羊雲

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✥ 復路の羊のふんわりノート ✥

File39*右眼●ー*黄斑前(上)膜・回想録【1】自覚症状~手術を決意するまで*

ー*同じ黄斑前膜を患ったハルさんと共にFile1*術後1年3ヵ月】以前を振り返ります。初めての方は、先に ABOUT をご覧ください。*ー

f:id:white-ivy:20200317205656p:plain 国への緊急事態宣言発令効果で、新型コロナ感染拡大が全国的には減少していく中、私の住む関東はなかなか厳しい状況が続いています。かれこれ一か月半も自宅待機していた私は、先週より臨時で出勤要請が入り時短時差出勤が始まりました。しかし、関東の緊急事態宣言が解けないことには、来月の仕事の予定は依然未定のままなのですが…それに関してはもうどうしようもできないことなので、なるようになるしかない、気にしてもしょうがない、と思うしかありません。

旦那は依然テレワーク中で、息子はようやくオンライン授業が始まりました。

他人との接触は余裕の8割以上減の完璧なステイホーム生活は、それまで忙しすぎた私には長~い春休み🌸のようでした。私がパートに出始めたのは、現在20才の息子が8才のときですから、12年ぶりに専業主婦に戻ったようでした。子供の世話をすることのない専業主婦生活がこれほどまでに 楽 ♪ だなんて!と新鮮な気持ちで、この事態をとりあえずの休暇 ♡ と思いのんびり過ごしていました。毎朝目覚ましをかけることなく自然に目が覚めた時に起きて、昼ご飯の後に眠くなれば昼寝をして…という時間に縛られることのない、贅沢な時を送ることができたようにも思えます♡

それに、ずっと家にいるので、家事で身体を動かさないと体力が落ちてしまう!と思い、買い物は徒歩で行き、洗濯も掃除も(家族全員が家にいるので増えてしまった)食事の支度さえ、苦に感じることもなく充実した気持ちで家事ができました。夕食後の後片付けだけは息子に任せていますけどね。

…あまりの未曽有の事態が続くので、家事という何でもない日常に安心するというか。。。

時間があるので、布マスクをさらしで立体的に作ったらとっても快適 ♪ で上手に出来たので、いくつも作って両親や親せきに送り「オレも欲しい!」とラインで言ってきた独身の元同僚にも送りました。彼は、月2回ほど田舎に住む父親のところに介護に行っているので、お父様の分も一緒に♡…うちはステイホームでも家族で過ごしていますから話し相手がいますが、テレワークをしている元同僚はこんなに長い間誰にも会わず何もできずで、一人暮らしのステイホームはなかなかしんどい様子です。

それに、現在コロナにばかり注目が集まり、他の病気を抱えている患者さん=年明けに黄斑前膜が発覚したハルさんのことがとても心配になり、久々にメールをしてみると緊急事態宣言が出る前の3月に検診には行かれていたようで、その後は拡大したコロナ騒動に圧倒され、視力の低下は感じられるもののとりあえず視界に不便はないので今は様子をみていらっしゃるようです。

 (ハルさんは、File37から登場です ⇩)

hitsujigumo.hatenablog.jp

hitsujigumo.hatenablog.jp

 このブログを始めた黄斑前膜の術後1年3カ月以前の回想録を待っているとおっしゃって下さったハルさんのためにも、アップしなければなりませんので始めましょう。。。

 

ー*右眼●ー*黄斑前(上)膜・回想録【1】自覚症状~手術を決意するまで*ー

 めて見え方に異変を感じた時のことは、よく覚えています。

48才の秋、10月良く晴れた朝です。出勤のため、駅までの道を急ぎながらも角を曲がった先の、いつもの交差点がとても眩しく感じた時です。

まるで、左右で若干度の違うコンタクトレンズを逆に入れた時のような、見えるんだけれど違和感がある、という感覚でした。しかし、それは一瞬だったのでその時はあまり気にしていませんでしたが、日に日に…時々ですが、視界に違和感を覚えることが出てきました。その違和感は、とても明るいところで起こるのです。

