羊雲

羊 雲

✥ 復路の羊のふんわりノート ✥

*食事のマイルール*

f:id:white-ivy:20200225142710p:plain 前々回 ー*お料理は得意ですか?*ー の続きです。。。

hitsujigumo.hatenablog.jp

 前、高校からの親しい友人4人と夜に食事会をしたときのこと。

スパークリングワインで乾杯&アラカルトに料理を注文しました。お酒は自分の好きなものにしますが、料理は好き嫌いがなくみんなが頼んだもので十分なので、たいてい周

りにお任せです。

ランチ会なら、1人1膳ですから当然自分の食べたいものを頼みますが、お酒とおしゃべりがメインの夜の集まりならお料理は何でもいいのです。それに…みんなで食べるものをアラカルトに決める時「これ、美味しそ~!」とか「こっちも、いいね~!」とか言いながらメニューを眺めるみんなの食べるものに対する情熱に…私は負けてしまうのです。 

 そして頼んだ料理が来るたびに、私以外の3人は一斉にスマホで写真を撮っていました。。。「そんなに撮ってどうするの?」と不思議がって私が聞くと「インスタに上げるの!」と1人が言うので「そのインスタは誰が見るの?」と、学生の頃からの仲だからこそ聞けること、もしくは私が悪気無く今でもこういうことを言うのを理解してくれているから聞けること、を私が言うと「え~?娘が見るの~」と笑いながら答えてくれました。「何食べたか忘れちゃうから、記録しておくの~」とか言っていた他の2人はフェイスブックをしているから、きっとこの後4人で撮った写真と共にUPされているんだろうな…と理解しました。(私は、フェイスブックは性に合わないのでしていません)

自分が食べた物を写真に撮る行為。飽食の今であっても、いえ豊食だからこそなのか?他人が何を食べたか?に興味のない私には理解できないのですが、食べることはガッツリ本能ですし、他人の食べた物に興味がある人が多いから、ブームになるんでしょうね。。。その時の私以外の3人が全員O型だったのは偶然だったのかもしれませんが、全く別の機会にとあるB型の知人が、料理を逐一写真に撮るというのは分からん、料理は食べて楽しむもの!と言っていました。そうしたら、それらをズバリ突いているような

血液型別・食事のマイルール】なる興味深い記事を見つけました!

 

【A型*三角食べ】

 お行儀のいいA型は、食事の仕方も丁寧なタイプ。ごはんとみそ汁とおかずを交互に食べていく「三角食べ」が、A型のマイルールです。それぞれの素材の味をしっかり味わい、ゆっくり食事を楽しみます。また、一口30回噛むことも忘れません。

【B型*好きなものを最初に食べる】

 せっかちなB型は、食事のときには好きなものを真っ先に食べるでしょう。足りなければ、おかわりもします。それでおなかいっぱいになって、ほかのおかずを残しても気にしません。行儀が悪いといわれても、自分がおいしく食事ができれば満足なのです。バイキングでは、真っ先に料理を取る列に並ぶタイプでしょう。

【O型*好きなものを最後に食べる】

 食いしん坊なO型にとって、食事は何よりの楽しみ。好き嫌いはほとんどなく、何でもおいしく食べるでしょう。そんなO型の食事のマイルールは、いちばん好きな食べ物は最後のお楽しみにとっておくこと。お腹がいっぱいでも、好物は別腹です。食事の〆として、しっかり完食。最後の最後まで食事を満喫するO型なのです。

【AB型*野菜を先に、炭水化物を最後に食べる】

 知的好奇心旺盛なAB型。食や健康に関する関心も高いです。野菜を最初に食べると血糖値が上がりにくくて太らないと世間でいわれ始めたときから、ずっとその食べ方がマイルール。野菜だけでお腹いっぱいになることも考えて、ごはんを少なめにすることも。食事も健康的に、がモットーです。

 に関して言えば、あまりにズバリすぎて驚いてしまいましたが…以前『ほんまでっかTV』でバイキングの利用の仕方をやっていて、B型さんまさんが「好きなものばっかり取りに行くに決まっとるやん!やけど、取りすぎておなかいっぱいになったら、残したったらええねん!」のようなことを言っていて、それにブーブーと反対の声が上がると「バイキングっちゅうのは、そういう風に楽しむとこやねん!」と反論していたのを思い出しました。

食べるという誰もが生きていくために必須の行為でも、ここまでこだわりが違うのは、飽食時代になった今だからでしょうね。そして、これまたそれぞれの価値観の違いなのだから、どっちの方が良い!とか、どれが正しい!というのはないんだなあ…と思いました。

そして、これまでは栄養のバランスや量・カロリーなどを考えていたけれど、今回食べる順番を変えたことで、身体のあちこちが明らかに好転したのを実感したAB型の私は更なる興味を引く記事を見つけました。

 

ー*肌や体の若々しさを保つためにも、野菜を先に食べる食事法がおすすめ*-

野菜に豊富に含まれる食物繊維はほとんど消化されないで、ゆっくりと消化管内を進むので、後で食べるご飯などの炭水化物が糖に分解されるのが遅くなります。すると、糖の吸収も遅くなり、食後血糖値の急上昇を抑えることができるのです。

実は高血糖動脈硬化を進めるだけではなく、老化を進める大きな要因でもあります。血糖値が高いと、増えすぎた糖が血管だけでなく、体内の組織全体にダメージを与えて、老化を進めてしまうのです。ですから、野菜を先に食べて、食後血糖値を抑えることでアンチエイジング効果が期待できるというわけです。
 特に糖によるダメージを受けやすいのが体内のコラーゲンです。コラーゲンは細胞と細胞をくっつける接着剤のような役割を果たしていて、組織の弾力を保つ働きをしています。特に肌や関節、そして意外なことに骨にもたくさん含まれています。コラーゲンは糖と反応するとかたくなるので、組織の弾力が失われます。弾力を失った肌はしわができやすくなり、関節の軟骨や骨も柔軟性を失ってもろくなり、関節痛や骨折を引き起しやすくなるのです。野菜から食べ始める新しい食習慣で、長く健康的にすごせる「健康寿命」を伸ばしてください。

この理由にすっかり納得した私は、もっと早く知っておけばよかった…と思いながらも実行継続!今やこの食べ順に身体がしっくりきて、おいしく食べられて、体調も肌の調子もいい感じ ♪ で止められなくなりました!

但し、

いも類かぼちゃとうもろこしなどの炭水化物の多い野菜は、炭水化物食品と考えて、最後に食べるようにしましょう!

という落とし穴も、今調べていたら分かりました。。。

いもが野菜じゃないくらいに言われている(ほら、ポテトサラダは野菜じゃないとかなんとかCMでも!)のは知っていましたが、緑黄色野菜の代表のようなかぼちゃ、そして夏の我が家の野菜の定番とうもろこしも炭水化物が多いだなんて…。夏は毎日真っ先に食べていたのに…。そもそも野菜に炭水化物が入っていることも知りませんでした。勉強不足だったわぁ。。。(ほんに、ほんに!)

