羊雲

羊 雲

✥ 復路の羊のふんわりノート ✥

File42*右眼●ー*黄斑前(上)膜・回想録【4】術後1週間*OCT画像付き(追記)

ー*同じ黄斑前膜の手術をしたハルさんと共にFile1*術後1年3ヵ月】以前を振り返ります。初めての方は、先に ABOUT をご覧ください。*ー

f:id:white-ivy:20200317205656p:plain 私にメール相談を下さってから10カ月後に手術をされたハルさん。

ハルさんは50代後半なので白内障手術同時にされました。

白内障手術を同時にするかどうかは50才になっているかが一つの目安のようです。理由は50才以上の人は黄斑前膜の術後近いうちに白内障を発症する率が高いから。また、同時に手術する方が白内障手術のリスクが低くなるとか。あとは白内障が少しでもあると手術しにくいそうです。実際私は当時49才だったので同時にしませんでしたが、やはり1年経たずして白内障になってしまいました。それでも同時にしなかったからこそ、モノビジョンという選択をすることが出来たんですけどね。)

手術後1週間のハルさんのメールを一部紹介しますね。

白内障の手術も同時にいたしました。

アイさんが体験された『半分白い』は、私も術後数日は鮮明でしたが、

その後、それほどでもなく『若干白い』になりました。

特に肌の色が明るく見え、本当にびっくりしました。

 

あと、硝子体手術に関して、特殊なガスではないのですが空気を入れました。

術中に剥離や穴があいたとかではなく、術前から空気を入れると説明があり黄斑前膜の手術では珍しいように思います。

 

別段うつ伏せが必要ではなく普通に過ごしました。

空気が完全に抜けたのは昨日で、今日ようやく視界全開なのですが、

術前にはなかった黒い浮遊物が視界の端っこにあり、まだまだ違和感があります。

でも視力はそこそこ戻ってきているような気がして、手術して良かったと実感しております。

 

空気が入っていたため、視力検査やOCTはまだしていないのです。

膜が取れて、どれだけ厚みが減っているのか気になりますが、

歪みや見え方は自分で自覚できるものなので、今の状態であれば

あれだけ怖かった手術ですが、やってよかったと心から思います。

 

視力が落ち着くまでしばらくかかりそうですが

歪みはある程度は治らないと承知しているので、進行が止められただけでも有難いことだと思っております。

手術の時の様子の記述はなかったのですが、本当に怖かった手術が無事終わり、結果が良好なことに大きく安堵されている様子が伝わってきます。私も本当に良かった~と思いました♡また、事前にガスを入れることになっていて、ガスを入れてもうつ伏せで過ごさなくてもよいこともあるんですね。

の術後すぐはどうだったか?思い返してみると…、黄斑前膜の術後も白内障と同様1週間は目に水が入ってはいけないので洗顔や洗髪は禁止だしお風呂も厳重注意でした。寝る時もゴーグルを付けていました。

術後1週間はパソコンはしない方がいいと注意書きにあったので仕事は休みました。何より術後は白目が全体に真っ赤になるので、半分接客もする私は当然客前に出られないだろうと思い1週間休みを取ったのですが…。1週間経ち、ようやく目の赤みも引いてきた時「よし、1週間過~ぎた♪」と解禁の喜び勇んに友人に少~し長めのメールを打っていたら、手術とは反対の目が結膜出血してしまったのです。結膜出血は初めてだったのであわてました。痛みはないのですが、調べると特に対処方はなく1週間程度で自然に消えるのを待つしかないとあります。ストレスなどが原因とありましたが、手術していない方の目にも負担が掛かっていたんだなあと驚きました。しかし見た目に白目が半分鮮血色に覆われるので、息子に「…ホラーだ!」と言われながらも仕方なく仕事復帰しました。会社には目の手術で休むと言っていたので、出社すると(実は)結膜出血で目が半分真っ赤な私に「そっちの目を手術したのねー!もう大丈夫なのー?」とみんなに心配され「あ、いえ、その…はあ、まあ…」と都度説明するのもめんどくさいことに。でもその見た目がホラーなことで、返ってみなさんに同情され…優しくフォローしてもらえることになりました。hahaha。

追記:私のOCT画像を添付しました。

手術1か月前⇒ 手術翌日:正常な左眼

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手術前の断面写真(左⇧)は、膜が張り付いているのが何となく分かりますよね。

手術後(真ん中⇧)は、膜が取れたことで特に上の写真の左側の盛り上がりが減っていることが分かります。膜によって引っ張られていた網膜が放たれたからでしょうか、たった1日でこんなに目に見えて戻ったのはこれきりでした。

左眼の正常な網膜は、窪みの周りが少し高くなっています。

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手術1か月前⇒ 手術翌日:正常な左眼

下の写真の数値は、上の写真=黄斑部の高さ?(厚み?)の平均値のようなものだと思うのですが、手術前は膜が視界を遮っている為に検査機の中心を見ることができず検査結果がズレています。手術翌日も、手術後からずっと張っていたガーゼを取って間もなくの撮影だったからか若干ズレています。(色が不鮮明なのは医院のコピー機の調子が悪かった為です。)

それにしても、正常な左眼黄斑部の何とも言えない優美な窪み°˖✧

何度見てもうっとりしてしまいます。。。

 

追記2:

そういえば、術後1週間検診の時に抜糸をしました。白眼を縫われていたようなのですが、全く分からないほど違和感がなかったので、鄭先生に「今日は抜糸をします。」とサラリと言われ「えっ⁉」と驚いている間に看護師さんに「はい、しっかり頭を付けて…」と押さえられ「痛くないの?」と思う間もなく、鄭先生は無言のまま瞬時に抜糸を終了されました。

ビッ!と一瞬衝撃が走りましたが、その後痛みや眼が赤くなるということもありませんでした。鄭先生にとっては日常的に行っている医療行為なのでしょうが、私の思考回路が追い付かないほどの見事なその手際の良さに圧倒され、惚れ惚れと致しました。

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)

 

File41*右眼●ー*黄斑前(上)膜・回想録【3】いざ手術!*

ー*同じ黄斑前膜を患ったハルさんと共にFile1*術後1年3ヵ月】以前を振り返ります。初めての方は、先に ABOUT をご覧ください。*ー

f:id:white-ivy:20200317205656p:plain あれ、もう真冬。コロナの数はおののくばかりに爆増し、変異種という新たな恐怖も出る中で、あららという間に年末を迎えています。このブログの『httpsへの切り替え問題』も解決できぬままに…というかそっちのけで(そう、もしかしたら難題逃避なのか⁈)一旦火がついてしまった片付け熱にずっと夢中になっておりました。休日ごとに、あちこちの中の物をすべて出す→中を全部拭いてキレイにする→必要なものだけを選別し使いやすく戻す。これが、スッキリキレイになると私の中に溜まっていた悪いもの(?)もスッキリ落ちたんじゃないかと思うくらいとても気持ちが良くて、心がぐっと軽くなるのです !キッチンは特に油汚れを落とすのが大変なのですが、目を付けて買ったオレンジ成分の入ったキッチンマジックリンで拭くと簡単に激落ちするので、ま~、やる気MAX!ORIX??

でもあまり長時間すると肩こりが酷くなるので、部分的に小分け作業にしています。1箇所キレイにするとその隣もキレイにしたくなるもので、これが快感になり止められなくて ♪ しかしこの断捨離もなぜか気持ちが向くタイミングでしないとちっともはかどらず苦行でしかなくなるので、自分の気が変わらないうちに出来るだけ進めたくて…という事情はまだ継続中なのですが…いい加減に回想録【3】を書かねば!

