遅れて到着。先週9時に来た時ほどの混雑ではありません。それでも、最初は廊下の丸椅子に座っていましたが、少しして中の長椅子が空いたので移動すると、隣に座っている年配のご婦人も定期的に私に続いて目薬を点されています。聞けば、偶然にも私の次の14:40~白内障の手術でした。そして、やはり先週の手術を延期した方でした。今日の術後の経過が良ければ来週反対の眼の黄斑前膜の手術をする予定と聞き、私も1年9カ月前に黄斑前膜の手術をしたことを伝えました。その方は「私としては、黄斑前膜の方=悪い方の眼を先に手術してほしい気がするんだけど、先生は反対の眼の白内障の手術を先にした方がいいって言うのでね…」とおっしゃいます。黄斑前膜の術後は見え方が安定するまで時間がかかるのを身を持って知っている私は、なるほど!と思いました。両眼ともそれなりに白内障がある人は、先に黄斑前膜でない方の眼の白内障手術をしてしっかり見えるようにしてから、もう片方の黄斑前膜の手術をするのかー、と。アプリコットさんは、黄斑前膜の方の眼を先に手術されましたから、この方ほど反対の眼の白内障が進んでいなかった、ということなのでしょう。そうか、白内障の進行具合によってどちらを先にした方が良いか、判断が分かれるんだーと妙に感心していると、「あなた、花粉症はある?」と聞かれました。国民病と言われる花粉症がないのが自慢な私は「いいえ!」と答えました。すると「私は花粉症が酷くて目を擦ってしまうから、そのせいで歪んで見えるようになったのかと思ったのよ~」とかわいいことをおっしゃり、そのまま黄斑前膜の事をそうこうお話している間に手術30分前になり、スタッフさんにトイレを済ますよう言われました。

(先週11:20~の手術の予定だったときは2時間前の9時に来るよう言われていて、今回は3時間前だったので、お昼ご飯の時間込みかな?と思っていましたが、そんなものはなく、ひたすら定期的に目薬を点されていました…)

トイレから戻ると、手術用のキャップを被せられました。少ししてスタッフさんのシーバーから「次の方お願いします」と聞こえてきて、ほぼ時間通りに手術室へ移動しました。手術室に入ったら、衛生を保つ為、先生への挨拶は不要ですから声を出さないように言われていた通り、黙って静かに足元に鞄を置き、やや厚手のタオルハンカチだけを手に握り、椅子に座りました。

そこからはもう…目の周りから中からワシャワシャと掛けられたり拭かれたりで、ガッツリ消毒され、1年9カ月前にも同じようにされたはずなのに忘れてるなーと思いながら、鄭先生の(当たり前なのでしょうが)診察の時とは違う張り詰めたような空気を感じ、しかし声はとても穏やかでゆっくりしているのに、動作はテキパキしている(ように感じる…だって、ワシャワシャしていて手つきまで見えない)そんなことに圧倒されていると、右眼に透明なシートを張られたり、部分的に剥がされたりしているうちに、全体にカバーがされて、右眼だけが出ている状態になりました。嗚呼…いよいよ始まる…と思った途端、カバーで隠れている左眼からなぜか涙が出ました。

そして「上…、右…、…左下」と見る方向を支持された後、しばらくして「3つの光の真ん中辺りを見てください」と言われます。光は上に横並びに2つ、その真ん中の下に1つあり、逆三角形のような配置になっています。「え?真ん中の光?」と思った私は、前にYouTube大高先生の白内障の手術の映像を見た時に「眼をキョロキョロされるのが一番困る」と言われていたのを思い出しながら、懸命に真ん中の下にある光を見つめます!…しかし、この光、何だか結構揺れる…。それでも、必死で見つめていると、私が見ていた真ん中の下にあった光だけが、突然消えて無くなってしまったのです!…あ!目印が消えた…と思ったら、気付きました。もしかして、3つの光で囲まれた真ん中辺りを見るように言われたんじゃないの?ヤダー!今まで少し下を見てたけど大丈夫かなー?!と思っていると、そのうち暗くなり…また明るくなったかと思ったら…終わったようで、しっかり貼り付けてあったシートをバリッと剥がされ、ガーゼを貼られました。このガーゼは、翌日の診察まで付けたままです。