 子供の頃、大人になったら身体が大きくなるのと同じようにお料理がバンバンできるようになるんだろうと思っていました。そして、お料理が上手にできる人になりたい!と憧れて、高校生のころは時々お菓子作りもしていました。…でも、私にはそのセンスがなかった…。たまーに作る分量通り手順通りのお菓子作りと違って、毎日違う献立の食事を作るのって、本当に大変!(私にとっては…)

だけど、時々、食事作りはストレス解消になる!という素晴らしい主婦がいるんです!心底、羨ましいです。毎日!料理を作る主婦だから素晴らしいんです。家族の健康を担って毎日料理を作るというは、料理が趣味 ♪ とか言って休みの日だけ好きな料理を作る男の道楽とは全く別物だと思いますが…、それでも休日に時々でも作ってくれたら、私にとっては夢のよう。。。

私が言うのも変だけれど、毎日美味しい料理を作ってくれる料理センスのある奥様をもつ旦那さんは幸せだろうなあ…。。。でも、美味しいといっぱい食べて太っちゃう?

いえいえ、そこも!野菜から食べれば、きっと大丈夫 ♪

今年もびっしり書きました!年賀状*亥年

f:id:white-ivy:20200225142710p:plain っ…という間に、年が明けてしまいました。

私の仕事は、年末は世間様より若干早めにお休みに入ります。ですので、出来るだけ頑張りたい!…けど出来るところまででOKとする!大掃除、そして今年も一年を振

 り返った近況を目いっぱい綴った年賀状作りに時間を費やしておりました。

 私の年賀状は、昨今はすっかり文章中心の為ワードで作っていますが、左下に出ている字数をふと見ると今年のものは849字ありました。それを覗き込み「あっ、今年もまた作文書いてる!」と言った大学1年の息子は、今年も1枚も書いていません。そして旦那も、これまで家族写真メインで作っていた年賀状をついに昨年から止めてしまいました。私と旦那は、使いたい写真や綴りたい文章や構成が異なるので、ずっと別々に年賀状を作り、それぞれの親戚や友人に出していました。旦那が止めた理由は、息子が大きくなりその成長を写真で伝える役割が年賀状になくなったからだと思われます。

確かに周りの友人から届く年賀状も子供が中・高校生あたりから、写真入りではなくなり、干支のイラストに年始の挨拶文、そしてあると嬉しいちょこっとした近況に変わります。私の場合、年賀状は遠くに住んでいてなかなか会えない友人やお世話になった親戚とやりとりしているので、近況を伝え合うことができる年に一度の絶好の機会なのです。

ただ、年末という忙しい時期と重なるので、大変!だし、面倒!でもあります。しかも、なぜこんなに書かなきゃという使命感のような気持ちに迫られるのか?とも思います。

最近は、12月になるといろんな駅の改札出口付近で年賀状を売り出しているのですが、今年も会社帰りにそれを目にした途端、1年ぶりにやってきた年末の課題!と思うのですが、まず去年の年賀状を数えて今年は何枚買うか?から始まるので、家でそれを確認してからでないと買えません。、その時は頭にあるものの…その後、夕飯の献立に迷いながら買い物をして、第2ラウンドの夕飯を作り、ご飯を食べたら1日の疲労はピークになり…年賀状のことを思い出す余力など無く渾身の第3ラウンド=食器洗いを終え、その後の入浴はもう天国で…頭の中はからっぽになったままベッドで横になり本を読む、もっと読みたい気持ちはすぐに眠気に襲われて…就寝です。そして翌日、再び駅の改札出口付近で年賀状が売り出されているのを見て「あーん、忘れてたー!」と思い出すことを何日か繰り返し12月も半ばを過ぎてくると、いい加減に買わねば!と気合いを入れて初めて枚数を確認することができ、やっと購入に至るというノロノロさ。

(これ、毎年11月中に年賀状を書いている異常に行動の早い我が父や、そこまでではないけれどある程度の余裕を持って行動する旦那や息子には、信じられない!と言われるのですが、私から言わせると、確かに私は基本ノロいけれども、父や旦那や息子のように自分の事メインに日々過ごしていればよいのであれば、私だってもっと時間にも体力にも余裕が出来て行動にも余裕を持てるというもの!家事という家族の事と自分の仕事の両方で日々目まぐるしいから、優先順位の低いものはギリギリになってしまうのです。つまりは、私の家事分担量が多すぎて私に余裕がないということ。これはちょこちょこ我が家の紛争の種になっており、このままでは我が身が持ちませんから、今度は別の病を発症!ということにならぬよう少しづつでも改革せねば!…男の脳は元々察する能力が少ないと聞くけれど、それにしてもこんなに私がヒーヒー言っているのに、うちの男衆といったら…。でも、文句を言っても私の独り言にされるか、それが発展してケンカになるかだけなので、そこは的確な言葉で伝え、且つ上手に家事分担してもらうことが我が身を助けるのだ!と頭では分かっているのに、これがなかなか難しい。。。)

さて、そうしてようやく購入した年賀状に、さー今年はどんな文章にしようか?しばらく頭で構想を練り、ちょっと下書きをして、乗ってきたらワードを開いて打っていく!という流れです。いつも長文になってしまうこのブログのごとく、打ち出すと書きたいことがどんどん出てくるので849字もの文面で埋め尽くされた年賀状になってしまうのです。(多い年はもっとびっしりで収まりきれず削るのに苦労しました。)

だけど、年末の大掃除と同じで、書き上げてしまえばスッキリと新年を迎えることができるし、年始に年賀状が届き、親しい人の様子が分かるのはやはり嬉しくて、いろいろある私でも、さあ今年も頑張ろっ!と思えるのです。

子供に恵まれるのが遅かった友人や二人目、三人目の子供がいる友人からの年賀状に「ようやく幼稚園の送り迎えから解放され、ラクになりました!」などと書いてあると、遥~か昔の事のように思い出しその頃が懐かしくなりますし、子供のいない友人の年賀状の旅先の南の島で夫婦仲良さそうに映っている写真を見ると「いいな~!私も行きたいな~!」と羨ましくなるし、ペットの写真が載せてあるものも多く「このペットに癒されているのね~?」と思いを馳せます。はたまた、子供の頃はよく遊んだけれど大人になってからは疎遠になっていたいとこが、結婚して子供が生まれたのをきっかけに家族の写真入りの年賀状を送ってくるようになるという復縁パターンもまた喜ばしいものです。