いうのも、年明けよりメールでご相談頂いていたハルさんが遂に黄斑前膜の手術をされたのです!(ハルさんのこれまでのメール相談は以下)
hitsujigumo.hatenablog.jp

hitsujigumo.hatenablog.jp 手術をされたのは10月なのでもう二カ月前になりますが、経過は良好だそうです。8月9月辺りで更に視力が低下し手術を決意されたそうです。こちらには載せられませんが、見せて頂いたOCT画像は手術前の私の網膜よりも数値が高かったですし、私も自覚してから半年を過ぎる頃から見えにくさがどんどん増していき日常で不自由を感じるようになりましたから、手術を決意したのは同じくらいのタイミングになったのかな?と思います。

何度も言うようですが、黄斑前膜はOCTで網膜の厚み(?)の数値は出ますが、それによってドクターから手術を勧められることはないと思います。早く手術をしたら網膜が元通りになる、ということではないからでしょう。

重視すべきは正常な眼と両眼視した時の見え方。網膜の盛り上がり方は人それぞれで、左右の視力も利き目も違えば、両眼視した時の見え方も違ってきますから、それがどんな風に見えているかはドクターにも分かりません。ある程度のOCTの高数値や視力の低下と合わせ、患者が不自由を訴えた時が手術のタイミングとなるのでしょう。

ならば、患者としてはいつ不自由に感じるのか?は、仕事や趣味などそれぞれの生活スタイルにより個人差がありますが、おのずと自覚するときが来るはずです。

私は、数か月前は見えていたものが見えにくくなり進行が止まらない恐怖を感じ、これ以上見えにくいのは困る!と焦りのようなものを感じて初めて手術を決意しました。

ハルさんは手術する病院を、ご自宅から通える範囲で硝子体手術を得意とする3件の眼科に診てもらい決めたそうです。その後の経過もメール頂いているので、私の回想録に合わせて紹介していきますね。

実は、手術の回想録をなかなかアップしなかったのは、私のブログを何度も読んで情報を参考にしているとおっしゃるハルさんがそれを読んで手術に対する恐怖心が増してご自身の手術のタイミンングに影響が出るようなことになってはいけないと思ったこともあります。ハルさんから聞かれたことには答えましたが、ハルさんが知りたくなかったことを伝えてしまうことになってはいけないという気持ちがありました。

(世の中、知りたくないこと、知らない方が良かったことは沢山ありますからね。)

では、長らくお待たせしました!回想録【3】いざ手術!~を始めましょう。白内障手術は同時にしていないので、同時にした方の様子とは少し違います。(白内障手術を同時にする場合は白内障手術が先のようです。)かつて医院に寄せていた体験談に加筆しています。

ー*右眼●ー*黄斑前(上)膜・回想録【3】いざ手術!*ー

手術を決意して、初めての診察の日。検査を挟みながら待つこと数時間。ようやく外待合の席に呼ばれ待っている時、壁の向こうから聞こえてきた鄭先生の落ち着いた感じの関西弁のイントネーションに急に緊張してきました。関西の方だということはHPの医師紹介で知っていましたが、事前のメール相談で頂いたお返事は文章なので関西弁を感じなかったからか、関西弁慣れしていない私は人見知りしてしまったのかもしれません。手術の事をしっかりと聞いてこようと思っていたのに、診察室に入ると何も聞けなくなってしまい、先生の言葉をひたすら待っていました。OCTの結果と診察で黄斑前膜を確認説明された鄭先生は、私が問診票に手術希望と書いていたのを見て「網膜の厚みが1.5倍位になっていますし、矯正視力も0.7まで下がってますので手術のタイミングとして適切とは思いますが…後は見え方次第ですね…?」と言葉少なに慎重な発言でした。もう心は決まっていましたから、見えづらさが進んでいるのでなるべく早く手術をしたいと思っていることだけ伝え、1ヶ月後に手術を決めました。この時、494ヶ月だった私に先生は「50歳になっていないので、白内障の手術は同時にしないでピント調節機能を残しましょう。」とおっしゃいました。50才以上なら白内障手術を同時にする、というのは医院のHPで読んで知っていましたが、もう数か月で50才なので「一緒にしますか?どうしますか?」くらいに聞かれるんじゃないかと思っていた私は予想外で少し驚きました。この歳にしてもう白内障手術をすることになるかも?と半分諦めていただけに「ピント調節機能を残しましょう。」と当然の権利のように可能性を残してもらえたことが嬉しかったです。最後に「では何かあるようでしたら、メールください」と名刺を差し出され、それに安心した私はようやく緊張が解け、笑顔で名刺を受け取ったのでした。

その後手術まで1ヶ月の間、疑問に思うことや知りたいことは医院のHPにほとんど出ていましたから、1度もメールすることはありませんでした。不安だったのは、もしもガスを入れなくてはいけなくなったら起きてる時も寝てる時もずっと下を向いた状態で1週間くらい過ごさなければならないから術後の生活が大変だなあということでした。でも、手術中に私に元々他の眼病が見つかれば仕方がないけれど、鄭先生ほどの技術と経験をお持ちなら網膜が傷つかないようにより優しい手術をしてくれるだろうと信じていました。あとは手術中に地震が来たり、又、鄭先生が急に具合が悪くなって倒れたりしませんように!とだけ、天に祈っていました。 

そして、いよいよ手術当日(初めて視界の異変を感じてから10ヶ月後)

前日は緊張することもなく良く眠れ、指定された時間に医院に到着。30分置きに麻酔の目薬を点され待つこと数時間。診察で来ている他の患者さんと同じところで待っているので気が紛れ、そんなに待った気がしません。同じように手術前の点眼をされている患者さんも何人か見受けられます。同じ黄斑前膜かどうかは分かりませんが共に眼病手術に挑む同志!という気持ちが湧き勇気がでます。いよいよ順番が来て名前を呼ばれ手術室に入りました。タオルハンカチをおなかの上でギュッと握っていました。歯医者の治療など、こうゆうときは手に何か握るものがあると安心します。手術する眼だけが出ている状態になるようシートで覆われテープでしっかり固定されます。念入りに消毒された後、上→右→下→左…と言われる方向にゆっくりと目を向けて、斜め左上あたりで止められました。そして最初に(麻酔注射なのか?)2度ほど器具が差し込まれた時だけ、グッと衝撃を感じ驚くのですが、痛みはありませんでした。外界は全く見えず眼内であろう硝子体らしき糸くずのようなものが混ざった白いものが動いているのと棒状の影が見え、その間、眼を閉じられないのが辛いとか目を閉じたいと感じることは1度もありませんでした。おそらく術中は目が乾かないよう調整されているのでしょうね。後半暗くなってからは、もはや目を開けているのかも、どちらを向いているのかも何も分からなくなりました。でも先生が何もおっしゃらないので大丈夫なんだろうと思っていると「取れました」と先生の微かなお声が聞こえ…安心したのでした。手術時間は30~40分くらいだったと思います。

心配していたガスを入れるようなことはなかったので、30分くらいかけて一人で電車で帰りました。貼られているガーゼが大きく、まるで事故で顔面を半分近く負傷した人のように目立つので、人混みでも避けてもらえます。しかし、片目ですから、つまづいたりしないように慎重に歩きながらですし、昼間で電車が空いていたから良かったのですが、帰宅ラッシュの時間だったらきっとタクシーにしたと思います。

 とにかく、一番心配していたガスを入れなくて済んだこと、途中で地震が来たり、鄭先生が具合が悪くなって倒れることも何事もなく手術が済んだことにほっとして、電車で一人で帰ることなどへいちゃらなくらい、本当に良かった~と安堵でいっぱいになりました。。。

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)

 

秋の夜長に…虫の知らせ? http ⇒ https に切り替えなくてはならないらしい!?

f:id:white-ivy:20200225142710p:plain 々と…は深まり、ブログにはノータッチのまま…前回からまた3カ月が過ぎていました。振り返れば…今年の夏もとても暑かったけれど、梅雨が長かったせいで暑い期間は短く、夏はあっという間に終わってしまった。。。

