羊雲

羊 雲

✥ 復路の羊のふんわりノート ✥

今年もびっしり書きました!年賀状*亥年

f:id:white-ivy:20200225142710p:plain っ…という間に、年が明けてしまいました。

私の仕事は、年末は世間様より若干早めにお休みに入ります。ですので、出来るだけ頑張りたい!…けど出来るところまででOKとする!大掃除、そして今年も一年を振

 り返った近況を目いっぱい綴った年賀状作りに時間を費やしておりました。

 私の年賀状は、昨今はすっかり文章中心の為ワードで作っていますが、左下に出ている字数をふと見ると今年のものは849字ありました。それを覗き込み「あっ、今年もまた作文書いてる!」と言った大学1年の息子は、今年も1枚も書いていません。そして旦那も、これまで家族写真メインで作っていた年賀状をついに昨年から止めてしまいました。私と旦那は、使いたい写真や綴りたい文章や構成が異なるので、ずっと別々に年賀状を作り、それぞれの親戚や友人に出していました。旦那が止めた理由は、息子が大きくなりその成長を写真で伝える役割が年賀状になくなったからだと思われます。

確かに周りの友人から届く年賀状も子供が中・高校生あたりから、写真入りではなくなり、干支のイラストに年始の挨拶文、そしてあると嬉しいちょこっとした近況に変わります。私の場合、年賀状は遠くに住んでいてなかなか会えない友人やお世話になった親戚とやりとりしているので、近況を伝え合うことができる年に一度の絶好の機会なのです。

ただ、年末という忙しい時期と重なるので、大変!だし、面倒!でもあります。しかも、なぜこんなに書かなきゃという使命感のような気持ちに迫られるのか?とも思います。

最近は、12月になるといろんな駅の改札出口付近で年賀状を売り出しているのですが、今年も会社帰りにそれを目にした途端、1年ぶりにやってきた年末の課題!と思うのですが、まず去年の年賀状を数えて今年は何枚買うか?から始まるので、家でそれを確認してからでないと買えません。、その時は頭にあるものの…その後、夕飯の献立に迷いながら買い物をして、第2ラウンドの夕飯を作り、ご飯を食べたら1日の疲労はピークになり…年賀状のことを思い出す余力など無く渾身の第3ラウンド=食器洗いを終え、その後の入浴はもう天国で…頭の中はからっぽになったままベッドで横になり本を読む、もっと読みたい気持ちはすぐに眠気に襲われて…就寝です。そして翌日、再び駅の改札出口付近で年賀状が売り出されているのを見て「あーん、忘れてたー!」と思い出すことを何日か繰り返し12月も半ばを過ぎてくると、いい加減に買わねば!と気合いを入れて初めて枚数を確認することができ、やっと購入に至るというノロノロさ。

(これ、毎年11月中に年賀状を書いている異常に行動の早い我が父や、そこまでではないけれどある程度の余裕を持って行動する旦那や息子には、信じられない!と言われるのですが、私から言わせると、確かに私は基本ノロいけれども、父や旦那や息子のように自分の事メインに日々過ごしていればよいのであれば、私だってもっと時間にも体力にも余裕が出来て行動にも余裕を持てるというもの!家事という家族の事と自分の仕事の両方で日々目まぐるしいから、優先順位の低いものはギリギリになってしまうのです。つまりは、私の家事分担量が多すぎて私に余裕がないということ。これはちょこちょこ我が家の紛争の種になっており、このままでは我が身が持ちませんから、今度は別の病を発症!ということにならぬよう少しづつでも改革せねば!…男の脳は元々察する能力が少ないと聞くけれど、それにしてもこんなに私がヒーヒー言っているのに、うちの男衆といったら…。でも、文句を言っても私の独り言にされるか、それが発展してケンカになるかだけなので、そこは的確な言葉で伝え、且つ上手に家事分担してもらうことが我が身を助けるのだ!と頭では分かっているのに、これがなかなか難しい。。。)

さて、そうしてようやく購入した年賀状に、さー今年はどんな文章にしようか?しばらく頭で構想を練り、ちょっと下書きをして、乗ってきたらワードを開いて打っていく!という流れです。いつも長文になってしまうこのブログのごとく、打ち出すと書きたいことがどんどん出てくるので849字もの文面で埋め尽くされた年賀状になってしまうのです。(多い年はもっとびっしりで収まりきれず削るのに苦労しました。)

だけど、年末の大掃除と同じで、書き上げてしまえばスッキリと新年を迎えることができるし、年始に年賀状が届き、親しい人の様子が分かるのはやはり嬉しくて、いろいろある私でも、さあ今年も頑張ろっ!と思えるのです。

子供に恵まれるのが遅かった友人や二人目、三人目の子供がいる友人からの年賀状に「ようやく幼稚園の送り迎えから解放され、ラクになりました!」などと書いてあると、遥~か昔の事のように思い出しその頃が懐かしくなりますし、子供のいない友人の年賀状の旅先の南の島で夫婦仲良さそうに映っている写真を見ると「いいな~!私も行きたいな~!」と羨ましくなるし、ペットの写真が載せてあるものも多く「このペットに癒されているのね~?」と思いを馳せます。はたまた、子供の頃はよく遊んだけれど大人になってからは疎遠になっていたいとこが、結婚して子供が生まれたのをきっかけに家族の写真入りの年賀状を送ってくるようになるという復縁パターンもまた喜ばしいものです。

それでも、年々何となくその数は減っていく…去年のこと。

浪人時代に仲良くなった福岡に住んでいた友人からの年賀状が来ていないことに気付きました。彼女は公務員で、浪人の時から常に彼氏がいるほどかわいかったのに未婚のまま、学生の頃に借りていたマンションにずっと住んでいました。私の結婚式に来てもらって以来20年近く会ってなかったのですが、年賀状にはいつも「元気?私は相変わらずです」と書いてありました。彼女からの年賀状が来ていないことに気付いてから、しばらく経ったある日、覚えのない人からのハガキがポストに入っていました。?…と思い読むと「ご丁寧な年賀状をありがとうございました。昨年一月に長女は急逝いたしました…」と書いてあり、彼女のお母様からのハガキと分かりました。エレベーターの中で驚きと共に一気に涙があふれてきて、家に入って大声で泣きました。息子が驚くのも構わず、わんわん泣きました。悲しくて、悲しくて。息子が大学を卒業したら、また久々に福岡に遊びに行きたいと思っていました。こうして年賀状をやりとりしていたら、そのうち会えると思っていました。49才で亡くなったのです。私が黄斑前膜の手術をした4か月後、まだまだ見え方も脳も心も安定せず混乱していたH29・酉年の一月に亡くなったのです。酉年に来た年賀状を探してみると、彼女からのものがありました。かわいいウグイスのイラストと共にそこには「なかなか会えないけど元気にしていますか?私は相変わらずです。」といつもの彼女の小さな字で書いてありました。ということは、この時は変わらず元気だったのに、その後一月足らずで何があったのか?お母様からのハガキにどうして亡くなったのかは書いてありませんでした。病気なのか?事故なのか?何も分かりません。しばらくして、少し落ち着くとお線香を上げに行きたいという気持ちになってきました。しかし、娘に先立たれたお母様は今尚とてもお辛いであろうと思うと、まだ行動できずにいます。

今は、いかにも彼女らしさを感じる二羽のかわいいウグイスと梅の花が描かれた最後になってしまった年賀状を壁に貼り、手を合わせています。甘えん坊のお父さん子で、数年前にお父様を亡くされた時は心配したけれど、今は天国で一緒にいるのかな?

いつか私もそっちに行ったとき、また会えるかな? みさ。。。