それでも、年々何となくその数は減っていく…去年のこと。

浪人時代に仲良くなった福岡に住んでいた友人からの年賀状が来ていないことに気付きました。彼女は公務員で、浪人の時から常に彼氏がいるほどかわいかったのに未婚のまま、学生の頃に借りていたマンションにずっと住んでいました。私の結婚式に来てもらって以来20年近く会ってなかったのですが、年賀状にはいつも「元気?私は相変わらずです」と書いてありました。彼女からの年賀状が来ていないことに気付いてから、しばらく経ったある日、覚えのない人からのハガキがポストに入っていました。?…と思い読むと「ご丁寧な年賀状をありがとうございました。昨年一月に長女は急逝いたしました…」と書いてあり、彼女のお母様からのハガキと分かりました。エレベーターの中で驚きと共に一気に涙があふれてきて、家に入って大声で泣きました。息子が驚くのも構わず、わんわん泣きました。悲しくて、悲しくて。息子が大学を卒業したら、また久々に福岡に遊びに行きたいと思っていました。こうして年賀状をやりとりしていたら、そのうち会えると思っていました。49才で亡くなったのです。私が黄斑前膜の手術をした4か月後、まだまだ見え方も脳も心も安定せず混乱していたH29・酉年の一月に亡くなったのです。酉年に来た年賀状を探してみると、彼女からのものがありました。かわいいウグイスのイラストと共にそこには「なかなか会えないけど元気にしていますか?私は相変わらずです。」といつもの彼女の小さな字で書いてありました。ということは、この時は変わらず元気だったのに、その後一月足らずで何があったのか?お母様からのハガキにどうして亡くなったのかは書いてありませんでした。病気なのか?事故なのか?何も分かりません。しばらくして、少し落ち着くとお線香を上げに行きたいという気持ちになってきました。しかし、娘に先立たれたお母様は今尚とてもお辛いであろうと思うと、まだ行動できずにいます。

今は、いかにも彼女らしさを感じる二羽のかわいいウグイスと梅の花が描かれた最後になってしまった年賀状を壁に貼り、手を合わせています。甘えん坊のお父さん子で、数年前にお父様を亡くされた時は心配したけれど、今は天国で一緒にいるのかな?

いつか私もそっちに行ったとき、また会えるかな? みさ。。。

*お料理は得意ですか?*

f:id:white-ivy:20200225142710p:plain 毎日お弁当を作っています。

弁当屋さんに勤めているわけではないので…正確には、仕事のある日は毎日お昼ごはんにお弁当を作って持っていきます。

 息子は大学生ですが「作ってくれるなら、それを食べてもいいよ」と言うので、朝から授業のある日のうち週2回は、ついでに息子の分も一緒にお弁当を作ります。息子が半端な要求をするくらいですから、素晴らしく美味しいお弁当を作っているわけではありません。息子曰く、普通に美味しいと。。。細身で食にあまり関心のない息子は、普通に美味しければ十分なのだそうです。

好き嫌いが多くお子ちゃま味が好きな息子は冷凍食品も普通に美味しいというので、息子のお弁当には冷凍食品をほぼ入れます。冷凍食品は種類が多いのでおかずがワンパターンにならず、またお弁当箱の隙間を埋めるのにも本当に役に立つ優れものです。便利でそこそこ美味しく、種類も豊富に日々進化を遂げる冷凍食品は、これまたストイックな日本の技術の賜物!だと思っています。息子のお弁当作りは幼稚園の頃から始まり、給食だった小学校はなかったものの、ほんの数年前までは川崎市は中学校で給食がなかったので、中学生~高校生と部活もしていた分お腹がすくだろうと大きなお弁当箱を持たせていました。だけれど、お弁当に向く冷めても美味しいおかずは限られているので、冷凍食品には長年とても助けられてきました。

…でも、私は冷凍食品の味は口に合わず自分のお弁当には入れないので、私と息子のお弁当の中身はメインディッシュ(タンパク質)とごはんが共通しているくらいで、見た目にも全く違います。もっと言えば、胚芽米の上に全体に黒ゴマ+その上に枝豆の豆だけを散らし+真ん中に梅干し!という私の彩りごはんに対し、黒ゴマは共通するものの、息子は枝豆も梅干しも嫌いなのでそれは乗せず、でも彩り良くするためにシャケフレークかタラコ、なければシャケ味かタラコ味のふりかけをかけます。(あのピンクの彩りが華やかになるのです。彩りが良いと、ぐっと美味しそうに見えるので同じ作るのでも気持ちが上がるのです ♪ )中身がここまで違うと、ついででもないのですが、週に2回なら今のところ苦にならず作っています。

職場で毎日お弁当を食べていると「旦那さんのも作るの?」と聞かれることがありますが、旦那のお弁当は作っていません。これだけしか言わないと自分と息子のお弁当は作るのに旦那のだけ作らないなんて酷い妻だ!と誤解されるので言っておきますが、私は作ってもいいのですが、旦那もまた好き嫌いが多く、昼食は自分の好きなもので適当~に少量で済ませたいからいらないと言うのです。

毎日お弁当を作っていき、お弁当の栄養バランスと彩りは大事にしているので、それを見ている職場の人からはさぞかし料理好きで料理が得意なのだろうと思われがちですが、私は料理が苦手です。ハッキリ言って、私には料理のセンスありません。

例えば、冷蔵庫にあるものでパパッと適当に美味しいものが作れる、などという高等なことはできません。また、あの料理にこれを入れたら合うと思って作ってみたら美味しかった!というバリエーションを広げるようなこともできません。

むしろ、適当に作るなんてことをしたら、あまり美味しくなりません。(センスがないと思うのがまさにココです!)レシピ通りに作って普通に美味しい、というのが私の実力です。しかも、ササッとチャチャッと手際よく作る!というのもできません。お料理にはこれも大事だと思うのですが、毎日お弁当を作っても、毎日夕食を作っていても、スピードはあまり上がりません。…何年、いえ何十年もほぼ毎日作っているのに、いろいろと知恵と工夫も取り混ぜているのに、私は料理にはどうしてもそれなりに手間と時間がかかるのです。いつまでたってもあまり成長しない…ここもまた、私が料理のセンスがない所以だと思っています。

(私は何事にも一つ一つの動作がやや遅いのです。学生の頃、炒め物に塩を入れるときに全体に少しずつ振りながら入れていたら、それを見ていたヨナが「アイちゃんは丁寧やねー。どうせ混ぜるんやけー、私は一気にドサッと入れる!」と言われて、塩の入れ方だけでも人によって違うのかー!?と思ったのを覚えています。)

でも!そこは幸いにして(?)旦那も息子も食いしん坊じゃないので、お腹が空いてイライラするということもなく、文句も言わず出来るのを大人しく待っています。

でもでも!料理が苦手な私ですから、辛抱強く待ってくれさえすれば、品数多く美味しい料理が出来るわけでもなく、時間がかかったのにこれだけしかできなかった!ということもあり、料理を作る時間というのがあっという間に過ぎるのが不思議でしょうがありません。まあ、夕飯作りといってもメインディッシュだけでなく、旦那が毎日必ずビールを飲むのでまず先にそのつまみを(簡単ですが)3品くらいとお弁当の下準備などもしていれば最低でも1時間以上、長い時は2時間近くかかります。立ち仕事だから足も疲れるし、切ったり混ぜたりで右手ばかり使うので、肩も凝ってくるし…これが、毎日仕事から帰ってきてからの第2ラウンドなのですから、疲労はMAXになり気合いの足りないときは途中で泣きたくなるときもあります。せめてサンマを焼くとき大根をおろしてくれる!とか、トンカツのときキャベツをスライサーで千切りにしてくれる!とか、簡単なことでも手伝ってくれれば少しは早くできて私も楽になれるのに!と言うのですが、息子も旦那も面倒なようで「早く出来なくてもいいよ」とTVを見たりゲームをしたりして待っています。。。

