羊雲

羊 雲

✥ 復路の羊のふんわりノート ✥

弟の怖い話(@_@;)

f:id:white-ivy:20200225142710p:plain れは、私と旦那が私の弟から聞いた、実話です。。。

かれこれ10年以上前、弟がまだ独身で1人暮らしをしていた頃のことです。

 

が夜中ふと目覚めると、すぐそこに男の人が立っていたのだそうです!

(もうこの出だしで、私は「え~っ!」とビックリ!超恐怖!!でしたが…)

だのに、弟は少し驚いたものの、冷静に「部屋をお間違いではないですか?」と言ったのだそうです。というのも、なんと!その男の人は、下半身スッポンポン!で、何も履いてなかった!!からこそ、弟は、上か下の住人が酔っ払って自分の家と間違えて入ってきたのでは?と思ったのだとか。弟が住んでいたのはマンションで、上下階は全て同じ間取り。下半身スッポンポンなのは、着替えの途中と思ったらしいのです。

(しかし私は、あまりの予想外の様相再び「ええー!!」と驚くと同時に、旦那と弟と3人で爆笑してしまいました!ー混乱すると、人は笑うんですねーお酒を飲みながらのおしゃべりだったので、酔った旦那はその後しつこく弟の貞操の心配ばかりしていましたが…)

そして、そこですかさず私が「でも、何で家に入ってこれたの?鍵を閉め忘れてたの?」と聞くと、あろうことか、弟はそれまで、出かける時は鍵をかけていたけれど、自分が部屋にいるときはほとんど鍵をしていなかったのだ、というではありませんか!(アホか!

弟が住んでいたのは、将来を見込んで購入したファミリータイプの分譲マンションでオートロックだった為、まさか不審者が侵入するなどとは思ってなかった、というのです。(信じられません!アホや…)

そして、呑気にもその下半身スッポンポン男「部屋をお間違いではないですか?」と言ったら、急に男はダッと逃げて、玄関から出て行ったのだそう!そこで初めて、その男の着ていたシャツが自分のシャツで(キャ~!どういうこと~?!)そのシャツの胸ポケットに入っていたものが健康保険証だったと気が付き、とっさに自分のものだ!取り戻さねば!!と追いかけたのだそう。細身だけれど、身長180㎝近くありサッカーのゴールキーパーもしていた弟ですが、追いついたその男と取っ組み合いになり(…下半身スッポンポン男と取っ組み合い!…ビジュアルが凄すぎてドラマにもできんな!!と旦那…)そして、殴られたのだそうです。それは、しばらく目の周りにアザが残るほどで、殴られてはじめて相手の異常さというか恐怖を感じて、すぐに自分の部屋に戻り、警察に電話したようです。。。

すぐに警察が来て、数名の警察官が探しに出ると、マンションの踊り場で袋を持った男を発見し、逮捕に至りました。その袋からは弟の服がたくさん出てきたようで、証拠隠滅のために捨てようとしていたようです。そして、その日が初めての侵入ではなかったらしく(マジかー!?)以前から弟の寝ている夜中に何度も侵入し(だって、鍵かけてないんだもん!)服を持ち出していたらしいのですが(整理整頓が苦手でだらしのない)弟は自分の服が無くなっていたことに気付かなかったというのです。(保険証を持ち出していたくらいですから、お金も財布から抜かれていたかもしれませんが、それにも気づかなかったのでしょうね…弟が完全にアホなんですが…にしても、怖すぎる!夜中に鍵のかかっていない家を探し当て、家主がいるのに侵入を繰り返す方がずっと異常です!

もうここまで聞くと、笑い事ではなくなりゾッとして(そもそも弟が鍵をちゃんとかけていれば、こんなことにはならなかったのですが…)姉である私は、弟が服やその他物品を盗られるだけで済んで良かった!と、どう考えても普通じゃない人の行動ですから、ともかく命があって良かった!と思いました。。。

(姉というのは、大人になっても弟のことが心配なのです)

…しかし、その犯人は同じマンションの住人!だったらしく、刑期を終えると戻ってくるという不安を抱えたまま、その後弟は結婚し、奥さんと子供と一緒に、今でもそのマンションに住んでいるのです。。。

引っ越せばいいのにー!怖いー!!けど、さすがに玄関の鍵は、ダブルキーになっていましたが…)