スク不足がきっかけで作り始めた布マスクが、暑さが落ち着く9月頃までは毎日のようにネットショップで売れていたので、まとめ買いしていた材料のある限り作りに作り続けていました。…おそらく全部で400枚(!)くらいは作ったと思う。2~3枚入りで出品していたので、150人以上の方々にご購入頂き、使い心地が良いからと2度3度と購入下さる方も何人もいらっしゃいました。長引くマスク生活にささやかながらも役に立っていることが嬉しくて、園児用、小学低学年用、小学高学年用、大人用S~LLサイズまで、2枚合わせに3枚重ねなど要望に応えて展開していき、ご希望サイズのオーダーもいくつか受けました。キレイに梱包したりといった作業もわりと好きなので、私が嬉々として朝から晩までマスク職人をしているのを見ていた旦那に「それ本職にしちゃえば?」と言われたのですが、ハンドメイドは時間がかかり大量生産できませんし、所詮素人の作品、市販品よりも価格を抑えているので利益などいくらにもなりません。そもそも儲けようと思って始めたのではありません。マスクが市場から消えるという未曽有の事態に「マスクが売ってないなら作ればいい!」と作り方が出回りブームになったけれど、みんながみんなそう簡単に作れるものじゃないだろうし、作る時間のない人、裁縫自体が苦手な人もいるでしょうと思い始めたことが、ここまでになってしまったのです。このブログに記事をアップしていくように、マイページに(たかがマスクといえ)少し素敵に見えるように写真をパシャリ☆分かりやすく特徴を記載して出品する。それを見て良さそう♪と思って下さった方がご購入下さる♡ 使い心地が良い!と評価を下さる。それを見た他の人がまたご購入下さる♡ そんなマイペースな1人ショップが楽しくて ♪ 旦那が言うように、本当にこれで最低時給くらいの収入になるのならマスクに留まらずハンドメイドショップに本腰入れてもいいかも!と思うくらい自分でも向いているのが分かりました。だから何カ月もブログをほったらかしにするほど、そっちに夢中になっていたのです。書くことも好きだけど、作ることも好きなんです。まあ、どちらもそこそこにしか出来ませんが…。そうしてようやく材料がなくなり、残りわずかになりました。今や市販品が多く出回るようになったので、これでマスク職人もお役目終了です。。。

3つのサイトに出品していたのですが、仕事に出ている時も売れるのでメッセージを返したり在庫管理をしたり、要望のメッセージが入ればそれにお応えしたりで、スマホが無かったらとても出来ませんでした。品をサイトにアップするのはパソコンの方がしやすいのでパソコンもあった方がいいのですが、仕事に出ながらだとパソコンだけでは大変です。過去記事を読んで下さっている方ならご存じでしょうが、私がスマホに切り替えたのは去年の夏。それまではガラケーでも特に不自由していなかったので使い続けていたのですが、とうとう通話の声が聞こえなくなったのでスマホに買い替えたのです。それから数か月でまさかのコロナにより世の中が変わり、SNSはより絆を深め、スマホがこんなに役に立つようなことになるなんて…長年頑張ってくれたガラケーがタイミング良く壊れてくれて良かった ♪ と亡きガラケーに手を合わせたのです☆彡

んなこんなのマスク作りが落ち着いてきた頃から急に涼しくなり、ぐっと過ごしやすくなってきたこともあり、次に私に入ったスイッチは片付けでした!正直、この数年、それこそ黄斑前膜を患った5年前頃より、押入れの中やクローゼットの中などの普段見えないところがどんどん詰め込み状態になっていたのに、どうしても気持ちが向かずずっと片づける気になれないでいたのに、ついにやる気スイッチが入ったのです!!

コロナ禍で旦那がテレワークになってからずっとリビングを占領しているので、私は寝室のわずかなスペースに以前から持っていた折り畳み式の小さな簡易テーブルを広げ、そこにミシンを置いて作業していました。マスク製作が忙しいうちはさほど気にならなかったのですが、落ち着てきて毎日ミシンを使わなくなってみるとやはりそれがあるせいでクローゼットは開けにくく圧迫感を感じるようになりました。元々好きだったミシン作業の楽しさを取り戻した私は、マスク製作が終わったら他の布小物作りをしたいと思い、もっと落ち着いてミシンができるスペースを作りたい!ミシンだけでなくそこでブログもできる、そんな私のスペースが欲しい!!と部屋のレイアウト替えを決意しました。

今までも定期的に大方付けをするたびに不用品を捨てていましたが、今回もかなり断捨離しました。スペースを作るには物を減らすしかありません。まず和室の物を減らしてスペースを作り、寝室に置いていた背の高い本箱を和室に移動させ、そこを私のスペースにすることにしました。折り畳みテーブルは壁に着けて置いても奥まで入らずイスも途中までしか入らなくて飛び出してしまうので、小さいながらもスッキリと収まりの良い腹引出し付きの白いミニデスクを思い切って買い足しました。この腹引出しにちょうどミシン糸や裁縫道具が綺麗に入り大満足♡ チェストの配置も変え、隣に低い収納BOXを置いたら、寝室が前よりも広く感じるようになりました。ポイントは家具高さでした。元々、背の高い家具は圧迫感が出るのでくつろぐ為のリビングには置いていませんでしたが、その分、収納を増やすために和室や寝室に背の高い家具を置いていました。寝室は寝るだけだから!と壁面はほぼ天井近くまで収納家具を置いていましたが、思い返すとまるで高層ビルに囲まれて寝ているようでした。そして今回、低い家具スペースを少し作っただけで、ぐっと圧迫感が減り寝心地も良くなった気がするのです。こうして一つやり出すとその周りが気になり…という具合で、ついでに寒くなる前に大掃除もしちゃえ!と休みの日に次々と進めていきました。とは言っても、いつも家族が家にいるので、家族分の昼ご飯を作るとそこで時間を取られるし、何より片付けは一つ一つの物と向き合わなければなりません。捨てるか?必要か?取っておくならどこにどのようにしまうか?と考えながらなので、そうサクサクとは進みません。ようやく寝室と和室がほぼ終わりましたが、キッチン、洗面所、他収納戸棚など、まだまだ残っています。こういうことは気候の良い今のうちに、しかも気持ちが乗っている時にしてしまわないと、寒さが苦手な私は寒くなると絶対やる気を失う、一旦気持ちが向かなくなると重い扉が閉まったようにそれを再び開けるのはどうしてなかなか難しいのです。

うして部屋も気持ちもかなりスッキリ!してきた頃、久々にハルさんからメールを頂いたので、さあ私のスペースでそろそろブログを…と久々に開けると、上方に≪クッキーをどうとか≫という色付きのメッセージが付いていました。下には≪タグをつけるとどうたら≫という新しい機能も増えている。そして…これはいつからだろう?いつしか、私のブログのURLの左側に≪セキュリティ保護なし≫というのが付くようになっていて、無知な私は「マカフィー入れているのに。マカフィーはいつも異常なし!といろいろ報告してくれるのに…どうして私のブログを保護してくれないのかしら?」と思いながらもブログを続ける分には特に問題を感じないのでそのままにしていましたが、今回さらに開くと≪httpsに切り替えが必要です≫と今までにはなかった形で出てきました。何のこと?と何も分からないながらも大事な作業らしいので調べていくうちに少し理解しましたが、難解。。。切り替え自体は簡単そうで、切り替えた方が安全になるようだ!というのは分かったけれど、問題は混在コンテンツエラーになったときの対処の仕方がよく分からない。はてなのヘルプを読んでもヘルプのヘルプが必要な私には理解できないのです。そこで他の方のブログによる解説をいくつか読んで勉強しましたが…どれも2年以上も前の記事で驚きました!どうも、”はてな”はhttpsへの対応が遅かったらしく、IT意識の高い皆さん方は「待ってました!」とばかりに切り替えられたようで、それが2年前の騒ぎだったらしいのですが、私はなーんも知らずに2年もの間、書くことだけに熱中していたのです。。。そしてふと、私の眼記事のおしりに毎度張り付けている、かかりつけ眼科はどうなってる?と私のブログから飛んでみると同じく≪セキュリティ保護なし≫!となっているではありませんか!! http のままってことでしょ?大高先生はいいのかしら?私が https に切り替えると、これがまさに混在コンテンツエラーになるってことでしょ!?…うーん、その対処の仕方をしっかり調べてちゃんと分かったら、切り替えますから…もう少し待ってて下さいね。は~。。。

追記:ハルさんのメールについては次回、回想録【3】でね♡

追記2Chrome 86(2020年10月リリース)以降:混合コンテンツをすべてブロック

⇑これは、2020/2/10のマイナビニュースです。

これを書いた4か月後の今日(2021/3/17)呑気な私が、いい加減 https の切り替えに取り組まなくては!と調べていたら発見しました。。。。この記事をアップした時点で既にアウトだったなんて…。っ!? ブロックって表示されないってこと?だから、他人様の記事を読んでいるとたまに部分的に真っ白なところがあるの??…と慌ててchromeで我がブログを開いてみると、urlの頭に『保護されていない通信』とはあるけれど全部表示されている…。http の中に http と https が入っているのは混合コンテンツにならないから、らしい。益々頭が混乱するが、https に切り替えると http に戻すことはできないようなので、ハードルが高くなったことだけは分かったが…、もう少し勉強しないと切り替えられない。え~ん💦