息子も旦那も面倒くさがりで料理にちっとも興味がないのです。私が大変がっていると「別に毎日ちゃんと作らなくても、お弁当やお惣菜でもいいよ」と言うので、出来合いのものもたまに買いますが味の濃いものが多くてそこが私の口に合わないのと、シンプルな料理でも出来立ての方が美味しい!と思うので多少無理してでも頑張って作っているのです。

そんな、食べること自体にあまり重きを置いていない旦那の好きなものは、トンカツ・エビフライ・生姜焼き・餃子です。以前、一緒に仕事をした営業さんが「トンカツ好きなんだけどさー、揚げ物は台所が汚れるからってウチのカミさん作ってくれないんだよねー」と言っていました。旦那の妹も「揚げ物は台所が汚れるし面倒だからしないんです」と言っていて…揚げ物は買うようにしている!という人もいるようですが、私も使用後の油の処理は工夫がいるけれどもそれほど揚げ物を手間だとは思っておらず、台所の汚れも気にするほどではなく…それよりも!揚げ物は、揚げて時間が経つと美味しくない!揚げたてじゃないと美味しくない!と思うので作っています。衣のパン粉をフードプロセッサーで細かくして使うので、出来合いのものよりも衣が薄くカラッと出来るのです。旦那は「トンカツとエビフライと生姜焼きと餃子なら毎日食べてもいいよ」と言ってきますが、それじゃあ私が飽きてしまいます。栄養のバランスを考えるといつも献立に苦しむのですが、我が家ではいよいよ献立が浮かばないときは、困った時の生姜焼き!なのです。豚肉は栄養バランスも良いし!簡単にできるので私も楽だし!で、豚肉(と鶏肉)は常に我が家の冷凍庫に保存してあります。そこに、息子の好きなドリアやスパゲティー・唐揚げ・ハンバーグ・カレーを作れば、まるでファミレスのメニューのような献立ばかりでやはり栄養のバランスが気になる私は、小鉢やみそ汁で必死にフォロー食を足しています。

じゃあ、私は?というと、好き嫌いはなく季節の物をシンプルに食べられればいいかな、というところ。友人と外食するときはアジアンにしたい ♪ くらいの程よい辛い物好きですが、息子と旦那が全く辛いのがダメで、息子はカレーですら甘口好きですから家では辛い料理は作れません。豚肉のキムチ炒めとか、これからの季節ならキムチ鍋とか食べたいけど、息子と旦那が食べられない物を作っても仕方がないので、キムチだけ後乗せで食べたりします。家族で食の好みが合わないと食事作りはつまらなく大変なものになりますが、私もまた食べることにそこまでの情熱がないので、献立は旦那と息子に譲っています。

このように食べることに情熱の薄い我が家は、家族3人でわざわざ外食に行く!ということがありません。外食にわざわざをつけるくらい、食べることを目的に外出するのが面倒なのです。家にあるもので簡単に済ませるか、いよいよ食材がなければ、せいぜい(息子の好きな)ピザを取るか、で、3人とも家から出たくないのです。出不精!でもありますが、逆に言うと、家で食べるほうが落ち着くのです。(でもそれも、私が作る負担が増えている原因でもあるんですけどね)

あるとき息子が、うちは家族みんなで外食に行くことが全くない、と友達に言ったらみんなに驚かれた!と言っていました。私が子供の頃、帰ってきた父に母が「今日は買い物してないから外に食べに行こう」と言い、外食することになったとき「わーい!何食べようか?」と弟と2人で大喜びしていたことを思い出すと、ちょっと息子に申し訳ないような気もします。

だけど、今思えば何がそんなに嬉しかったんだろう?…外食!に限らず、家族揃ってのお出かけは何であっても無条件にわくわくして嬉しかった子供心だったのでしょうか。ああでも、私が子供の頃は家でグラタンなど作ってもらえなかったので、外食と言えばグラタンが食べられる!と、行先はファミレスにして!といつもお願いしていたのを思い出しました。だけど、そこはB型の我が父「ファミレスはこの前も行ったから、今日は〇〇」と父の行きたい和食やラーメン屋、ときに焼き肉とかで、和食の時は弟とかなり文句を言いながらついていっていました。だけど…よく思い返すと、そこに母の希望は1度もなかったなぁ…。確かに、好き嫌いのない母でしたから何でも良かったのかもしれませんが…A型の母は、主張の強いB型の父とAB型の2人の子供たちに譲っていたんですね。。。

あれ?私の血液型、バレちゃいましたね?

でも、食に関する血液型別の興味深い記事を見つけたので、この続きはまた今度***

File24*マイボーム線のつまりの原因とドライアイ*

*右眼・黄斑前(上)膜の手術後、1年9カ月(51才)で白内障手術をしたモノビジョン私の場合*-(黄斑前膜の術後*2年3カ月)

 f:id:white-ivy:20200225152424p:plain 先月の定期検診で指摘された、マイボーム線のつまり。

そもそも、この聞きなれないマイボーム線とは?

マイボーム腺は上下のまぶたの縁にある数十個の分泌腺で、涙の表面を覆う油脂成分を出す役割を果たしています。マイボーム腺が詰まって、中に脂の塊がプチプチとできるのが【マイボーム腺梗塞】、詰まったことが原因で炎症が起きて肉の塊が出来てくるのが【霰粒腫(さんりゅうしゅ)】です。

なるほど!私は、マイボーム線梗塞になったのね。…梗塞(こうそく)って…、脳の血管がつまる脳梗塞(のうこうそく)と同じ言い方をされると…ちと怖いけど。

でもそれが、悪化してしまうと霰粒腫(さんりゅうしゅ)になるんだ!

キャ~、そうなのかぁ…霰粒腫(さんりゅうしゅ)になったら、見た目にも立派な眼の病気!というのが分かるくらい医院のHPを熟読している私はちょっと驚きましたが、今だ何ともないので大丈夫そうです。。。

つまる原因をもう少し調べると…

加齢が原因でマイボーム腺の油分を押し出す力が弱くなり、詰まりやすくなります。

動物性の脂肪を摂り過ぎると、マイボーム腺からは固まりやすい、質の悪い油分が分泌され、詰まりやすくなります。

* 女性の場合、アイメイクが詰まりの原因となることもあります。

…急に加齢が加速した自覚はないし、動物性の脂肪を摂り過ぎた覚えもありません

そして(前々から何度も言っていますが)極薄メイクの私はマイボーム線を塗りつぶすほどのアイメイクもしていません。

が、そういえば、ちいと思い当たることがありました。

白内障の術後3カ月を過ぎて1日4度の点眼がようやく終了した頃から、薄っすら(吹けば飛ぶくらい、夕方にはすっかり落ちているくらい…)ですがアイシャドウにアイライン、そしてマスカラを使いだしたのです。お湯で落ちるマスカラなのでメイク落としは使わずに、いつも通りぬるま湯洗顔のみ。あるときお風呂から上がって何げなく鏡を見ると眼の下にうっすらと黒色が残っていたので、コットンにベビーオイルをつけて拭いてみたらコットンが思いのほか黒くなったのが面白くて、しばらくお風呂上りにそれをしていました。今までそんなことしてなかったのに、たまたましばらく使ってしまったベビーオイル(油分)がマイボーム線をふさいでしまったのかも?と!