今だから分かるのですが、明るくしっかりと光が網膜まで届けば、既に変形が始まっていた右目の網膜に映る像と、正常な左目に映る網膜の像が、どちらもはっきり脳内に映し出され、融像できるかどうかの混ざ間にきたのではないか?と。それが、視界の違和感になったのだと。太陽光が一番明るいですから、しかも朝日という低い位置から射す方が光はより目に入ってきます。それよりも暗いところだと、正常な左目の像の方が鮮明に映っていたから、そちらが優先される。だから、その違和感は常にではなかったのです。

私は、中学生から近視が始まり、高校生からハードコンタクトを付け始めました。大人になるころには、視力は右 0.05左 0.06まで落ちました。加齢とともに充血やハードコンタクトレンズの装着感がわずらわしくなり、43才で思い切って近視矯正手術レーシックをしました。おかげで、両目とも視力が1.2になり、遠近とてもよく見えるようになりました。準レベル級のレーシックを選択し、当時22万円と高額でしたが、裸眼でとてもよく見えるようになったことに大満足しました。

この時に、他に眼病があればレーシックは受けられませんから、43才の時点では黄斑前膜はまだ始まっていなかったということです。

レーシックを受けて5年、遠近とも、とてもよく見えていましたから、時々でも、視界に違和感が出るのはおかしい!と思い、すぐに近所の総合病院の眼科に行きました。

その時は、自分でもどちらの目が変に感じるのかも分からなかったのですが、分からないからこそ診てほしい!という気持ちでした。しかし、眼底検査をされることはなく(この時は黄斑部の病気が分かる眼底検査というものすら知りませんでしたが)簡単な検査と診察で「特に異常はありません。乱視もありますし、老眼も始まってきたのでしょう。またおかしいようでしたら、来てください。」と言われました。

お医者様に診てもらい、異常はないと言われたので、なんだ!なんでもないんじゃん!!とほっとしました。

しかし、その後も時々、視界に違和感を覚えることはなくならず、翌月になると、右目が少しかすみ、片目だけで見ると若干歪んで大きく見えるようになりました。

異常なしと言われたのに…。普通の眼科医には見つけられないとんでもない難病だったらどうしよう!と、恐怖でいっぱいになりながらも、最初の病院に再び行く気にはならず、自分でネットで調べました。

自分のこの右目の異変が何なのか分からない、この時が一番不安でした。

他の眼病に比べ、症例は少なかったものの、その症状【かすみ、ゆがみ、大きく見える】からすぐに黄斑前膜ではないか?と思いました。

最近こそ、黄斑前膜のことを詳しく分かりやすく書いている眼科や医師会のホームページが増えましたが、2015年当時は今ほどではありませんでしたから、『失明はしないが、薬で治したり眼鏡で矯正したりは出来ない。悪化を防ぐには手術しかないが、手術をしても完全に元通りにならず、ゆがみは残る』とだけ、さらりと書いてあるのを見つけたときは、とてもショックでした。眼の手術!というだけでもとてつもなく怖いのに、頑張って手術してもゆがみが残るって、どういうこと?と怖さは増すばかりで、涙が出ました。

ご参考までに ⇩

www.gankaikai.or.jp

それでも、少しして冷静になると、手術になるかもしれないなら…と硝子体手術をしている近所の個人クリニックに行きました。今度は、右目がかすみ若干大きく見えることなどを伝えたので、眼底検査をされ、PCの画面で網膜の断層写真(OCT)を見せてもらいました。

「本来は左目のように凹んでいるんですが、凹みがなくなっています」と言われ、黄斑前膜と診断されました。覚悟していたので、やはりそうか…と病名が分かっただけでも安心しました。誰にも分からない正体不明の難病じゃなくて良かった…と。先生に「何か、聞きたいことはありますか?」と言われ、「眼鏡で矯正したり、手術以外に治す方法はないですか?」と聞いてみました。この時は、方眼用紙がゆがんで見えるということはなく、視力も1.0あったからか、先生は「眼鏡では矯正できません。数ヶ月で進む病気ではありませんから、すぐに手術ということはありません。手術にもリスクを伴いますし…今から平均寿命まで生きるとして、それまで何年も何年もかけて症状が進めば手術ですが…その頃にはもっとリスクの少ない手術ができるようになっているかもしれませんしね!」とおっしゃいました。そうか、そんなに先の長~い病気なのか!と思い、その時は違和感の他は特に不自由はありませんでした。