追記3:2021.3.25 ようやくhttps変更しました!⇩
hitsujigumo.hatenablog.jp

 

 

File40*右眼●ー*黄斑前(上)膜・回想録【2】どこで手術する?*

ー*同じ黄斑前膜を患ったハルさんと共にFile1*術後1年3ヵ月】以前を振り返ります。初めての方は、先に ABOUT をご覧ください。*ー

f:id:white-ivy:20200317205656p:plain 記事より放置する事約カ月…。かつてこんなに間隔が空いたことはありませんでした。アクセス数を見ると、日によって偏りはあるものの私にとっては多くの方が以前と変わらず根気よく訪問くださっていらっしゃることが分かり、数でしか分かりませんが、回想録の続きを待っていらっしゃるのだとしたら…お待たせしてごめんなさい。

急事態宣言』が解除されてからは、派遣切りされることもなく住宅販売補助の仕事は通常勤務に戻りました。これが…住宅購入などさして急がないのでは?と思えるのですが、現地は思いのほか来場があり忙しいのです。もう一つの不動産事務の仕事は時差出勤しながらも、正社員の半分テレワークに合わせてまだ半分は自宅待機です。自宅待機と言っても有給扱いで、この4月に『同一労働同一賃金』が適用開始されたので、長い間派遣にしては激安だった時給がこの非常事態でも幾分アップしたのは然り、待遇も守られるようになったのかもしれません。派遣元が頑張って交渉してくれたようですが、子会社であるグループ派遣会社なので有利なのかもしれません。いずれにせよ、私にとっては働き方改革の効果です。

そして旦那はテレワーク継続中、息子もオンライン授業で家族はずーっと家にいるので、自分の部屋がない私は自分一人の時間が無くなり、こうしてブログに向き合う時間がなくなっていたのです。

それに何より、マスクが品薄になった時に自作した『さらし』のマスクが身内に好評だったので、ハンドメイドサイトに出品したらこちらでも好評で、材料を買い足し要望されるままにサイズや種類を増やすなど、休日はミシンに向かいマスクばっかり作っていました。そこでしっかり役に立ったのが、去年、旦那のメガネ買い替えについて行った店で、フレームに一目惚れして作った近々用のメガネ!

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(これに関しては、メガネが増えていくキッカケにもなり、その後ズルズルと諸々ありましたが…。詳しくは以下の過去記事でどうぞ。)

hitsujigumo.hatenablog.jp

 モノビジョンの私の眼に合わせ左右のレンズ度数をうまく調整してもらい、PC用のメガネより近くにピントを合わせています。PC用メガネのようにブルーライトカットも入っていないので、明るい分小さな縫い目も良く見えます。今までは爪を切ったり、マニキュアを塗るときにしか使っていませんでしたが、こうしてメガネを使い分ければ、黄斑前膜の術後でもモノビジョンでもちゃんとお裁縫も出来るんです☆彡元々お裁縫は好きなので、楽しく作っては発送 ♪ を繰り返していましたが、それもようやく材料が少なくなってきて一段落し、夏休みに入ったところで、久々にブログを開いた次第です。

白内障手術をする前のこと。ブログにも書いていますが、普段は近視用のメガネをかけていた以前の職場の上司がパソコン距離用と手元用のメガネをかけ替えかけ替え仕事をしていて、たまにそのまま近くが見えるメガネをかけて外出しては「この眼鏡では外を歩けない」と時々戻ってきていたのを苦笑いで迎えながら、その頃は、大変だなあ…と他人事に思っていたのを思い出しました。…でも今は、見たいものがちゃんと見えるならメガネを使い分けることなど大したことではない!と思うようになりました。hahaha。)

、夏休み…だけれど実家山口に帰省はしていません。依然として全国的にコロナ感染拡大中の今はまだ高齢の両親には会えません。会えないと思うと会いたくなってくる気持ちを我慢して、両親とはちょこちょことラインで様子を伝え合っています。私が去年の夏にようやくスマホに切り替えたのをきっかけにラインを教えたら、メールよりも会話のやり取りの履歴が分かりやすいからラインの方がいい!と、父81才&母77才は高齢ながらもなんとか使いこなしています ♪

しかし、コロナ対策で外出を控える期間が長くなり家にばっかりいるとコロナボケするのでは?と心配して電話してみると、高齢者当人は危機感が違うようで「マスクは飛沫によって感染させない効果は高いけど、予防としての効果は低い」などと連日TVで流れる情報がしっかり頭に入っている様子。感染者数の少ない田舎は対岸の火事感覚かと思いきや、みんな意識がとても高く、3密を避けるなど真面目に守っているのだとか。平和ボケの反対効果とでも言いましょうか、緊張感により逆にシャキッと生活している様子にちょっと驚き、安心したのです。

一方、通勤電車に乗ってもスーパーに行っても日常生活の場でさえ、どこに行っても人が多いのである程度の密は避けられない関東に住む私は、会食には行かない、マスクをしていない人とは距離を置く、こまめに手洗い、などに気を付けて生活するしかありません。

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⇑ これは、岩手県九戸村特産の鶏肉をPRするキャラクター「キングオブチキン」が新型コロナウイルス感染症対策を呼び掛けるポスターです。以前話題になっていたのですが、卵40個分って…あまりにシュールで気に入ってしまいました。岩手県は長い間感染者”0”でしたから、このくらいの余裕を見せられると心強いですよね!

まだ、私の身近には感染者は出ていないのですが、先月実家の友達数人とオンライン飲み会をして、その時はとても楽しかったのですが、その後そのうちの一人がコロナ感染の危機に直面したのです。全国ニュースにもなった逮捕された後にコロナ感染者だったことが分かった迷惑系ユーチューバーが山口にも来ていた時に、飲食店で近くに座っていた宇部の女性が感染したのですが、その女性が私の友人の勤める病院の職員だったので病院関係者は全員PCR検査をしたのだそうです。全員陰性だったので一安心でしたが、彼女は内科医で同居する旦那様もお医者様、娘は看護師に息子は医大生と医療従事者一家で同居する両親は勿論高齢だし、もしも陽性だったらその波紋は大きかったでしょうから、結果が出るまで本当に心配だったと。。。

…病院といえば、1月末に定期検診に行ったきり、術後4年!になろうかという今はもうOCTに変化も無くなったので…コロナリスクを少しでも回避するために通院はやめています。だけど、医療従事者の方々は日々本当に大変であろうと、頭が下がる思いです。眼科も、きっと大変。…鄭先生、お元気にしていらっしゃるかしら?…と久々に医院のHPを見てみたら、大高先生が(さすが有名人!?アメーバで)ブログを始めていらしたり、コロナに関して諸々発信していらしたものが面白かったので、以下3つピックアップしてこちらでも紹介します ♪

新型コロナ 誰もが喜ぶ方法+やらかしたドクターの名誉回復方法の提案 | 眼科医大高功のブログ

「目からも感染する」って本当?眼科医が考える新型コロナウイルス対策 [目の病気] All About

新型コロナ COVID19 マスクの真実 横浜相鉄ビル眼科医院

大高先生の文章は…(いえ…大高先生が!なのかもしれませんが)…なんでしょう?私には魅力いっぱいでやはり面白おかしくて笑ってしまい、そして元気になれるのです♡

さあ、そんなこんなの近況報告もこの辺にして、回想録【2】に入りましょう!