そう!メイクではなく、メイク落としの油分がつまりの原因になったのかも?と!

そしてそのうち面倒になってベビーオイルは使わなくなり、見た目にうっすらパンダ目になったまま就寝しても、翌朝目覚めると分からないくらいになっていて、その後の水洗顔でさっぱりきれいに。今は、パンダにならないようもっと丁寧にぬるま湯洗いをしています。。。

 しかしそれよりもマイボーム線から出る油分も、食事で摂取する油の種類や量によるのだということを知り、あることに気が付いたのです!

私は日中はそれほどでもないのですが、もう何年も前から毎朝起きたときに瞬きをするのも辛いくらいに眼がとても乾いていたので、寝起き一番に必ず目薬を点していました。日中は、時々乾きを感じるときだけ目薬を点せばしのげていたので、ドライアイというほど酷くはないと思っていたのですが、寝起きだけは目薬を点さないとどうにもこうにも瞬きができないほど痛く乾いていたので、何年も目薬(市販品ですが)を切らしたことがありませんでした。実家に帰った時や旅行に行くときは、絶対に持っていくのを忘れないように気を付けていました。でないと、朝起きた時に目薬が無い事に気付くと誰かに急いで買ってきてもらわないと、眼を開けるもの辛いのですから!

レーシックをするとドライアイになりやすいとは聞いていましたが、レーシックをする前からハードコンタクト装用による目の乾きが年々辛くなってきていたので、加齢のせいだろうとあきらめていました。

それがなんと!先月辺りから、急に寝起きの眼の乾きが軽くなったのです!!

寝起き一番に目薬を点さなくても、ほぼ平気になってきたのです。まだ時々は若干の乾きから目薬を点したくなる日もありますが、以前は毎朝必ず目薬を点さずにはいられませんでしたから、もう何年も1日も欠かさず寝起きに目薬を点していたことからすると劇的な変化です。

ん?どうした?とは思いましたが、嬉しい事なのでそのまま忘れていましたが…、マイボーム線がつまるほど!分泌する油分が増え、涙(水分)をコーティングするに十分な量になったから、寝起きに眼が乾かなくなったのでは?と思い当たったのです!!

 どうして急に眼の油分が増えたのか?

 それには、思い当たる食生活の変化が、いくつかあります。

まず、数か月前から【先に野菜や果物を食べる】→

【次にたんぱく質をしっかり取る】→【炭水化物最後に食べる】というのを毎食実践するようになりました。

これ、数年前からダイエットによいとかで流行っていたのは知っていましたが、最近TVで詳しく説明していたのを見て、アンチエイジング効果もある!というので始めてみました。

 そして暑さが落ち着いた頃から、毎日のお弁当にたっぷりの野菜サラダを持っていくようになったこと。もちろん、一番最初に食べます!

 そしてそして、秋に入りおいしい果物が増えたので、帰宅後一番の空腹時に必ず果物を食べるようになったこと。

 私は毎日お弁当を作っていますが、それは節約と健康のためで、決してお料理大好き!ではない私にとって、食事作りは毎日大仕事です。なので、仕事から疲れて帰ってきてすぐに食べられる、のどの渇きも空腹も同時に満たしてくれる、甘くておいしいフルーツで元気を取り戻してから、第2ラウンド(食事作り)に入るのです。帰り際に、今日は柿かな?洋ナシかな?ぶどう?みかん?りんご?キウイ?…とその日の気分でセレクトできるよう、いくつも買い置きしています ♫

(…私はWワークしていると思っていましたが、トリプルワークだということに今気付きました。その3つ目の仕事、家事は、無給なのに年中無休の終身雇用だということに…う!)

更に他にも、オリーブオイル、たまご、チーズ、アーモンド、はちみつ、ヨーグルトをほぼ毎日食べるようになったこと!

 食べる食材は増えたのに、気付くと太ももが今までになく細くなっていたのです。今年の長かった猛暑時も頑張ってどこでも極力階段を使っていた効果?と思っていると、会社の健診で去年の同じ時期より体重が2kg落ちていることが分かりました。食事の総摂取量も増えたので、階段よりも食べる順番を変えたことが良かったのだろうと思っています。しかも、 体調も肌の調子も良ければ、一緒に眼の調子が良くなるのもうなずけるのです!

 、つまるほどというのはどうなのかと思いますが、でも特に不具合をおこすほどではありませんし、むしろ朝起きた時にあわてて目薬を点すのがなくなったことの方がずっと嬉しい!これはもうどうしたって加齢のせいだろうから、改善などしないと思っていただけに、驚きとともに大喜びです *\(´∀`)/*

でも…こんなにあれこれあると、いったい何が眼の油分を増やしたのか?は分からなくなりそうですが…

【 目に良い成分・ビタミンAを多く含む食材 】

人参かぼちゃモロヘイヤなどの緑黄色野菜、うなぎ、ほたるいかなど (油脂と一緒に摂取すると吸収が良い)
目の粘膜を正常に保ち、目に潤いを与えます。ドライアイを予防する働きがあります。

これを読んで、総合的に考えると…

十分な量の緑黄色野菜を最初に食べるようになったことで吸収量が増え、 目の油も増えて、目の粘膜が正常に保たれるようになり目に潤いが戻ったから、目薬いらずになったのだろうと思いました。

じゃあ…結局、つまるところ、マイボーム線のつまりの原因は?

…それは、そこにきてベビーオイルでふさいじゃった!からかな???

追記;そういえば先月の検診時に言っていた鈍痛が、このところ全くなくなりました。季節の変わり目を過ぎたからかなー?と思って、鄭先生にもそう伝えたけれど…潤いが戻ったのも関係してるかも?