こわい話(*_*;)

f:id:white-ivy:20200225142710p:plain い話の季節ですね。。。怖い話は苦手なのですが…久々にフリートークを ♪

以前の記事【黄斑前膜・File10】で、手術が怖いという気持ちをコントロールするのは難しいであろう(私は全く、あぁ緊張はすれど、怖いというのはありませんでした!)という話の流れで、私がとっても怖いのはクモとゴキ〇〇!と打ち明けましたが、もう一つ同じくらい心臓がバクバクするほど、とっても怖いもの(?)があります。

 お化けです。

はあ?!いい大人が何をおっしゃいますやら!と笑われそうですが、そうなのだから仕方ない。多くの人は、いい大人になったら怖くなくなるのかしら?私ももっと高齢になったら、怖くなくなるのかしら?私だって怖いものはないほうが良いのですから、そうなってほしいけど、それは、いったい何をキッカケにそうなれるの??そうなりたい!けど、どうすれば?努、努、努力で変われるの??

そういえば、数年前にガーデニングにハマっていた時、園芸店でパート勤めをしていて虫がよく出たのですが、クモだけは死骸でも初見ならば心臓がバクバク!生きているのも時々出たので、都度ドキドキしながらも耐性が徐々にできていき、怖い!けれど以前のように心臓が飛び出しそうなくらいの恐怖に陥ることはなくなっていきました。でも、そこを辞め、再びクモと縁遠い生活に戻った今、その恐怖心は振り出しに戻っていますが…。そういえば今年は、小さくて丸くて黒いピョンッと跳ねる例のクモも、幸いなことに見かけていません。(もしかして、日ごろの行いがいいのかしら?)

コンバットも年中欠かさず置いているので、その効果は抜群に、家の中でもう何年もゴ〇〇〇を見ていません。(道路を歩いているのにたまに遭遇しますが、それは見なかったことにして、避けて通れば済みますから…)この夏、職場でも新規オープンしたサテライトの搬入日に大きいのが出た!と聞き、即設置。効果を祈ること数日で、亡骸が発見されたようで、本当にコンバット様様!なことからすると、設置するだけで、ここまで効果を発揮するこちらに投資を続ける方がお手軽ですね!嗚呼、KINCHOさん、ありがとう! これからも、期待してます!!

恐らく、嫌われランキング堂々1位なんじゃないかと思われる、ゴ〇〇〇!でも、女性でも嫌だけど退治はできるという人もいて、これ、職場に出たからといって、うっかりキャーキャー大騒ぎしようものなら「これ(ゴ〇〇〇退治!)も仕事のうちです!」と先輩女性から反感を買うことになるだけでなく、そんなの契約内容に書いてないじゃ~ん!と心の中で叫ぶ私に殺虫剤を渡されることになりかねないので、出た時は、できるだけ静かに男性社員に助けを求めるようにしていますが「俺もダメなんだよね~」ということもままあるので、やはり、出る前に置く!そして切らさない!ことが私の鉄則です!!

 しかし、このゴ〇〇〇、男性でも逃げ回るしかできない人もいるからか、女性が退治してさっとティッシュで捨てようものなら「(この人)スゲー!」と(それは、苦手な人からするととても奇特な人であるのに)まるで女じゃない!かのような感じになるので、せっかく退治できる奇特な女性がいても、その発動が遅れ、騒ぎはなかなか収束せず恐怖の時間は長引くどころか、逃げられるようなことにでもなれば、(コンバットの効きに期待しながらも)またいつ何時に不意打ちをくらうかもしれないことになるのが、やっかいなのです。

私だって、他の虫、例えばコオロギやカナブンはかわいいと思うし、セミも風情があると思うし、息子が小さい頃はカブトムシを卵から育てたこともあるので、虫が全部だめなわけではないのです。でも、今、ふと、クモは昆虫じゃなかったはずだけど、ゴ〇〇〇って虫なの?と思い、検索をかけたら(絵なのか写真なのか分からないけど)その姿がいきなり出てきて悲鳴を上げながらシャットアウトすることになりました。。。その見た目も、やはり私には刺激が強すぎるのです。(あー、怖かった!まだドキドキしてる…)爬虫類や両生類は平気なんだけどなー。