他の人の体験談に、このシートを剥がされる時が一番痛かった!と書いてありましたが、私は前回の黄斑前膜の手術時も今回も全く痛くありません。それはきっと、肌バリアがしっかり保たれているからだろう、と密かに自負しているのですが…。

これは美活ブログではありませんが、少々お話しますと、かれこれ5年前になりましょうか。友人から、肌断食なる本を勧められ納得した私は、化粧水・乳液・美容液といったいわゆる基礎化粧品といわれるものを断ち、メイクも、ぬるま湯洗顔のみで落ちる極薄メイクしかしない生活に切り替えたのです。今までしていた、しっかり基礎化粧品やメイクを塗って→洗顔料でガッツリ落として→メイクと一緒に落ちたであろう水分・油分をまた基礎化粧品で補うべく塗って…の繰り返しを止めたのです。すると、それは私に合っていたようで、今までよりも肌がふっくらと厚くなってきたのです。つまり、この厚さこそが、いわゆる肌バリアではないかと思っております。

さて戻り、手術は無事終了し、時間にしてトータルで15分位だったでしょうか、腕時計をしていたのに全く見ていませんでした。怖さや不安は全く無くても、キョロキョロしないようにする!だけで、肩にずっと力が入っていました。当たり前なのですが、やはり、しっかり手術!でした。。。

そして、手術室から出て長椅子に座り、会計やお薬を待っていると、急に悲しくなってきて、涙が出てきました。ポロ…ポロ…と、止まりません。お薬を持ってきてくれた薬剤師さんに「痛いんですか?」と聞かれ、首を横に振ると「怖かったですか?」と聞かれ、また首を横に振ると「お水、持ってきましょうか?」と気遣って下さいました。帰りの電車の中でも、家に帰ってからも、ポロ…ポロ…と涙が出て、ガーゼの内側が濡れて、鼻のあたりがかゆくなってしまいました。手術は無事済んだのに、なぜか悲しくなって涙が出たのです。

その日はぐっすり眠りたかったので、睡眠薬と痛み止めを飲んで早めに寝ました。

悲しい涙の訳は、後日分かったのですが…それはまた、次回に。。。

 

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)

File15*右眼●ー*黄斑前(上)膜の術後*白内障手術の延期!

ー*黄斑前(上)膜手術当時49才だった為、白内障手術を同時にしなかった私の場合*-

(黄斑前膜の術後*1年9カ月)

 f:id:white-ivy:20200225152424p:plain 今日白内障の手術をする予定でしたが、来週に延期になってしまいました。。。

朝方の大阪で起きた地震の影響で新幹線が止まり鄭先生が新幹線に缶詰めになってしまい、いつ運転が再開されるのか分からないとのことで、急遽、このままいつこちらに到着できるか分からない鄭先生を待って手術してもらうか、来週に変更するか、という選択を迫られたのです。

 11時台の手術の予定でした。朝9時には受付をするよう言われていて、普段の出勤時より早く家を出る為、バタバタしていてTVも付けなかったので、医院でスタッフさんに言われるまで地震のことは知りませんでした。普段の定期健診は午後3時頃に行っているので、朝9時の医院は久々で…相も変わらず廊下の奥の方まで人がいっぱいでした!…聞こえてきたところによれば、大高先生も新幹線で足止めをくらっているとかで、とりあえず特急コースの先生のみで診察をするとのことでしたが…朝一からあふれんばかりの患者数、本日は鈍行になるのは必至でしょうから帰る患者さんもチラホラ。私も定期健診ならさっさと後日に出直しますが、手術ですから、翌日、翌々日、週末…と術後検診のために仕事の休みをスケジュールしていましたし…さあ、どうしましょう?と、しばし考えました。その間、近くにいた手術の患者さんが、スケジュールの調整がきかないから今日でないと困る、とか言っているのが聞こえてきます…。鄭先生がどの辺りで缶詰めになっているのかは分からないけれど、相当かかりそうだなあ…きっととてもお疲れになっていらっしゃるだろうな…と思うと、無理に今日してもらうより後日ベストコンディションでして頂いたほうがお互いのためにいいかな、と考えました。でも手帳を持ってこなかったので、まずは来週の仕事の予定を思い出します。そもそも肝心の来週の月曜が休みだったかどうか…?そうよ!術後検診のために月・火とお休みを取っていたのを思い出し、その後は連続勤務だけど…まあ、どうにかなるだろと、来週手術をすることに変更しました。