(ほぼかつて体験談として寄せたものですし、既に結論の出ているタイトルですが…。)

 

 ー*右眼●ー*黄斑前(上)膜・回想録【2】どこで手術する?*-

 一気に手術に踏み切る気持ちにはなったけれど、さて、どこで手術しよう?診断を受けて2,3回通院したきりの近所の眼科でも手術はできるようだったけれど、どうしても気持ちが向かず、どこか別に、安心して手術を任せられる病院はないか?ネットで必死に探しました。

そうして、心惹かれたのが 横浜相鉄ビル眼科 のHPだったのです。

…正直、初めて医院のHPを見た時は、あまりに今どきでない様相に驚き「今もやってる病院かしら?」と思ってしまいました。(大高院長、ごめんなさい…。自ら作られた力作ですのに。)しかし、どの他の病院のHPよりも大量の文章を読み進めていくうちに、病気のことが分かりやすく説明してあり、YouTubeでの実際の患者さんのカルテの公開やお礼メールの公開、よくある質問などその内容の充実さもさることながら、私は院長・大高先生の独特の文調の虜になってしまいました!黄斑前膜の手術を決意したものの、難しいと言われている故にその不安と恐怖から泣きたい気持ちでいっぱいだったのに、読めば読むほど大高先生の文章に癒され、時に声をあげて笑ってしまい…気持ちが軽く前向きになっていったのです。。。

そして、何よりも肝心な技術については、黄斑前膜のページだけでなく、鄭先生が担当されている<網膜、硝子体、黄斑部>の他の病気の部分を読むと、黄斑前膜よりも重篤な眼病の手術や治療をされていることが分かり、鄭先生に対する信頼の気持ちも増していきました。そして、大高先生がスーパードクターとしてTVに出られたり雑誌や新聞で称えられたのは何年も前のことなのに、現在も連日大勢の患者さんがいらっしゃるのは間違いない医療をされている何よりの証拠であろうと判断しました。そのスーパードクターが太鼓判を押す鄭先生なら、きっと安心して手術をお任せできるに違いないと思ったのです。

こうして、ようやく、自覚症状が出てから9カ月後、手術を希望している旨の初めての相談メールを鄭先生にお送りしました。相談メールというより、ご挨拶メールという内容でしたが「…承知いたしました。こちらこそよろしくお願いします。」という鄭先生からのお返事に、今までずっと一人でさまよっていたけれど、やっと受け止めてもらえたような安心感を得ることができました。そして、初めて横浜相鉄ビル眼科に診察に行ったのです。。。

(「え!回想録もう終わり?」…はい、回想録よりも近況報告の方が長くてごめんなさい。続きはまた次回。。。)

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)

 

File39*右眼●ー*黄斑前(上)膜・回想録【1】自覚症状~手術を決意するまで*

ー*同じ黄斑前膜を患ったハルさんと共にFile1*術後1年3ヵ月】以前を振り返ります。初めての方は、先に ABOUT をご覧ください。*ー

f:id:white-ivy:20200317205656p:plain 国への緊急事態宣言発令効果で、新型コロナ感染拡大が全国的には減少していく中、私の住む関東はなかなか厳しい状況が続いています。かれこれ一か月半も自宅待機していた私は、先週より臨時で出勤要請が入り時短時差出勤が始まりました。しかし、関東の緊急事態宣言が解けないことには、来月の仕事の予定は依然未定のままなのですが…それに関してはもうどうしようもできないことなので、なるようになるしかない、気にしてもしょうがない、と思うしかありません。

旦那は依然テレワーク中で、息子はようやくオンライン授業が始まりました。

他人との接触は余裕の8割以上減の完璧なステイホーム生活は、それまで忙しすぎた私には長~い春休み🌸のようでした。私がパートに出始めたのは、現在20才の息子が8才のときですから、12年ぶりに専業主婦に戻ったようでした。子供の世話をすることのない専業主婦生活がこれほどまでに 楽 ♪ だなんて!と新鮮な気持ちで、この事態をとりあえずの休暇 ♡ と思いのんびり過ごしていました。毎朝目覚ましをかけることなく自然に目が覚めた時に起きて、昼ご飯の後に眠くなれば昼寝をして…という時間に縛られることのない、贅沢な時を送ることができたようにも思えます♡

それに、ずっと家にいるので、家事で身体を動かさないと体力が落ちてしまう!と思い、買い物は徒歩で行き、洗濯も掃除も(家族全員が家にいるので増えてしまった)食事の支度さえ、苦に感じることもなく充実した気持ちで家事ができました。夕食後の後片付けだけは息子に任せていますけどね。

…あまりの未曽有の事態が続くので、家事という何でもない日常に安心するというか。。。

時間があるので、布マスクをさらしで立体的に作ったらとっても快適 ♪ で上手に出来たので、いくつも作って両親や親せきに送り「オレも欲しい!」とラインで言ってきた独身の元同僚にも送りました。彼は、月2回ほど田舎に住む父親のところに介護に行っているので、お父様の分も一緒に♡…うちはステイホームでも家族で過ごしていますから話し相手がいますが、テレワークをしている元同僚はこんなに長い間誰にも会わず何もできずで、一人暮らしのステイホームはなかなかしんどい様子です。

それに、現在コロナにばかり注目が集まり、他の病気を抱えている患者さん=年明けに黄斑前膜が発覚したハルさんのことがとても心配になり、久々にメールをしてみると緊急事態宣言が出る前の3月に検診には行かれていたようで、その後は拡大したコロナ騒動に圧倒され、視力の低下は感じられるもののとりあえず視界に不便はないので今は様子をみていらっしゃるようです。

 (ハルさんは、File37から登場です ⇩)

hitsujigumo.hatenablog.jp

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 このブログを始めた黄斑前膜の術後1年3カ月以前の回想録を待っているとおっしゃって下さったハルさんのためにも、アップしなければなりませんので始めましょう。。。

 

ー*右眼●ー*黄斑前(上)膜・回想録【1】自覚症状~手術を決意するまで*ー

 めて見え方に異変を感じた時のことは、よく覚えています。

48才の秋、10月良く晴れた朝です。出勤のため、駅までの道を急ぎながらも角を曲がった先の、いつもの交差点がとても眩しく感じた時です。

まるで、左右で若干度の違うコンタクトレンズを逆に入れた時のような、見えるんだけれど違和感がある、という感覚でした。しかし、それは一瞬だったのでその時はあまり気にしていませんでしたが、日に日に…時々ですが、視界に違和感を覚えることが出てきました。その違和感は、とても明るいところで起こるのです。

今だから分かるのですが、明るくしっかりと光が網膜まで届けば、既に変形が始まっていた右目の網膜に映る像と、正常な左目に映る網膜の像が、どちらもはっきり脳内に映し出され、融像できるかどうかの混ざ間にきたのではないか?と。それが、視界の違和感になったのだと。太陽光が一番明るいですから、しかも朝日という低い位置から射す方が光はより目に入ってきます。それよりも暗いところだと、正常な左目の像の方が鮮明に映っていたから、そちらが優先される。だから、その違和感は常にではなかったのです。

私は、中学生から近視が始まり、高校生からハードコンタクトを付け始めました。大人になるころには、視力は右 0.05左 0.06まで落ちました。加齢とともに充血やハードコンタクトレンズの装着感がわずらわしくなり、43才で思い切って近視矯正手術レーシックをしました。おかげで、両目とも視力が1.2になり、遠近とてもよく見えるようになりました。準レベル級のレーシックを選択し、当時22万円と高額でしたが、裸眼でとてもよく見えるようになったことに大満足しました。

この時に、他に眼病があればレーシックは受けられませんから、43才の時点では黄斑前膜はまだ始まっていなかったということです。

レーシックを受けて5年、遠近とも、とてもよく見えていましたから、時々でも、視界に違和感が出るのはおかしい!と思い、すぐに近所の総合病院の眼科に行きました。

その時は、自分でもどちらの目が変に感じるのかも分からなかったのですが、分からないからこそ診てほしい!という気持ちでした。しかし、眼底検査をされることはなく(この時は黄斑部の病気が分かる眼底検査というものすら知りませんでしたが)簡単な検査と診察で「特に異常はありません。乱視もありますし、老眼も始まってきたのでしょう。またおかしいようでしたら、来てください。」と言われました。

お医者様に診てもらい、異常はないと言われたので、なんだ!なんでもないんじゃん!!とほっとしました。

しかし、その後も時々、視界に違和感を覚えることはなくならず、翌月になると、右目が少しかすみ、片目だけで見ると若干歪んで大きく見えるようになりました。

異常なしと言われたのに…。普通の眼科医には見つけられないとんでもない難病だったらどうしよう!と、恐怖でいっぱいになりながらも、最初の病院に再び行く気にはならず、自分でネットで調べました。

