羊雲

復路の羊のふんわりノート

File14*右眼●ー*黄斑前(上)膜の術後*体験談と余談

ー*黄斑前(上)膜手術当時49才だった為、白内障手術を同時にしなかった私の場合*-

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

 ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

 は黄斑前膜と分かる直前、今からもう3年前になりますが、ちょうど息子が高校生になり、これからはお金がかかる!という時、派遣から正社員の仕事への転職活動をしました。

 派遣では住宅販売の営業補佐をしていたので(結局今も変わらないのですが)いっそ宅建の資格でも取って営業を頑張ろうか?と考えたり、しかし営業の大変さもよく分かっていたし、暗記が苦手な私が今更宅建に受かるとも思えないし、そこまでやる気もないような…で迷いながらの転職活動。しかも職種もあやふやに活動したので、年齢的にふるいにかけられる中ようやく面接まで進んでも、その迷いや甘さが出てしまい、うまくいきませんでした。実はその時、職場に苦手な先輩がおり、逃げ出したかったのもありました。そんな中途半端な気持ちでうまくいくはずがありません。不仲な先輩との関係は益々悪化し、転職活動もうまくいかず、更に息子の高校のある問題に頭がおかしくなりそうになっていたところへ、突如、視界の異変を自覚したのです。

この、初めて視界の異変を感じたときから、黄斑前膜の手術に至り、術後落ち着いてくるまでの経過を、横浜相鉄ビル眼科のHPに体験談として寄せていたのですが、

なんとこの度!

厚生労働省の「医療情報の提供内容等のあり方に関する検討会」により、病院のホームページに患者体験談を使った広告の禁止が、2018年6月1日から施行。

 されたそうで、医院のHPから患者の体験談を削除せざるを得なくなったとか。

私の寄せた、鄭先生への公開ラブレター♡おぼしき体験談は、1年間という期間限定のものと相成りました。。。

私の寄せたものが無くなるのはともかくとして、患者さんの実話である体験談は、同じ病気で悩む患者にとっては最も知りたいところだと思うのです。同じ病気に立ち向かいそれを乗り越えたからこそ、今を明るく語れる患者さんの声は、今を悩んでいる患者さんの何よりの勇気になると思うのです。かつて私も同じ病気の方の体験談を読み、もっともっと知りたくて探しました。だからこそ、今こうして発信し続けているのです。

(でもそれは、回復途中の私にとっても、自分を理解する心の最大の整理になっています。考えているだけでは断片的でまとまらないのに、書いているとそれらが繋がっていき、答えが出るように気が付く!そしてスッキリ!ということも沢山あるので、自分自身の為にもなっているのです。同じ病気で悩み、時に泣いているかもしれない人の役に立てれば!と思いながらも、同時に、書いている自分に自分も励まされているのです。)

ですが院長・大高先生の個人のHPには、患者さんからのお礼のメールとして残っているものもありますので、ぜひそちらにご訪問下さい  

眼科医 大高功(おおたかいさお)

そして、当時、視界の異変はほどなく黄斑前膜と分かり、進みゆく見えにくさと手術への不安から、転職どころか今の仕事すら続けられるのか?と、踏みとどまるのに必死になることになりました。結局、収入は少なくても、残業もなく、通院で休みの調整もしやすく、責任の薄~い今の派遣の仕事が、要領よく家事との両立ができないどんくさい私にはちょうど良かったのです。あの時、転職がうまくいかなくて正解だったのです。正社員になっていれば収入や遣り甲斐は上がったでしょうが、きっと残業や責任感やストレスで、私には家事との両立はとても無理だったでしょう。(神様は、そこんところをよーく分かってらっしゃったということです)

…実は先日、職場でその当時不仲だった先輩に偶然、3年ぶりに会ってしまいました。お互い、会いたくなかった相手に会ってしまった!…というのがモロバレな、これぞ上っ面!な挨拶しかしませんでしたが。(しかし、勿論そこは大人な笑顔です^^;嗚呼…笑顔って、時にとっても便利だったりする…)

というのも、関係が悪化した結果、更衣室で大ゲンカ別れ!以来の再開だったからです。(ヒャ~!あ、でも殴り合いではありませんから、流血はしておりませんので、ご心配なく。。。)

血液型を問われるとき、必ず「O型でしょ?」と言われるほど(O型じゃないけど)普段は穏やかな私ですが、意地悪な人は大っ嫌い!その先輩が異動してきてからの数か月、溜まりに溜まった不満からつい、営業さんや上司が周りにいたにも構わず言い返してしまった!日の帰りの更衣室で猛反撃をくらい(そう、賢い先輩は周りに人がいないところで強いのです!)帰宅後も怒り爆発なメールがきて、それを読んだ私は「もう、いやっ!」と携帯をソファーに叩きつけたのでしたが、その後先輩の方から異動を希望したらしく、それきり会うことはなくなったのです。しかし、その先輩によって私の悪評があっという間に広まったようで、それを聞きつけたかつてお世話になった他の先輩から心配してもらったり、彼女が苦手だった人は他にも何人もいたようで「ようやった!」とアッパレ扱いされたりで、勝ったのか負けたのかよく分からない結果でした。

(ふわふわもこもこ、柔らかくおとなしい印象のさん。しかし、そのもこもこの下には…侮ることなかれ!ちゃんとを持っているのよ。…と友人に言われました。そういえば、戦った先輩はトラだったなあ…そら、角出さないと勝てないわなぁ…。)

しかし、よく考えると、これまでも以前のパート先で、言い返してやりたい!と思うもっと酷い上司や先輩は沢山いたのに、結っ構泣かされたのに、当時は絶対に言い返すなんてできなかった。なので、我慢して我慢して溜まったストレスが限界に達すると、自己防衛本能として突然に転職スイッチが入り(ま、パートですけど)2年足らずで転職!を3回しました。いろんな努力をして頑張れるだけ頑張るけれど、もう無理!となったら、転職スイッチが入る。理由があるにせよ続けられないのは、根性なしのようで嫌だったのですが…ある友人に言わせると「長く続けている人は優秀、というわけでもないのよ。アイちゃんが2年で辞めた、というところがポイント!自分にとって3年を超えて続けるだけの職場なのかどうかは重要なところで、3年を超えると良い意味でも悪い意味でも変わってくるのよ。石の上にも三年、の意味は深いのよ~!」と。

へ~、そうなの??…良かった!根性無しじゃない説もあって!と喜んだのです ♪

ハッ!その先輩と喧嘩になったのは、この職について3年半の頃!3年を超えていたのも関係あったのかしら?それ以外の大波はなかったので、この仕事、気付けばもう7年目!Oh~!今、それを旦那に言ったら「長いじゃん!」と。そう、私は結婚前も転職していて、派遣ながら今の職が自己最長記録を更新していることに…。

でも、今思い返すと、あの頃が更年期による精神的なイライラがピークだった気がする。あの頃の私はどうかしていた、と思うのです。ホルモンバランスの乱れは、ブレーキが利かなくなってしまうのですから…やはり、恐るべし更年期障害

「思秋期、ミドルエイジクライシス、更年期障害…。全てはホルモンバランスの乱れのせいなのねー!」と、友人たちと深くうなずきあったのでした。。。

 

 

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