帰宅後、TVを付けると震度6弱と大きかったようで被害状況をずっと放送していました。午前授業で大学から帰ってきた息子と一緒に昼食を取りながら、1時前に新幹線の運転が再開されたことを知り、鄭先生は何時に医院に到着できるんだろう?長時間新幹線で座りっぱなしの後、手術されるのは大変だろうなぁ…(私もかつて、乗った新幹線が台風の影響で動かなくなり、朝まで過ごして辛かった記憶があるので、座っていても長時間同じ姿勢というのは結構疲れることはよく分かります)などと思っていると、急~に食後の睡魔に襲われ、そのままベッドで2時間も爆睡してしまいました。。。

というのも、私はお風呂上りに和室の窓辺で空を見上げてよく涼むのですが、昨日も寝る前に和室から夜空を眺めながらふと、右眼の水晶体に、これまでよく働いてくれたね!あなたのお陰でこれまでいろんなものを見てこれたよ!とお別れの気持ちが湧いてきて、涙が出そうになるのに出なくて…そんな気持ちの微妙な高ぶりのせいか、眠りが浅かったのです。(水晶体…、水晶のように透明だから?細かく砕かれるのではなく、きれいに取り出してもらえるのなら、見てみたいなぁと思う。)

今回の手術、鄭先生はまだ急がなくても大丈夫とおっしゃって下さっていたのに、手術する気になったのは、見えにくさが少しずつでも進んでいるのを自覚する中で、持っても1年弱というカウントダウンのような状態での時間の経過が負に向かっているように感じ、心がどんどん縮まっていくようで、嫌だったのです。治る可能性があるのならその努力をするけれど、徐々に悪くなるしかないのなら、何だか小さな爆弾を抱え続けているようで、それが嫌だったのです。そういう感覚が背中を押したのです。

地震で手術が来週に延びたこと。最初は、ま、そんなこともあるさ!くらいに思っていましたが、地震で多くの方が怪我をされていること、亡くなった方もいらっしゃるのを知り、ともかく鄭先生がご無事でよかった!と今夜も和室から夜空を眺めながら、思い直したのでした。。

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています) 

File14*右眼●ー*黄斑前(上)膜の術後*体験談と余談

ー*黄斑前(上)膜手術当時49才だった為、白内障手術を同時にしなかった私の場合*-

(黄斑前膜の術後*1年9カ月)

  f:id:white-ivy:20200225152424p:plain は黄斑前膜と分かる直前、今からもう3年前になりますが、ちょうど息子が高校生になり、これからはお金がかかる!という時、派遣から正社員の仕事への転職活動をしました。

派遣では住宅販売の営業補佐をしていたので(結局今も変わらないのですが)いっそ宅建の資格でも取って営業を頑張ろうか?と考えたり、しかし営業の大変さもよく分かっていたし、暗記が苦手な私が今更宅建に受かるとも思えないし、そこまでやる気もないような…で迷いながらの転職活動。しかも職種もあやふやに活動したので、年齢的にふるいにかけられる中ようやく面接まで進んでも、その迷いや甘さが出てしまい、うまくいきませんでした。実はその時、職場に苦手な先輩がおり、逃げ出したかったのもありました。そんな中途半端な気持ちでうまくいくはずがありません。不仲な先輩との関係は益々悪化し、転職活動もうまくいかず、更に息子の高校のある問題に頭がおかしくなりそうになっていたところへ、突如、視界の異変を自覚したのです。

この、初めて視界の異変を感じたときから、黄斑前膜の手術に至り、術後落ち着いてくるまでの経過を、横浜相鉄ビル眼科のHPに体験談として寄せていたのですが、

なんとこの度!