手術が怖かった 私は、症状が進まないように、この頃のストレスがピークだった様々な事情を見直し、意識して心身ともに健康に過ごす努力を始めました。

その時のストレスの一つを、過去記事【体験談と余談】の後半に余談として書いています。…余談ですけどね。

hitsujigumo.hatenablog.jp

 更にネットで調べていくうちに、膜が自然にはがれる人が5%位いるというのを見つけ、「5%目指して頑張るぞー!」と漠然とした目標に向かい張り切ったのでした。。。(でも…自然にはがれたその膜は、硝子体の中で飛蚊症のように浮遊するのかしら?)

そして自覚症状からカ月後の1月に定期検診に行きました。黄斑前膜の症状としては、以前と視界の変化は感じられませんでした。しかし、それまで全くなかった老眼の症状が急に出始め(軽い度数でしたが)老眼鏡をかけないと新聞や本が読みにくくなっていました。調べると『老眼は50歳までは急激に、その後は緩やかに進む』とか『他の眼病を伴っていると、老眼は急激に進む』とありました。老眼症状は年齢的に出てきてもおかしくはないので、そのことは眼科の先生には言いませんでした。

「また2か月後に来てください」と言われた自覚症状からカ月後の3月の時点でも、黄斑前膜としての症状には変化を感じなかったので、もう通院しませんでした。その頃は、パソコンの字も見えづらくなっていたのですが、老眼鏡をかけると見えるので、これもやはり老眼なのかな?と思いました。

しかし、その後 徐々に、階段の足元、人混みがかすんで見えづらい…などが出てきましたが、これらが老眼のせいなのか?黄斑前膜の進行なのか?その時は分かりませんでした。

そして、自覚症状から半年後あたりから明らかに黄斑前膜の症状である<大きく見える>が少しずつ進んでいるのを感じ、白色銀色のものが特に見えづらくなってきました。

具体的には、爪を切る、歯間ブラシを使う、などに困るようになり、白地にシルバーで印字された表示などが老眼鏡をかけないとまるで見えなくなってきたのです。他にも、電子レンジや炊飯ジャー液晶画面もとても見えにくくなりました。

ここにきて、急に黄斑前膜の症状が進んできた!のなら、再び病院に行くべきでしたが、数か月で進むような病気じゃないと言われたのに…と、不信感を抱いてしまい、心が止まってしまいました。かといって、他の病院を探す気力もなく、これ以上症状が進まないでほしい…と願うばかりでした。

今、思い返せば、優しい感じの先生でしたから、60代に多いらしい黄斑前膜になるにはまだ若かった48才の私を励まそうとして、あのようにおっしゃったのかもしれません。しかし、当時の私には、それが手術に対して消極的、手術を遠ざけている、つまり手術に対して自信がないかのように感じてしまったのです。

そうして、自覚症状からカ月後には、老眼鏡をかけても 爪の境目がかすんで見えないので爪が切りづらく、買い物に行っても物の値段も見えづらいし、財布の中の100円や1円を見分けることができなくて困るようになりました。

(術後の今は、これら白色や銀色も、階段の足元も人混みもかすむことなく見えるようになったので、振り返ってみて初めて、それは黄斑前膜の進行症状だったのだと分かりましたが)

もう、ここまで不便になるとこれ以上見えなくなるのが 急に怖くなってきて、再度黄斑前膜について検索を始めました。すると『診断後半年くらいまでに手術した患者は回復も良い』というどこかの眼科の記事を見つけたのもあり、一気に手術に踏み切る気持ちになったのでした。。。