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)

File23*黄斑前(上)膜・術後に発症した白内障の術後*4カ月検診

*右眼・黄斑前(上)膜の手術後、1年9カ月(51才)で白内障手術をしたモノビジョン私の場合*-(黄斑前膜の術後*2年2か月)

 f:id:white-ivy:20200225152424p:plain 週、定期検診に行ってきました。

朝から雨足が強く、家から出たくないほどで、よほど来週に延ばそうかと思ったのですが…待てよ、雨だと空いているのでは?と予測して、頑張って行って良かったです。さほど待つこともなく、そして忙しすぎない分、鄭先生にもゆとりが感じられ、 ツッコミも冴えていて!束の間の談笑ができました ♪  

 白内障の術後に関しては、特に変化は無かったのですが、右眼の上まぶたのマイボーム線がつまっていて黄色く小さなプチッとしたものができていました。モニターで見せられ「ゴロゴロするとか、ありませんか?」と聞かれたのですが、そう言われてみても…やはり何も感じないので、首をひねりながら笑顔でなんともないことを伝えると「…さすが、先輩ですね!」と突っ込まれ、笑ってしまいました(≧▽≦)

(鄭先生は私と同級生にあたるのですが、早生まれなので、4月生まれの私に時々「先輩!」とツッコミが入ります…^^;)

私に不具合がないので、放置することになりましたが…

しかし、マイボーム線のつまり。2年以上通院して初めての指摘だったので、家に帰って調べると…老化も原因となるようで「先輩!」というツッコミもあながち笑えないのですが、知ってしまうと異物感を感じるようになるかも?…という心配もなんのその!1週間経過しても、私の右眼はそんなことものともせず、何も感じることなく、今や実にたくましいのです!

それどころか、白内障手術で右眼に入った人工レンズのお陰で、綺麗な色に感動することが増えた気がします。例えば朝の出勤時、秋の空の色が本当に綺麗で、駅に着くまでに胸がいっぱいになるのです。空の色がみずいろで、雲の色が白で、良かったー!と思うのです。

今、NHK朝ドラの『まんぷく』を観ていますが、克子姉ちゃんの画家の旦那様が戦争の影響で色覚異常になり、一度は諦めた絵描きを再び始めたら、色覚異常になってから描いた絵の方が評判が良いという話の流れに、それをバネにより芸術面で伸びる展開を面白い!と思っているのですが、後天的に色覚異常になることがあるのを初めて知りました。

先天的な色弱の人とは、これまで2人ほど一緒に仕事をしたことがあります。

1人目は、初めて社会人になったときの直属の上司で、10才年上の男性でした。色弱で赤色が見えにくいので、別の色で資料にチェックを入れてほしいと言われて、その人が色弱であることを知りました。

2人目は、3年前に職場で一緒だった20代後半の男性で、みんなでDMの色決めをしているときに一人意見が合わず、最初冗談で言っているのかと思ったら、実は色弱であると言われました。小学生の時に色のことで、随分からかわれたと聞きましたが、明るく面白い、とても聡明な人でした。

色弱も、本人が打ち明けないと、傍からは分かりません。

調べると、私たちが子供の頃にしていた色弱検査は、差別につながるという理由から2002年に必須検査から外れ、それ以降実施する学校がほとんどなくなったのだとか。

現在19才のうちの息子も一度も受けたことがないと言っています。

色弱は男の子に多いと聞いたことがありますが、その確率は女の子の500人に1人に対して、男の子は20人に1人だそうで…知らないだけで実はもっと周りにいたのかもしれません。【色弱の人が見えている画像】というのを初めて見たのですが、こんな風に見えると生活にも苦労することがあるだろうなと思うほどで、予想以上でした。

でも今は、色覚補正メガネというものでかなり補正できるようですね。

…さあ、どっこい『まんぷく』♪

途中、憲兵に捕まる週などは急なハード路線変更に雲行きの不安を感じましたが、その後持ち直し、今私の一番のお気に入りはお母さんすずさんです。目一杯わがまま言っているのに、それを周囲はうまくやり過ごしていて、相手にされていないシーンなどは笑ってしまいます!わがままを言いながらも結局頑張るすずさんが愛しくもあり、おっとりとぼけたところもかわいい。だのに、さすがは武士の娘ですー!泥棒が入るシーンでは、悲鳴を上げて大騒ぎするかと思いきや、すりこ木を手に果敢に立ち向かうし、先週の従業員の野郎どものケンカのシーンでは萬平さんとかんべさんの男2人が止めに入ってもダメだったのに、すずさんの気合いの一声でケンカが収まるという、ここぞというときに力を発揮している頼もしさ ♪ (でも渾身の一声の後に、倒れちゃうところがまたかわいい!)間の取り方といい、その表情といい、さすが大女優・松坂慶子!しっかりした娘・ふくちゃんにいつも言い聞かせられる、どっちが子供なのかわからないくらいのお母さん・すずさん。

カーネーション』でいうところの(麻生祐未演じる)泣き虫でふんわりかわいいお母さんと同じ脇の強さを感じて…私は、好きだなあ…♫

白内障の術後については経過良好につき、次回の検診は年明けになりました!)

 

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)

『カーネーション』と半分…蒼い!そして『まんぷく』♪

f:id:white-ivy:20200225142710p:plain 平日夕方に再放送しているNHKの朝ドラ『カーネーション』を初見している。

Wワークしている私は、勿論、平日の夕方ゆっくりとTVに向かうことは出来ないので、せっせと録画したものを、仕事の休みの日にまとめて楽しんでいるのです。途中で再放送を知ったので、最初の方は見ていないのですが、見始めるとすぐに尾野真千子の演技力に惹きつけられ、その表情が可笑しくて!小柄なのに度量があり、ドスの効いた声も頼もしくて、そして何よりストーリーがしっかりしていて…先ごろ終わった『半分、青い』よりも、ずっと夢中になって見ています。 

 後半は3人姉妹の子育て、というか育ち方が見ていて分かりやすい。きょうだいがいても、その構成によってこうも違うものか?と、一人息子しかおらず、姉弟の私には、同性の姉妹(兄弟)は本当に競争心たくましく育つんだなあと羨ましく思いながら見ていましたが…突然お話が何十年か後になり、尾野真千子演ずる主役・糸子が、夏木マリに変わってしまいました。夏木マリ夏木マリで良い女優さんだと思いますが、それまでが尾野真千子たっぷりに骨太なストーリーを確固たるものにし、あのバラバラな3人姉妹の手綱を握る存在感で盛り上がっていたので、私の頭の中で話は繋がらず、別の話を見ているようです。いくら何十年後であっても、夏木マリがどんなに尾野真千子が演じた糸子に寄せていても、それが返って居たたまれないような気持ちになります。NHKに諸事情があったのかなかったのか知りませんが、いきなりのバトンタッチはやはり無理があり、一つの作品としてよく出来ているだけにとても残念です。この交代は数年前にリアルタイムで放送していた当時も反響が大きかったようですが、その主役交代のために大勢いた愉快な面々は総入れ替えで写真立てに入ることになったのか?とか、HNKであっても作品というものを純粋に扱うのは難しいのかなあ?と考えてしまいます。。。

さて引き合いに出した先ごろ終わった『半分、青い』

私としては、初回のオープニングで「片耳しか聞こえないことを、悲しいと思うか、ちょっと面白いと思うか。私は、ちょっと面白いと思う!」と言うすずめのナレーションで幕切りしたので、片耳しか聞こえないからこその開花を期待していました。だから、聞くことに弱い分見ることに長け、観察力が育ち、そこに温かい家族やご近所さんに囲まれて天真爛漫に育ったすずめだったからこそマンガという視界で表現する世界で成功していったという前半は、良かった!

