羊雲

羊 雲

✥ 復路の羊のふんわりノート ✥

弟のついでの話…続き

f:id:white-ivy:20200225142710p:plain 記事の続きです。 前記事は以下 ⇩

hitsujigumo.hatenablog.jp

 の後、中学・高校時代は弟も私も部活勉強にと忙しくなり…、中間テストと期末テストの繰り返しで(その間に市内統一テストもあり…3学期制なのに一学期に3度も!)テストに追われる日々(まさに詰め込み教育時代!)で、弟に関しては大きな出来事もないうちに受験を迎えた気がします。

 、一つだけ、くだらないことを思い出しました。

中学生の時、弟がコップを口にくわえ、それを吸いつけたまま顔を振ったりして遊んでいたら、内出血して口の周りが絵に描いた泥棒のように黒くなったことがありました。私はそれを見て思わず笑ってしまったのですが、鏡で自分の顔を見た弟は「こんなんで学校に行けない…」と落ち込んだので、気の毒になり2人でしばし沈黙…。結局しばらくマスクをして登校していました。(当時はマスクといえば、風邪や咳がひどいときくらいしかしませんでしたから、季節がいつだったかは忘れましたが、その手があったか!と姉としてもホッとしたのを覚えています)

弟は中学ではソフトテニスに(硬式はなかったので)高校では再びサッカー部に入り179㎝の長身からキーパーをしていましたが、その、下の子的性格から先輩(といっても私にとっては同級生ですが)にはよく可愛がってもらっていたようでした。

しかし、私に続き、弟も勉強の方は苦労したようで、一浪どころか、二浪までしようとした、一見根性がありそうで実はフワフワの私とは違い、大学受験に失敗すると、ほとんどの同級生が当然のようにすることになる浪人は頑として嫌がりました。

(私の息子も浪人は絶対に嫌!と言ってたんですよねー。当時の弟にも、受験生だった頃の息子にも、浪人を経験した私は「浪人生活って、結構楽しいよ!」と話したのですが、これも向き不向きに分かれるんでしょうね。まあ、右も左も浪人だったあの頃と今では、時代も違いますが…)

そして弟は、即気持ちを切り替え、専門学校への進学を希望したのです。

(田舎とはいえ、一応は進学校でしたから、専門学校へ行く子など皆無に等しい中、そういう意味では勇気のいる決断だったと思います…が、私がふわふわと二浪しかかったのも影響したのかも?!)

しかし、それに参ったのは(男の!)弟にこそ大学進学をしてほしかった父です。父は、自分が高卒だったからこその苦労を伝え必死で説得したようですが、弟は(頑固ですから!)そこは聞きません。。。父が根負けして、弟は東京の(今でいうIT系の)専門学校へ行くことになったのです。(その初波が来始めていた頃でしたからね。今のように、PCやスマホでサラッと検索すればすぐに情報が得られる時代じゃなかったけど、弟なりに調べて考えて一人で決めたんでしょうね…)

ここで、ついでに私の話をすると…

私の場合は、大学受験に落ちると当然のように浪人!という波に乗りたくて(どうしても大学生になりたかったのです!)そうなると弟とW大学受験になり家計が苦しくなると渋る父に懇願して予備校に通わせてもらいました。

でも、将来なりたいものがあるわけでもなく、この方面の仕事に就きたいというものもなく、ただただ大学生になることに憧れていたのですが、女が大学に行ってどーする!という考えの父への対抗心もあったのだと思います。(高校生の時に、男女雇用機会均等法が制定されたので、そんな時代の影響もあったのでしょう)しかし…肝心の頭が!頭脳が!よろしくないので、大手予備校の高い授業料も虚しく、模試の判定は上がらないままでした。私がそんな具合ですから、父は「浪人までしてどこにも受からなかったら、公務員になりなさい!女が男と同じだけの給料がもらえるのは公務員が一番ええんじゃけぇ!」と父自身が公務員なので、公務員を絶賛し「…公務員には(そんな地味なもの!)なりたくない…」と小声で言う私のことなど聞く耳持たずで、勝手に公務員試験を申込み、受けに行かされました。この父の強引さは許せなかったのですが、勉強の成果が上がらない負い目があった私は、受けには行ったけれど、全て白紙で出したのです。勿論、そんなこと父にも母にも言ってませんし(これも!)今でも内緒にしてることの一つですけどね。ahaha!(だって、お父さんは私を公務員にさせたかったんだろうけど、私は公務員になりたくなかったんだもの!)

と、そんなことを経ながら大学受験本番も、共通一次の自己採点はよくないまま二次試験(論文のみ)を受け、論文はどうにかハッタリ通せましたが、なんせ共通一次で点が取れなかったので絶対に受かるはずがない!と思いながら結果を待っているうちに…どーしたことか、自分の能力のなさを棚に上げ急に欲が出てきてしまい、もし合格してもそこには行かずにもっと上の大学に進学したくなってきたのです!

(その当時は2浪も珍しくなかったですから、だんだんと自分を見失ってしまうのが浪人というものなのかもしれません。だって、現役だったら万々歳!一浪しても私の成績では届かなかった、私には受かれば御の字!の第一志望校だったのですから)

するとそこへ、ひょっこりまさかの格通が送られてきました。しかし、すっかり2浪する気満々になってしまっていたアホな私は、これを親に知らせずに2浪生活に入る気で、2,3日それを隠し持っていました。でもまあ、この度この大学には合格したけれど、もっと上の大学を目指したいので2浪させてほしい!とお願いしてみようと、合格通知を父に見せたら…全く予想外の事態に私の運命が決まってしまったのです。

格通知を見て、父が泣いたのです。私の目の前で…。うちでも職場でもワンマンと恐れられていた強面の、いつも強気な、決して人前で泣くようには見えない父が泣いたのです。私は非常ーに驚き「でもね、そこよりももっと上の大学に行きたくなったの!」とは言えなくなり…、現実を見るべく、その大学へ行くことに覚悟を決めたのでした。(合格通知、捨てなくて良かった…)

戻り、弟の続きは、また次回 ♪ 

 ですが!ノーベル医学生理学賞を受賞した本庶佑氏が、生まれは京都市ですが、その後高校卒業までを宇部で育った我が高校の大先輩だと分かり、田舎の公立進学校の上下層の果てしなさや恐るべし!…と、見上げる秋の空は高く、秋風が心地好くほほを撫でるのでした。。。