厚生労働省の「医療情報の提供内容等のあり方に関する検討会」により、病院のホームページに患者体験談を使った広告の禁止が、2018年6月1日から施行。

 されたそうで、医院のHPから患者の体験談を削除せざるを得なくなったとか。

私の寄せた、鄭先生への公開ラブレター♡おぼしき体験談は、1年間という期間限定のものと相成りました。。。

私の寄せたものが無くなるのはともかくとして、患者さんの実話である体験談は、同じ病気で悩む患者にとっては最も知りたいところだと思うのです。同じ病気に立ち向かいそれを乗り越えたからこそ、今を明るく語れる患者さんの声は、今を悩んでいる患者さんの何よりの勇気になると思うのです。かつて私も同じ病気の方の体験談を読み、もっともっと知りたくて探しました。だからこそ、今こうして発信し続けているのです。

(でもそれは、回復途中の私にとっても、自分を理解する心の最大の整理になっています。考えているだけでは断片的でまとまらないのに、書いているとそれらが繋がっていき、答えが出るように気が付く!そしてスッキリ!ということも沢山あるので、自分自身の為にもなっているのです。同じ病気で悩み、時に泣いているかもしれない人の役に立てれば!と思いながらも、同時に、書いている自分に自分も励まされているのです。)

ですが院長・大高先生の個人のHPには、患者さんからのお礼のメールとして残っているものもありますので、ぜひそちらにご訪問下さい  

眼科医 大高功(おおたかいさお)

そして、当時、視界の異変はほどなく黄斑前膜と分かり、進みゆく見えにくさと手術への不安から、転職どころか今の仕事すら続けられるのか?と、踏みとどまるのに必死になることになりました。結局、収入は少なくても、残業もなく、通院で休みの調整もしやすく、責任の薄~い今の派遣の仕事が、要領よく家事との両立ができないどんくさい私にはちょうど良かったのです。あの時、転職がうまくいかなくて正解だったのです。正社員になっていれば収入や遣り甲斐は上がったでしょうが、きっと残業や責任感やストレスで、私には家事との両立はとても無理だったでしょう。(神様は、そこんところをよーく分かってらっしゃったということです)

…実は先日、職場でその当時不仲だった先輩に偶然、3年ぶりに会ってしまいました。お互い、会いたくなかった相手に会ってしまった!…というのがモロバレな、これぞ上っ面!な挨拶しかしませんでしたが。(しかし、勿論そこは大人な笑顔です^^;嗚呼…笑顔って、時にとっても便利だったりする…)

というのも、関係が悪化した結果、更衣室で大ゲンカ別れ!以来の再開だったからです。(ヒャ~!あ、でも殴り合いではありませんから、流血はしておりませんので、ご心配なく。。。)

血液型を問われるとき、必ず「O型でしょ?」と言われるほど(O型じゃないけど)普段は穏やかな私ですが、意地悪な人は大っ嫌い!その先輩が異動してきてからの数か月、溜まりに溜まった不満からつい、営業さんや上司が周りにいたにも構わず言い返してしまった!日の帰りの更衣室で猛反撃をくらい(そう、賢い先輩は周りに人がいないところで強いのです!)帰宅後も怒り爆発なメールがきて、それを読んだ私は「もう、いやっ!」と携帯をソファーに叩きつけたのでしたが、その後先輩の方から異動を希望したらしく、それきり会うことはなくなったのです。しかし、その先輩によって私の悪評があっという間に広まったようで、それを聞きつけたかつてお世話になった他の先輩から心配してもらったり、彼女が苦手だった人は他にも何人もいたようで「ようやった!」とアッパレ扱いされたりで、勝ったのか負けたのかよく分からない結果でした。

(ふわふわもこもこ、柔らかくおとなしい印象のさん。しかし、そのもこもこの下には…侮ることなかれ!ちゃんとを持っているのよ。…と友人に言われました。そういえば、戦った先輩はトラだったなあ…そら、角出さないと勝てないわなぁ…。)

しかし、よく考えると、これまでも以前のパート先で、言い返してやりたい!と思うもっと酷い上司や先輩は沢山いたのに、結っ構泣かされたのに、当時は絶対に言い返すなんてできなかった。なので、我慢して我慢して溜まったストレスが限界に達すると、自己防衛本能として突然に転職スイッチが入り(ま、パートですけど)2年足らずで転職!を3回しました。いろんな努力をして頑張れるだけ頑張るけれど、もう無理!となったら、転職スイッチが入る。理由があるにせよ続けられないのは、根性なしのようで嫌だったのですが…ある友人に言わせると「長く続けている人は優秀、というわけでもないのよ。アイちゃんが2年で辞めた、というところがポイント!自分にとって3年を超えて続けるだけの職場なのかどうかは重要なところで、3年を超えると良い意味でも悪い意味でも変わってくるのよ。石の上にも三年、の意味は深いのよ~!」と。