 私の両親は、虫もお化けも(爬虫類も両生類も)ちっとも怖くないようで。。。

怖いものってあるのかなー?私が小さい頃から、ムカデは毒があるからいけん!とか言って、蛇にも蜂にもいつも果敢に向かっていっていた父に、今度聞いてみよう!…そういえば、前に熊が出るニュースを見て自分の行く山じゃないのにハイキングに行くのを止めたと母に聞いたことがあるなあ。実際に命を脅かすものは誰でも怖いけど、そういうのじゃなくて、私が挙げているような類のもので、何かあるのかなあ?家族でも意外と知らないことって、あるからなあ…。父は食べ物の好き嫌いもないのですが、私が子供の頃(私は大好きだった)サツマイモの天ぷらを残していて「甘くておいしいのに嫌いなほ?(ほ、は方言です)」と聞いたら、食糧難だった小さい頃にサツマイモばっかり食べさせられたけーあんまり好きじゃないほと言われ、子どもながらに、そうなんだ!こんなに甘くておいしいものでも食べすぎると好きじゃなくなるんだ!と思ったのを覚えています。

それもこれも時代の違いのせいなんだろうな、幼少期の環境の違いのせい、成長期に受けた情報量の違いのせいだと思います。子供の頃から虫や暗闇とともに生きてきた両親の時代と、化学が進み、虫の類が家の中に出たら、それは不法侵入として殺虫剤で処す時代に育った私。TVも普及しておらず、ラジオやお話で怖い話をたまに聞いてきたかもしれない両親の子ども時代と、TVや映画や本など夏になると大量にホラーが出回る時代に育った私、の違いだと思うのです。時代が私を軟弱に、そして要らぬ想像力を豊かにしたのだと。

しかし、私には霊感はなく、よって(?)一度もお化けに遭遇したこともなく、明らかに不可解な体験をしたことはないのですが…、実はうっすらとしたそれは一度だけありました。

それは、数年前の我が家でのこと。(もうー、なぜ我が家なのよー!!)旦那の実家に遊びに行ったとき、旦那と息子だけ泊まり、私は翌日の仕事を理由に帰るということがよくあるのですが、そのときも私1人で帰り夜寝ていたときのことです。そもそも3LDKという1人で過ごすには広いと感じるところに1人で寝ること自体が怖くていつもドキドキしているのですが、そのときは何かすぐそばで圧迫感のようなものを感じて眠りが浅くなったのですが、なんとなく朝になりそのまま忘れていました。が、後日旦那がその日に番組の録画予約をしたはずのものがなぜか奇妙にブツ切れになっていたのを、文句を言っていて、それがその日だったと知った時に私は一気にゾッとしたのです。ただの偶然かもしれませんが、霊は電化製品に影響を及ぼすとかいう、余計な知りたくなかった情報のせいで、私は恐怖に慄くことになったのです。(もう…かつて流行ったリングで、貞子がTVから出てきたのを観てしまったのをとっても後悔しています。それは今でもしつこく私を怖がらせるのですから…)

ですから、私は当然、ホラーものは極力見たり聞いたりしません。

しかし、旦那はホラーものが大好き!一度幽霊を見てみたい!!と、学生の頃に、出る!と名高い〇〇トンネルにわざわざ深夜に行ってみたりしたけど、いやしねえし!などと文句を言うほど。なので、ここも私にとっては頼もしきナイトであるはずなのですが…、ホラーの見過ぎか、時々ゾンビが夢に出てくるようで「…う~、ひ~」と唸っていることがあります。その声に目が覚めた私が「大丈夫だよ!」と腕に手を置いたら「ギャー!」と力いっぱいその腕でバシッとされ、痛いのなんのって…。その失敗以来、旦那が「…う~、ひ~」と唸り出したら、決して触ることなく「夢だよ!」と言うことに。これは効果覿面に一瞬で目覚めるようで、ハッとしてクルッと背を向け、再び静かに寝息をたて始めます。これは、数か月に1回くらいの頻度であり、ど~もいつまでも夢の中ではゾンビにビビッている様子からして、いざ現実に、非現実的な現象が起きた時、果たしてこのナイトは頼りになるのか?

…甚だ疑問ですが!

File20*黄斑前(上)膜・術後に発症した白内障の術後*焦点ズレ?!