あの頃の漫画家の中でも、くらもちふさこはダントツにハイセンスでストーリーも素晴らしかったですし、オープニング曲のPOPな星野源も、あの頃流行った大江千里を思わせ、音楽に合った映像とともにタイムトリップできました。

だけど、朝ドラは、全員がヒロインであることからしても、子供や旦那さんを送り出した後に一息つける時間帯からしても、主に主婦に向けているのであろう前提に言っても、その主婦が一人で見ても朝ドラとして見るには気恥ずかしくなるほどのその甘いシーンはいらない!と思ってしまう構成やキャスティング、そして終盤になるにつれ、どんどん散らかるような…取ってつけたような…雑で急な展開に戸惑いながら…最後まで見はしましたが。。。

そよ風の扇風機で成功する最後がオープニングソングの映像とマッチし、いろいろあったすずめと律もそよ風の扇風機の成功と一緒に結ばれて、おしまい。

…私には物足りませんでした。

よくTVなどで見る、素人の結婚披露宴で流れるような新郎新婦のラブストーリーなら、まあ♡と感激すると思います。結婚する前の若きころであったなら、ふう♡と思ったかもしれません。でも、そこはプロフェッショナルを求めれれて当たり前天下の朝ドラ!それなりに人生経験を積んできた、復路に入った主婦の期待は、年齢の分だけ肥えているのです。

初回冒頭ーすずめに優しくを差しだす律ーで始まり(でもそれは骨が1本折れたビニール傘)そして最後もー律がすずめのために作った特別なーで終わる。なんだかんだあったけど、結局すずめと律が結ばれておしまい、となると、結局恋愛ドラマだったのか…ととても薄っぺらく感じてしまいました。

『半分、青い』は賛否両論結構激しくネットで話題になっていましたから、これもあくまで好みの問題で、個人的思考なのですが、私は、すずめと律は幼馴染みとして兄妹のように助け合いはしても、結ばれる展開ではなく、お互い自立した大人として、それぞれの道を歩んでほしかった。すずめと律には男女の友情として成り立ってほしかった。

でももし、結ばれるとしたならば、優秀な律君だったのですから、片耳が聞こえない人に役立つものを開発して(途中そんなことを目指してなかったかしら?)再度プロポーズする!とか、すずめがマンガで成功したものの、継続していくという才能に苦しみ、挫折、マンガ家だったことを隠していたのに娘・かんちゃんに評価されたことをきっかけにそれまでの苦労やいろんな経験が糧となって、今度は、オープニングソングの映像に出ていたようなアイデアいっぱいなイラストレーターになって自信を取り戻し、今度はすずめから律にプロポーズして結ばれる!とか、そよ風の扇風機を共同開発するうちに…♡…よりも、別々に頑張るもう一花が欲しかった。

3.11の地震のシーンも、実際にあの時独身でいることに不安を強くした女性の結婚願望が高まり、結婚したカップルが急増したらしいので、それで2人の気持ちが向き合うのか?!と思ったのですが、それは娘・かんちゃんのお漏らしによるイジメだったり、ゆうこちゃんが帰らぬ人となるという、どちらもリアルに悲しい方向に…。

すずめと律が結ばれる結末ありきだったのなら、ゆうこちゃんにもボクテにも秋風先生にもみーんなにもう一度結婚式に来てもらって、新郎新婦があの特別な相合傘♡でパーティーエンド ♪ の方が、バブル世代らしくて良かった!と、まあ、ネットがあれほど荒れたのですから、素人にあれこれ突っ込まれる作品だったということでしょうか。

結果、私の中で『半分、青い』は、半分…蒼い(蒼は、くすんだ青色)になってしまいました。

ここでもう少し言えば、青い=ブルー、で半分悲しいと捉えている人もいたようですが、初回冒頭ですずめは「片耳聞こえないことを、私はちょっと面白いと思う」と言っていますし、すずめのお母ちゃんも「雨音が聞こえない、すずめの左側(半分)はいつも晴れ(青空)やね」と言っていますから、青い、は憂鬱を意味するブルーではないことは明らかだと思います。

カラーセラピーの世界では、空の青色は平和の象徴と言われるようです。ヨーロッパのおまじないサムシングフォーの一つである、花嫁が何か青いものを持つと永遠に幸せになれるというサムシングブルー。(私の結婚指輪の内側にも青い小さな石が埋まっています!…おなじない、効いてるのか?)チルチル&ミチルの幸せの青い鳥や、若い意味での青い、青春の甘酸っぱい青さも入っていたかも?とこれまたいろいろ考える余地のあるドラマだったんでしょうね。

でも、朝ドラ視聴歴20年!という、私が敬愛する某眼科のT先生が言うには、朝ドラは1週間区切りのタイトルになっているし、やはり毎朝15分見るのが一番丁度よろしいのだとか。そういう意味から、朝見るには『カーネーション』は重過ぎたという意見もあって、朝ドラ視聴歴の浅い私がまとめてガッツリ見てしまうから欲求が強くなるのかしらん?

だけど、新しく始まった『まんぷく』♪

ドリカムのオープニング曲は良いのに、あの映像は、んん?と思う気持ちを吹き飛ばす面白さ!美人の母&2人の姉に囲まれて育ってもちっともひがんでいない愛嬌の良い(大阪人なのに?)おっとりした主人公・福ちゃん。顔芸すばらしく3枚目を演じる意外と芯の強い萬平さん(長谷川博己)。そして…白馬に乗った歯医者さん!(ずっと白馬に乗ってきてほしかった…)もう何度も大声を上げて笑ってしまいました。安心して見られる朝ドラの王道型ですね☆

こちらも3姉妹だけれど、末っ子が主役という数少ないパターンだそうで、今後が楽しみです!

…チャンチャチャラララン、プー

File22*黄斑前(上)膜・術後に発症した白内障の術後*3カ月検診

*右眼・黄斑前(上)膜の手術後、1年9カ月(51才)で白内障手術をしたモノビジョン私の場合*-(黄斑前膜の術後*2年1カ月)

  f:id:white-ivy:20200225152424p:plain 当は、9月末で白内障の術後3カ月だったのですが、休みが取れず、10月に入りやっと検診に行ってきました。

結論から言うと、数値上、検診結果上は変わりなしです。

でも、私の感覚上は、益々見え方が安定してきている=この見え方に慣れてきています ♪

ただ、時々、鈍痛がするので、それを鄭先生に伝えたら「よく言うー古傷が痛むーというようなことだと思いますので、その時は眼を休ませて下さい」と言われました。 

 その鈍痛は、眼をよく使った後、とか決まった条件の時に起こるわけではなく、朝起きて間もなくの時もあるし、仕事中に廊下を歩いている時もあるしで、バラバラに来るのです。疲れ目用の目薬を点すと、とても気持ちよく治るので、それで対処していましたが…そうか!眼を休ませる、少しの間でも眼を閉じて休ませてあげる、というそんなシンプルなこと、灯台下暗しのように忘れていました。3回も手術をした右眼なんだから、もっと優しくしてあげないといけないな、と思いました。痛みを感じるということは、少なくとも身体が訴えているんだから、まずは休ませて労わってあげなくては!