自分のこの右目の異変が何なのか分からない、この時が一番不安でした。

他の眼病に比べ、症例は少なかったものの、その症状【かすみ、ゆがみ、大きく見える】からすぐに黄斑前膜ではないか?と思いました。

最近こそ、黄斑前膜のことを詳しく分かりやすく書いている眼科や医師会のホームページが増えましたが、2015年当時は今ほどではありませんでしたから、『失明はしないが、薬で治したり眼鏡で矯正したりは出来ない。悪化を防ぐには手術しかないが、手術をしても完全に元通りにならず、ゆがみは残る』とだけ、さらりと書いてあるのを見つけたときは、とてもショックでした。眼の手術!というだけでもとてつもなく怖いのに、頑張って手術してもゆがみが残るって、どういうこと?と怖さは増すばかりで、涙が出ました。

ご参考までに ⇩

www.gankaikai.or.jp

それでも、少しして冷静になると、手術になるかもしれないなら…と硝子体手術をしている近所の個人クリニックに行きました。今度は、右目がかすみ若干大きく見えることなどを伝えたので、眼底検査をされ、PCの画面で網膜の断層写真(OCT)を見せてもらいました。

「本来は左目のように凹んでいるんですが、凹みがなくなっています」と言われ、黄斑前膜と診断されました。覚悟していたので、やはりそうか…と病名が分かっただけでも安心しました。誰にも分からない正体不明の難病じゃなくて良かった…と。先生に「何か、聞きたいことはありますか?」と言われ、「眼鏡で矯正したり、手術以外に治す方法はないですか?」と聞いてみました。この時は、方眼用紙がゆがんで見えるということはなく、視力も1.0あったからか、先生は「眼鏡では矯正できません。数ヶ月で進む病気ではありませんから、すぐに手術ということはありません。手術にもリスクを伴いますし…今から平均寿命まで生きるとして、それまで何年も何年もかけて症状が進めば手術ですが…その頃にはもっとリスクの少ない手術ができるようになっているかもしれませんしね!」とおっしゃいました。そうか、そんなに先の長~い病気なのか!と思い、その時は違和感の他は特に不自由はありませんでした。

手術が怖かった 私は、症状が進まないように、この頃のストレスがピークだった様々な事情を見直し、意識して心身ともに健康に過ごす努力を始めました。

その時のストレスの一つを、過去記事【体験談と余談】の後半に余談として書いています。…余談ですけどね。

hitsujigumo.hatenablog.jp

 更にネットで調べていくうちに、膜が自然にはがれる人が5%位いるというのを見つけ、「5%目指して頑張るぞー!」と漠然とした目標に向かい張り切ったのでした。。。(でも…自然にはがれたその膜は、硝子体の中で飛蚊症のように浮遊するのかしら?)

そして自覚症状からカ月後の1月に定期検診に行きました。黄斑前膜の症状としては、以前と視界の変化は感じられませんでした。しかし、それまで全くなかった老眼の症状が急に出始め(軽い度数でしたが)老眼鏡をかけないと新聞や本が読みにくくなっていました。調べると『老眼は50歳までは急激に、その後は緩やかに進む』とか『他の眼病を伴っていると、老眼は急激に進む』とありました。老眼症状は年齢的に出てきてもおかしくはないので、そのことは眼科の先生には言いませんでした。

「また2か月後に来てください」と言われた自覚症状からカ月後の3月の時点でも、黄斑前膜としての症状には変化を感じなかったので、もう通院しませんでした。その頃は、パソコンの字も見えづらくなっていたのですが、老眼鏡をかけると見えるので、これもやはり老眼なのかな?と思いました。

しかし、その後 徐々に、階段の足元、人混みがかすんで見えづらい…などが出てきましたが、これらが老眼のせいなのか?黄斑前膜の進行なのか?その時は分かりませんでした。

そして、自覚症状から半年後あたりから明らかに黄斑前膜の症状である<大きく見える>が少しずつ進んでいるのを感じ、白色銀色のものが特に見えづらくなってきました。

具体的には、爪を切る、歯間ブラシを使う、などに困るようになり、白地にシルバーで印字された表示などが老眼鏡をかけないとまるで見えなくなってきたのです。他にも、電子レンジや炊飯ジャー液晶画面もとても見えにくくなりました。

ここにきて、急に黄斑前膜の症状が進んできた!のなら、再び病院に行くべきでしたが、数か月で進むような病気じゃないと言われたのに…と、不信感を抱いてしまい、心が止まってしまいました。かといって、他の病院を探す気力もなく、これ以上症状が進まないでほしい…と願うばかりでした。

今、思い返せば、優しい感じの先生でしたから、60代に多いらしい黄斑前膜になるにはまだ若かった48才の私を励まそうとして、あのようにおっしゃったのかもしれません。しかし、当時の私には、それが手術に対して消極的、手術を遠ざけている、つまり手術に対して自信がないかのように感じてしまったのです。

そうして、自覚症状からカ月後には、老眼鏡をかけても 爪の境目がかすんで見えないので爪が切りづらく、買い物に行っても物の値段も見えづらいし、財布の中の100円や1円を見分けることができなくて困るようになりました。

(術後の今は、これら白色や銀色も、階段の足元も人混みもかすむことなく見えるようになったので、振り返ってみて初めて、それは黄斑前膜の進行症状だったのだと分かりましたが)

もう、ここまで不便になるとこれ以上見えなくなるのが 急に怖くなってきて、再度黄斑前膜について検索を始めました。すると『診断後半年くらいまでに手術した患者は回復も良い』というどこかの眼科の記事を見つけたのもあり、一気に手術に踏み切る気持ちになったのでした。。。

 

シャンシャン(1才6カ月)と パオちゃん(たぶん5才くらい)

f:id:white-ivy:20200225142710p:plain 型コロナウィルスの感染拡大で、海外の深刻な状況を見聞きするたびに、心が苦しくなります。東京オリンピックは延期になり、首都圏に『不要不急の外出自粛要請』が出るなど、事態は日に日に悪化。…関東に住む私には、見えない敵がひたひたと近づいてきているような重~い空気を感じます。

我が家は、早々に旦那がテレワークでずっと家におり、息子の大学の授業開始は5月になりました。そして、私の職場もついに!しばらく臨時休業になるなど、直接影響が出るようになりました!!臨時休業による自宅待機で、給与は発生するのか?休業手当てが出るのか?は交渉中です。

しかし…我が家で今、近々に困るのはトイレットペーパーが買えないことでした。使い捨てマスクが買えないのはもう諦めていますが、トイレットペーパーは切実です。トイレットペーパーが不足し始めたのはひと月前くらいからだったでしょうか。原料や生産には問題はないようだから流通の混乱が落ち着けば、まあ、じきに戻るだろうと思っていたら…先週末に『不要不急の外出自粛要請』が急に出たので、最近は少しずつ出回り始めたトイレットペーパーが、再びどこにも売っていない事態に…。そこにきて、これまた急に家族全員がずっと家にいる事態になったので、予想以上に減りが早かった。普段からあまりストックしていなかったので、残り6ロールになりちょっと不安になってきました。これは、急を要する買い物か?!と、連日旦那が昼前にテレワークがひと段落した頃にスーパーや薬局に出かけ、ようやく本日1パック買えました!これで、4月いっぱいはもつかな?と、少しほっとしたところです。

だけど…こんな時こそ!心が常に沈んでいては、身体まで重く感じてきて、肝心の免疫力も下がりそう…。

そこで少しでも気持ちを軽くしよう と、去年今頃の事を思い出してみました。

去年の3月、両親が上京してきたので、再び上野動物園シャンシャン♡に会いに行ったのです。初めてシャンシャンに会ったのは、一昨年の3月です

hitsujigumo.hatenablog.jp

繰り返しますが、去年の3月の話です。(今年だったら、行けなかったでしょう…) 

両親の上京をキッカケに「またシャンシャンに会いに行こう!」と言い出したのは、勿論です。今回も、朝一の飛行機で羽田に到着した両親を息子と一緒に迎えに行き、そのまま上野に直行です。

もう、前回のような入場行列はなく、すぐに入園できました。整理券配布もしていなかったのですが、シャンシャンを見るための行列はできていました。

天気の良い中、30分くらい並んだでしょうか。シャンシャン大きくなったのかなぁ?今度こそお顔を見せてくれるかなぁ?と期待いっぱいに、子供のようにワクワクしながら待っていました。

今回も、10人ずつくらいでグループに区切られ、ひとグループの観覧時間は、確か1分?だったと思います。それでも、前回の30秒のの時間です!