へ~、そうなの??…良かった!根性無しじゃない説もあって!と喜んだのです ♪

ハッ!その先輩と喧嘩になったのは、この職について3年半の頃!3年を超えていたのも関係あったのかしら?それ以外の大波はなかったので、この仕事、気付けばもう7年目!Oh~!今、それを旦那に言ったら「長いじゃん!」と。そう、私は結婚前も転職していて、派遣ながら今の職が自己最長記録を更新していることに…。

でも、今思い返すと、あの頃が更年期による精神的なイライラがピークだった気がする。あの頃の私はどうかしていた、と思うのです。ホルモンバランスの乱れは、ブレーキが利かなくなってしまうのですから…やはり、恐るべし更年期障害

「思秋期、ミドルエイジクライシス、更年期障害…。全てはホルモンバランスの乱れのせいなのねー!」と、友人たちと深くうなずきあったのでした。。。

 

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)

File13*右眼●ー*黄斑前(上)膜の術後*決めた!

黄斑前(上)膜手術当時49才だった為、白内障手術を同時にしなかった私の場合*-

(黄斑前膜の術後*1年9カ月)

 f:id:white-ivy:20200225152424p:plain 眼・白内障手術の眼内レンズを、焦点40㎝に決めました!

私としては、ハーッ ハーッ ハーッ (…笑っているのではありません)と息が切れるくらいの、選択でした。…焦点40㎝と50㎝…、「そんなに変わらないんじゃないのー?」と言われそうですが…。。。

この数週間、私はずっと「40か?50か?…40か?50か?…」と口癖のように呟いていました。いろいろと想定したり、更に調べたりしてもなかなか決められずに、自分でもなぜこんなに迷うのか?…と。。。

確かに、私は、何かと どんくさい のですが、それは主に行動であって、思考における決断においては割とすぐに決められる方だと思っています。(よって、その理由はどんくさいからではありません!)…きっと、黄斑前膜になっておらず、左右のモノの大きさが同じに見えていれば、もっとシンプルに決断できたと思います。

元々希望する焦点は、40㎝でした。

だけれど、裸眼で1.0以上見えている正視の左眼が、将来白内障になり視力が落ちてきたときに、眼鏡で矯正すると、右眼の眼内レンズは焦点50㎝(2ジオプター以内)でないと(左右のモノの大きさが違って見える)不同視になる?

そもそも、そうなったときに、左眼だけ遠くが見えるレンズの入った眼鏡をかけて、眼鏡によるモノビジョンって成り立つの?

そうなったら、さっさと左眼も白内障の手術をして遠くが見える眼内レンズを入れれば、そのままモノビジョンでいられるのでは?…でも、そうなったら、中間距離が見えにくくなる?…ついに中間距離まで気にしだしたか?!

だって!今職場で目の前に座っている一回り歳上、同じ羊の眼鏡のオジサマ上司が、机に座りパソコンに向かうと普段かけている眼鏡を外し、パソコン距離用手元距離用の2つの眼鏡をかけ直しーかけ直しー仕事をしているのです。そして、しょっちゅう目の前の私に向かって「目が疲れる…」と言って目薬を点しながら「遠近両用の眼鏡にしようと思ってるんだけどね~」と言っているのに、いつまでも合計3つの眼鏡を使っているのを見ていると…それはそれは更に私にいろいろと考えさせるのです!

このように、私の性分はフル稼働し、諸々の想定による疑問が湧き出たのですが…、不確かなことは断言なさらない鄭先生を「予測不能です」と貝にしてしまったように…その予測の難しさにいつまでも決められなかったのです。。。

そして結局、中~遠距離を正視の左眼で見ることで、人の顔も鏡に映る自分の顔もそのままの形に見えることを重視したいので、右眼の縦長に大きく見える視界はなるべく近距離に抑えたい、そして今の生活とその少し先の生活を想定して考え、決めました。