ここで、眼以外の手術をしたことのない私は、早速、古傷が痛む?と調べてみたら…

気圧の低下を内耳でキャッチすると、交感神経の働きが活発化し、血管の収縮が起こる。すると古傷やまわりの痛覚神経が高ぶり、痛みが生じる。同時に内耳の反応によってリンパ液に波が起き、身体を動かしたかのような間違った情報が脳に送られ、さらに交感神経を刺激してしまう。

長かった酷暑から、このところの急に寒いくらいの涼秋。台風もいくつも来たし…そんな不安定な天候も関係してるのかも。そういえば、こうしてじっとパソコンに向かってると眼が疲れそうなのにその時よりも、動いている時、例えば駅まで歩く間とかの方が痛みを感じることが多い気がする。身体って、複雑なのね。。。

そして、そして、先頃アプリコットさんの卒院を拍手で送りだした私は、…もしかして私ももう通院終了?と、独り立ちする心の準備も出来ていないままにいきなり巣立ちの時がきたのではないかとドキドキしながら診察を受けたのですが、白内障の術後半年までは月1回の通院を勧められました。その後も間隔を空けながら、2年経過後も眼内手術をした患者には半年ごとの検診を勧めているとのこと。黄斑前膜は術後2年経ったけれど、白内障の術後はまだ3カ月で点眼薬が終了したばかりですから、まだまだ巣の中で口を大きく開けるツバメのひなのような気持ちだった私はホッとしたのでした。。。

しかし、人生100年だとしたら、まだ折り返したばかり、復路に入ったばかりなのに、見るというほんの3年前(48才)までは当たり前にできていたことに、こんなに左右されることになるなんて、それまで大きな病気をしたことのなかった、花粉症も他特段のアレルギーもなく、お通じもよい、頭痛持ちでもなく、たまに肩が凝るくらいの、会社の健康診断では内臓系はオールAの私には、初めての試練でした。

私は43才で長年のコンタクトレンズ生活に終止符を打ち、レーシック(近視矯正手術)をしたので、裸眼で遠近バッチリ見える(小学生以来の)快適な生活 ♪ となったのですが、それもわずか5年間で、黄斑前膜という突然の試練とともに老眼が始まっていきました。黄斑前膜も経年劣化から来る病気なのでしょうが、鄭先生の印象としては(重篤な患者が多く来る病院だからか)結構な患者数が診受けられるとのこと。そういえば先日、黄斑前膜の友ヨナと久々に連絡を取ったのですが、その後も変わらないらしく、家を出て大学進学した長男のところに時々行ったりで忙しくも元気そうでした。私のように自覚後数か月で視界が明らかに悪化する者もいれば、ヨナのようになかなか進行しない人もいる。でもどちらにしても、だれもがなる老眼や白内障の進行によって、見え方の異変にだんだんと気付きにくくなるので、数値や画像で明らかになる定期検診は大事だと思います。

それにしても、老眼という見えにくさも、白髪やシワのように「ほら、見て!」と見せることができれば簡単なんだろうけど、その見えにくさは傍からは分からないところが、やっかいな上に、近視で眼鏡をかけている人、近視でコンタクトを使っている人、視力が良く裸眼で過ごしている人、そして私のようにレーシック→黄斑前膜→白内障と3度も手術をしたモノビジョンな人、とそもそものベースが違うのだから、老眼による不具合の出方の詳細や対策の取り方も違ってくるし、そこに個人差が絡んでくれば、共感したりされたりも微妙で、視界の不具合というのは本当に孤独だなあと思う。

黄斑前膜の手術後の頃、50才という節目で高校の大々的な同窓会の幹事学年になり、その準備で何度も同級生と集まったのですが、「俺なんて40過ぎから老眼始まってるよ~」と言ってた(元)男子よりも誰よりも、資料が見えなくて、常に私はその頃老眼鏡をかけていた。その頃は、自分で書いてきたメモも老眼鏡をかけないと読めなくて、「え?!自分で書いたものも見えないの?」と驚かれて、逆に、みんなは老眼が始まってると言っても、自分で書いたものは老眼鏡をかけなくても見えるんだ!と自分との違いが分かったりした。後にそれは黄斑前膜の術後回復の途中(術後半年ごろ)だったからだと分るのですが、その時は老眼鏡をかけると見えたので、これは老眼なの?同級生の誰よりも酷い老眼になってきてるってこと?でも度数+1.5の軽めの老眼鏡で十分見えるんだけど?48才で黄斑前膜になるまではあんなに近くも見えていたのに?それとも黄斑前膜のせい??と、視界という自分にしか分からない孤独な世界で不安になっていました。

あの頃に比べ、今は白内障の手術もしたお陰で、自分で書く文字は勿論、老眼鏡なしでもいろんなものがほぼ見えるようになって本当に良かった!と思う。

白内障の手術前、やはり高校の同級生と食事をしたときのこと。近視のためコンタクトをしている友人達が、老眼で見えないからコンタクトの上から老眼鏡をかけてるのよ~!とか、ゴルフをするとき今までのコンタクトでは手元のスコアが見えないから弱めの度数のコンタクトに変えてるの~!とか、それぞれの苦労と工夫の話を聞いて、眼の事で苦労していたのは私だけではないんだ!と孤独から解放されたのに、白内障の手術をする話をしたら「え~!?白内障?!」と気の毒がられ…、やはりどうしても白内障はお年寄りの病気という世間のイメージが強いからか、非常に驚かれてしまいました。

 まあ、私の場合は硝子体手術(=黄斑前膜の手術)をしたことによって発症した核白内障だったから、進行が早く、こんなに早く手術することになったのですが、いざ御年51才で白内障手術をしてみて思うことは、早目の手術も悪くない ♪

どころか、あらゆる色彩が(健常なはずの左眼よりも明らかに!)綺麗に見えるようになったことは、むしろ早目に手術して良かった ♫ と思っています。だって、~20才の人の水晶体と同じくらいクリア~になったんですよ!そんなに若返るなんて…これ、術後患者に『白内障の手術をして良かったことは?』とアンケートを取ったら、絶対に理由の上位に入ると思う!!

自分の肌色まで綺麗に見えるようになるんですから、女性なら絶対嬉しいと思います。爪や歯茎の色はピンクに、歯も白く見えるので気持ちが上がります!…高齢の女性のお化粧がだんだん濃くなるのは、水晶体の濁りで自分の顔色もくすんで見えてくるからじゃないかしら?と思い、今、お化粧をするときは左眼をつむって右眼で色を確かめています。

そう!今、正確なを見たいときは、眼で!正確なを見たいときは、眼で!

と、使い分けているのです。なんだか、ややこしいガチャ目?のようですが、見えなかった頃があったからこそ、あの頃と比べると、モノビジョンで遠近そこそこ見えるようになった今に御の字なのです☆彡

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)