前回は室内にいましたが、今回は外です。みんなが並んでいる壁の向こうにいて、並んでいる時は見えないのですが、順番が近づいてくると、観覧しているお客さんの、ア~!とか キャ~!とか言う声が聞こえてきます。

そして、いよいよ順番がきて…1年ぶりのご対~面です☆

シャンシャンは、木の上を移動していました。

あ!これが、シャンシャンなの?大きくなって~!と感動に浸りながらも、急いで写真を撮りました!

が!あろうことか…またしても!シャンシャンは、こっちを向いてくれなかったのです…。見せてくれたのは、横顔と立派に成長した背中。 

(※クリックまたはタップすると、大きくなります)

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左の2枚は、今回撮影した1才6カ月のシャンシャン。
右の2枚は、前回撮影したまだ6カ月のシャンシャン。

今回も、お顔を見れなかったのは、本当に残念です。。。

⇩ こんな姿が見たかった!(少し前の郵便局のお中元パンフレットより)

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  バッチリ!こっちを見ている!!な~んて、かわいいんでしょう♡

…でもまあ、前回は、横顔すら見せてくれなかったので、今回、元気に動いているところを見られたし、止まり木?にちんまりと収まっている後ろ姿は、やはり、とっても愛らしいのでした♡

ちゃんちゃん ♫

と、ここで終ってもいいのですが…。

おまけで、うちの熱帯魚パロットファイヤーのパオちゃんを紹介しましょう ♪

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これは、幼魚の頃。今は、少し大きくなってます。

動いているパオちゃんは、こちら へどうぞ ♪

初めての撮影に警戒しているようですが、私だ!と分かると飛んで?来ます

見どころは、途中で土管に入ろうとするときに、ハッとスマホに気付いてチラ見するところです。

 (※ 字幕が出ない場合は、画面右下の【字幕】をオンにして下さい。)


パロットファイアーのパオちゃん❤️

パオちゃんの魅力は動いてこそ!なので、これをお届けするために、YouTubeデビューしてしまいました。。♫

今回の2週間近い自宅待機で、こんなことをする時間ができたのです。仕事柄、GWは元々休みでは無いのですが、年末年始休みや夏休みのように、春休みだ ♪ と思うようにして、ステイホームを愉しんでいます! … つい数か月前までは、週6勤務がーーー!と言っていたのに。。。

この動画、スマホで縦撮りしているので、スマホ縦だと画面通りに大きく映りますが、パソコンだと縦長のまま小さくなってしまいます。動画は音声をカットしていますが、呼ぶと、飛んで?来るんです!?それか…魚にも音声は聞こえますから、音のする方を見て私の姿を見つけると、飛んで?来る!が正確でしょうか。とにかく、よく懐いていて、いつも遊んでほしそうにしています ♪

動画のサムネイル画像は、ライトが反射しているのか、黄色に白が入ったような色ですが、オレンジにピンクがかったキレイな体色をしています。透き通ったヒレがまたキレイなのです。

この画像のように口はいつも半開き(調べると、この種は口を閉じることができないよう)で、笑ったようなとぼけた顔をしていますが、縄張り意識が強い種なので、どうしてなかなか気が強いのです。他の魚と一緒にするときは、数を増やさないとケンカになります。うちの水槽は大きくないので1匹飼いしていますが、相手を威嚇するときに身体を大きく見せようとして、また、(私を見つけて?)興奮した時に、こんな風に下膨れのおにぎりのようになります。

…金魚?の形の小さな巾着袋を見せると、もっと下膨れになって左右に激しくフリフリ!明らかに威嚇しているのが分かります。その勇ましい姿は雄なのかな?と、パオ!と呼んでいますが、性別は分かりません。今度その動画を撮影したら、また紹介しますね!

パオが闘争心を燃やす、金魚?の巾着袋。…パオよりかなり太め!

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元々は警戒心の強い種なのか?臆病なのか?パオも、買ってきて何か月かは、人の姿を見つけると慌てて土管に入り出てきませんでした。覗いてみると、ただ土管に入っているのではなく、土管の壁にピタッと身を寄せて気配も消しているようにしている姿が、それはそれでまた可愛かったのです。その時の写真だけでも、撮っておけば良かった!と思うのですが、ネットで検索すると、水槽に入れたカップや植木鉢にやはりピタッと隠れている写真は結構出ていて、ああ…そっくり!と思い出します。

その頃は、よく底石を口で運んでは掃き出し、水槽の角などにそびえ立つように積んでいました。危険!と思うところに、底石を移動させ防壁を作るのです。私が水槽の掃除をすると、それが崩れるので、掃除後は必ず、防壁作りをしていました。口に数粒含んではプッと出し、数時間かけて、自分の納得のいくレイアウトになるよう仕上げていました。素晴らしい庭師だわ!と、私は毎度感心していました。しかし毎度の事なので、これまた写真に撮っていなかったのですが、これに関してはネットでも画像など見ないので、残しておけばよかったーと思います。いつからか、こんなに慣れてしまってからは全くしなくなりました。

 

実は、パオは2匹目のパロットファイヤーなのです。

最初のパロは、ここまでは慣れず、2年くらいで18cmまで成長したのですが、おできができて、それが大きくなって、エサを食べなくなって死んでしまいました。その後色々調べて、エサを少なく育てる方が長生きするというのを知り、パオで実践しています。

パオは、4年前に買ってきたときはヒレも入れて7cmくらいで、今は10cmくらいです。パロットファイヤーにしては小さい方です。1日に1回、金魚のエサの極小粒を10粒くらいしかやりません。それでも、立派なボディーですし、とっても元気です。

さっきパロットファイヤーの寿命を調べたら、5~7年とあり、えっ!?もう寿命の域に入ったの?と驚いたのですが、飼育環境が良ければ10年以上生きる個体もいるとのこと。パオは、今見る限りでは、老魚というより青年魚?真っ盛り!という感じですから。

まだまだ長生きしようね! パオ♡

File38*メール相談を受けて②…利き目も左右する?*

*右眼・黄斑前(上)膜の手術後、1年9カ月(51才)で白内障手術をしたモノビジョン私(黄斑前膜の術後*3年6カ月)が考える、術前のハルさんの場合*-

 f:id:white-ivy:20200225152424p:plain 記事、 ハルさんから頂いたメール相談の続きです。

前記事はこちら  

hitsujigumo.hatenablog.jp

  ハルさんは、年明けに黄斑前膜の診断を受けたばかりで、この先の不安も大きいであろうに、私のブログへの掲載を承諾して下さいました。心優しいハルさんの心意気は、きっと同じように黄斑前膜の術前で悩んでいる方々に届くと思います☆

 以下、ハルさんが、更に現状を詳しく伝えて下さいました

先月頂いたメールの一部抜粋です。ハルさんが、かかっていらっしゃる眼科がどちらなのかは知りません。

私の今の現状ですが、両目で見ている分には別段不自由はないのですが

悪い方の目を気にするあまり精神的に参ってるというか、

すぐ片目で見比べる癖がでて、歪んでる視界を度々意識するので気が滅入ってるのです。

 

歪みを意識すると、両目で見ても歪みが強調されて見えるようです。

 

黄斑前膜の方の目の矯正視力は、1.0と診断されましたが

実際のことろ、0.7~0.6ぐらいかと自分では思っています。

と言うのは輪っかの空いているところの検査ですが、ぼやけていて、なんとなくこっちかなという程度なんです。半分当てずっぽうです。

 

飛蚊症(透明な微生物のような小さいもの多数やほこりのようなものが時々等)もありますし

今はまだはっきり2重に見えることはありませんが、もともと乱視もあるのでお月さまがダブってみえることはあります。

最近気づいたのですが、片目で見ると大きく見える大視症もあります。視界の右側が特に縦長に見えます。

 

黄斑前膜と診断されてまだ一ケ月ですが、発症は数年前かもしれません。

 