今の仕事は、先ほど述べた3つの眼鏡を使っているオジサマ上司がいる職場はほぼデスクワークなのですが、もう一つの住宅販売の営業補佐の仕事では、受付、お茶出し、電話受付、パソコン入力他事務作業、在庫パンフの補充発注、住戸の掃除等…1日中、立ったり座ったり移動したりしていますから、術前や術後しばらくの頃はしょっちゅう老眼鏡をかけたり外したりしていました。制服があり、その胸ポケットに老眼鏡を入れていたのですが、うっかりどこかに置いてしまって、ない!ということもあり、その時にお客様がお帰りになった商談宅を急いで片付けたつもりが、ちゃんと片付いてなくて注意される!ということもありました。住宅販売の商談宅は、イマドキおしゃれな暗暖色で、必ず物件周辺の地図が印刷されたデスクマットが敷いてあるのですが、それに貼ってあったフセンや出たままになっていたクリップが、明るさが足りないのと地図のごちゃごちゃで裸眼では全く見えなかったのです。それからすると、今はちゃんと裸眼で見える!まで回復したことの有難さよ!!そして、私にとって、モノビジョンはこのような今の仕事にはとても便利なのです。

しかし、通常、白内障手術やレーシックでモノビジョンに設定する場合は、優位眼(利き目)を遠くが見えるようにするらしいのですが、私の場合は逆で(自然とそうなったのですが)優位眼の右眼で近くを見ているのです。いわゆる指で輪っかを作り、両目で見た状態で少し先にあるものにその輪っかが入るようにして、片目ずつつむって輪に入ったものが見える目が利き目らしいのですが…今、それをしてみても視力が落ちているボケボケの視界の右眼が利き目になるのです。利き目が変わってくれればいいのですが、長年担ってきたその座をなかなか明け渡そうとしないようです。術後間もなくの頃、アプリコットさんのブログにも書いてますが、利き目を変えよう!として、しばらく眼帯をつけて過ごしたことが懐かしく思い出されます。自分の身体の一部なのにコントロールできないもどかしさよ。。。(もう慣れましたが)私のモノビジョンに違和感があるのは、そのせいかもしれません。

私は今、車の運転もスポーツもしてませんし、今後もする予定がなさそうなので、このままモノビジョンで焦点40㎝の眼内レンズに決めました。でも、自転車には普通に乗っていますし、毎朝のように?駅まで階段を含め走ったりもしていますので、そのくらいの行動はできますが、車の運転や球技などのスポーツは難しいかも?と思っています。テニスや卓球でもする機会があれば、試してみたい気持ちはありますが、慣れれば遊びにはできるでしょうが、それをしっかり頑張りたい人にはモノビジョンはどうかな?と思います。車の運転やスポーツは、スピードや遠近感、視野の広さが重要だと思うからです。

(黄斑前膜の手術は白内障手術を同時にして左右の視力を同じようにする人が多いでしょうから、私のようにモノビジョンにはならないでしょう。術後数か月はダブって見えたりするかもしれませんが、網膜の戻りが落ち着くと、左右の視界の中間で像を結ぶと思います。私のように人の顔が少々歪んで見えることを気にすることよりも、運転やスポーツを優先したい人には、モノビジョンでないほうがいいと思います。)

普段、老眼鏡をかけるのは、パソコンやデスクワークをするときです。料理を作るときはかけなくても、みじん切りもできます。新聞を読むときはかけたほうが見やすいですが、寝る前に寝転がって読書をするときは裸眼です。

TVの距離は正視の左眼で見ていますが、普通に見ていますし特に疲れるということもありません。TVはそんなに長時間視ることはありませんが、パソコンは長時間使います。でもブルーライトカットの入った眼鏡のお陰か、特に疲れません。(黄斑前膜の手術をする前、ブルーライトカットの入った眼鏡もかけていないときは、とっても疲れていました。)

お月様は一番遠くにあるのに、シンプルなbackに光り輝いているので、近視の右眼もしっかり捉えてしまい、離れて2つに見えます。光っていなくても、単純なもの、しかも丸い物は少々遠くにあるものでも、ダブって見えます。

この今の視界と同じくらい、若しくは若干見やすくなるのを期待して、右眼に焦点40㎝の眼内レンズを選んだのですが、勿論、焦点ズレする可能性はあるそうです。それは、人の眼は精密機械ではないから、計算式通りにいかない眼球の形だとそうなりやすいとか。屈折とか難しい事は分からないけれど、つまりは眼球はほぼ丸いけど、精密にまん丸ではなく、多くの人の眼球の形を平均した計算式に沿って手術をなされるけれど、その人の眼球の形によりズレが生ずることもある、という理解でいいのかしらん?鄭先生?!

さあ、どうなるのか?

ちょっと、ドキドキ!ちょっと、楽しみ ♪ です。。。 

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)