ハルさんと、術前の私の症状はよく似ています。 

私も、術前は気にするあまり、片目をつむってよく見比べていましたが、悪い方の目で度々見るようになると、脳がそれを意識するのか?はたまた残像として網膜に焼き付くのか?やはり両目で見ても歪んで見えるようになるので、逆に悪い方の目を度々つむって良い方の目見る癖付けをする方がいいと思います。

(そうしたところで、黄斑前膜の進行具合が変わるわけではないのですから。)

よくあるだまし絵トリックアート脳がだまされるように、良い方の視界を強調させて、脳をだます!方が、良い視界を保てると思うのです。

(私は術後患者ですが、正しい形や大きさを確認したいが為に、今は悪い方の目をつむるくせがついていますので、たまーに悪い方の目だけで見ると、こんなに歪んでいたかしら?と忘れかけているくらいです。)

その上で、両目で見た時の視界に変化が無いか?以前は見えていたものが、見えにくくなっていないか?を意識する。それでも、網膜の盛り上がりがいよいよ進行してくれば、左右眼の視界のバランスにも限界がきて、だましも効かなくなり、著しく見えにくくなってくる。日常生活でも困るようになると、手術を考えざるを得なくなるでしょう。

(以前にも書きましたが、私が具体的に一番困ったのは、財布の中の銀色の硬化1円・100円・500円の区別がつかなくなったことです。周りの明るさなどの条件によりますが、私が一番よく行くスーパーだったので、それは困りました。当時48才だった私はまだ老眼の症状がそれほどでもなく、これは老眼の進行なの?と周りを見回わし、明らかに私より高齢な人を見ても、レジで老眼鏡をかけて財布からお金を出す人は見当たらなかったので、これは黄斑前膜のせいなんだ!…と怖くなったのを覚えています。)

因みに、私が初めて診断を受けた時の視力は裸眼で1.0あり、その10か月後の手術前は矯正視力で0.7まで下がっていました。大事なのは、視力よりも見え方なのですが、矯正しても、つまりメガネをかけても0.7しか見えないほど、膜が張り着き盛り上がった網膜が視界を不鮮明にしている、ということなのです。

そして、ここでふと気になったのが、利き目です。

調べると、利き目は専門的には優位眼と呼ぶそうで、望遠鏡や玄関ドアののぞき穴を見る時に使う方の目で、スポーツでは、野球やゴルフでのスイング時や、ダーツなどに関係してくるとか。

以下は、とある眼科のブログの一部なのですが、分かりやすかったので引用させて頂きました。

視力や視野が悪くなった目が利き目だとQOV(Quality of Vision=見え方の質) に影響するとされます。反対側の目の視力が結構良くても見えづらさや不便さを強く感じます。利き目が見えづらいなら早めに手術に踏み切るなど、手術や処置の時期を判断する際に役に立ちます。

メガネを合わせるときも利き目を考慮する必要があります。例えば、片目の近視の度が極端に強いとか、左右で乱視の軸が違っているとか、どちらかの目を重視して合わせざるを得ない事態はよく起こります。そういうときには、利き目を優先して利き目がよく見えるように合わせたほうが満足していただけます。

ただ、利き目がどちらかそれほど明確でないことも多く、時間が経つとよく見えるほうの目が利き目に変わる人もいます。ですから、利き目について過剰な心配は無用です。

利き目の調べ方はこちらを参照下さい 

acuvuevision.jp

は、利き目が黄斑前膜になりました。診断を受けて数か月で視界の妙が進み、見えにくい、というより字で言うと読めないものが増えていきました。仕事や日常生活にも支障をきたすようになり、手術に踏み切りました。私も、視界の違和感から初めて診断を受けた時には、もう網膜の凹みはありませんでしたから、発症したのは何年も前かもしれません。

アプリコットさんは、(確か)利き目ではない方の目が黄斑前膜になりました。近視でメガネをかけていらっしゃいました。60代後半という年齢からくる水晶体の濁り(=加齢性白内障)もあったでしょうから、その多少の不鮮明さもあってか、黄斑前膜と診断を受けてから4年も放置されていたのです。しかし、4年も放置できたということは、4年間は両目で見た視界はそこまで悪くはなかったということでしょう。それは、黄斑前膜になった目が、利き目ではなかったことも大きいのでは?と考えます。

つまり、利き目が黄斑前膜になると、見え方の妙が顕著になりやすく進行が早く感じるのでは?ということ。

ハルさんも、私と同じく利き目黄斑前膜なのだそうです。

そして、今月頂いたメールは、以下のように続きます

両目でみると支障はないと申し上げたのですが、

最近、両目で見ててもふと一瞬ではありますが、歪みを意識することが多くなりました。

 

前髪で片目の視界が遮られたときや、特にまっすぐな線がある状況です。

仕事でエクセルを使う時や、家具屋さんで、四角四面のものが並んでいるような時です。

 

やっぱり進行しているのかなと不安になります。

 

診断されてもうすぐ2ケ月です。

次回3か月後と言われておりますので、そろそろ受診を考えていますが

このコロナ騒動で、足が遠のいているのも事実です。

 一刻も早く診察を!という病気ではありませんが、症状が進んでいるのを自覚すると不安は増していきます。かつて私もそうでした。

 黄斑前膜は、誰もが加齢によってなる白内障のように、そうそう周りに同じ病の人がいるような病気ではありませんから、術前であれば、自分にしか分からない視界の妙が進行するかもしれないという恐怖心と一人孤独に戦うことになります。

また、覚悟を決めて手術をし、手術自体は成功=膜がキレイに取れた!としても、術後すぐから数か月間は急激な網膜の戻りと共に視界は変わっていくので、脳はかなり混乱します。脳が混乱すれば、心も乱れます。術後も、その後異常がないかを定期検診しますが、片目だけが変わっていく視界に合わせて、両目で見た時の視界がどう見えているのか?までは、主治医にも分かりません。「こんな風に見えて困っているんです!」と訴えたところで、医学的にはもうどうすることもできませんが、『どのタイミングで手術をした人が、網膜がどこまでどんな形に戻れば、又数値がどのくらい戻れば、どのように見えて、どんなふうに困るのか?』は、お医者様にとっては黄斑前膜を診る上で、手術のタイミングも含め良き判断材料にはなると思います。

(しかし…全力を尽くし、高度な手術を成功させた執刀医もまた、術後すぐに喜ばれることは難しいし、その後も患者の視界が安定するまでは、共に難儀な思いをするのでしょうね。。。)

黄斑前膜は、網膜がどんなに盛り上がっていても、OCTの数値が高くても、失明する病気ではありませんし、同じ数値であっても人によって左右眼の見え方のバランスなどで両眼視した時の見え方が違いますから、患者が見え方の不便を訴えない限り、お医者様から手術を勧められることは少ないでしょう。

ここでも、やはり、両目で見た時の見え方が、一番重要だからです。

そして、手術をして、OCTの数値がある程度下がり、視力が1.0以上に上がったとしても、黄斑部の凹みが元に近いところまで戻らない限り、両目で見た時に、融像(=左目で見た物と右目で見た物が一つの像として見えること)が出来れば、(若干でも)変形して見え(私の場合は、上方に少し縦長に、例えるなら、まん丸なはずのピンポン玉が若干卵型に見える)、融像出来なければ二重に又は2つに見えるものが出てくる。(何度も繰り返しになりますが)融像出来るかどうかは、周りの明るさ、対象物の距離と大きさ、形や色などの複雑さ、対象物が静止しているか動いているかなどによるのです。

つまり、手術後に、視力が上がれば上がるほど良い!という単純なものではないのです。

でも逆に言うと、視力がさほど上がらなくても、両目で見た時の視界が良ければ=両目で見た時に、ゆがみや二重に見えるなどが少なければ、それでよいのです。

きている間は、常に両目で物を見ているわけですから、両目で見た時に不具合がないのに手術をした時、網膜の形が完全でなくても元に近いところまで戻ればいいのですが、そうならなかった時はゆがみ・二重に見える・大きく見えるなどの症状が出で、きっと不満になるでのしょう。

早期の手術の方が戻りが良い可能性はあるけれども、やはりやってみないと分からない、ということ。

かつて、アプリコットさんも度々おっしゃっていましたが…

手術のタイミングは、自分で、決めるのです。。。

 

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)