*右眼・黄斑前(上)膜の手術後、1年9カ月(51才)で白内障手術をしたモノビジョン私の場合*-(黄斑前膜の術後*1年11カ月)

 f:id:white-ivy:20200225152424p:plain 早いもので白内障手術をして、1カ月半経ちました。術後検診の通院間隔は黄斑前膜の時と同じなのに、術後の経過が全く違うからか、時が経つのが早く感じます。 

検査結果からすると、翌日検診時と同じ数値の1.5D焦点66㎝)で落ち着いた模様です。術後3週間の時、一時的にー1.6D(焦点62㎝)という結果が出たのですが、その後の1カ月検診も、先日の1か月半検診もー1.5D(焦点66㎝)でした。

手術前眼内レンズの焦点を決めるのに、焦点40㎝(‐2.5D)か?50㎝(‐2D)か?と、あんなに(一人で)大騒ぎして散々迷い、焦点40㎝に決めた!のに。。。40でも50でもなく、40と50の間でもなく、焦点66㎝という結果になりました。  

 実は、レーシックと黄斑前膜の影響で焦点がズレる可能性が高いこと、プラスマイナス1Dの誤差は一定の確率で出るというのをネット情報で知り、それを計算に入れて焦点40㎝(‐2.5D)に決めていたのです。

つまり、ー3.5D(焦点28㎝)~ ー1.5D(焦点66㎝)は想定の範囲内でした。

ズレたとしても、できるだけ近距離に抑えたかったので、焦点40㎝を希望したのですが、実際のピントが(検査結果の数値上は)66㎝になったのです。

以下ネットのある眼科の先生の説明文の引用です ↓

レーシックをしていない眼でも1D近いズレが出ることがあります。-2.5Dを狙っても-1.5から-3.5D(約70センチから30センチ)は覚悟が必要だということですね。そもそも眼球は工業規格製品ではありませんし、構造的な個体差がどうしてもありますので、予測式でそれほどピンポイントに正確な結果を出せるわけではありません

 レーシックをしていなくても、とおっしゃってますね。焦点ズレについて結構検索したのですが、この程度のズレは眼鏡等で補正して見え方を調整するとよいとのこと。

焦点ズレの覚悟はできていたものの、先日の検診の時、鄭先生に「私は黄斑前膜の影響で黄斑部の凹みが足りない、つまり他の人より少し前に出ているから、その分焦点が少し先になったのですか?」と聞いてみたのです。その日は台風接近前で急に涼しくなったからか、朝からとても混んでいたようで、私が行った夕方の時間も混んでいて、鄭先生ヘロヘロのご様子ですぐに言葉が出ません。「…それは逆なら…いや…黄斑部の形はもう落ち着いていましたし…眼軸長はちゃんと測ってますから…、…誤差ですね」と。私が時々質問をすると、鄭先生は固まってしまったようになることがあります。(職場でも上司に、子供相談室のようなことを聞かないでくれ、とか、上司は何でも知っていると思わないでくれ、とか言われたことがありますが…)そして、更に「誤差が出るのは、眼の中がまん丸じゃないから?」と言ってしまい、鄭先生、その大きな瞳は瞬きするものの「…、…、…」もはや返す言葉は何も出ないのでした。。。(鄭先生、より疲れさせてしまい、ごめんなさい!)

でも、逆なら?って…、黄斑前膜と同時に白内障手術をしていたら、手術後に網膜・黄斑部が戻っていくので形が変わり、眼軸長も変わってくるから黄斑前膜だったせいでズレたといえるけど、ってことかな?こっちの方が、どの焦点に落ち着くかは、手術後の網膜の戻り方によるってことかー。。。ほほう!

そして、その眼軸長とは?調べると、眼の奥行、角膜(黒目)から網膜までの長さとあります。更に調べると、眼内レンズの度数を決める計算式にも入っています。手術前検査でレーシックをしていることも確かめられたので、それも計算に入っていたのでしょうが、私の眼の方に誤差が出る要因があったということだと思います。

以下、ズレる要因について分かりやすく書いてあるものを見つけたました! ↓

…どうして5%の方がズレてしまうのかというと、術前検査の正確な測定が出来ていなかった(瞬きが多すぎる、ドライアイ、顔が傾いていた等々)可能性もありますが、一番多いのが何等かの理由で不正乱視があったり、角膜の曲率(カーブ)が通常の症例よりもかなり大きい方、もしくは小さい方がズレやすいと言えます。つまり、予想式が平均的な眼球を想定して作成されているため、平均的ではない眼球の方は恩恵を被れない可能性が高くなるわけです。

更に、「平均的ではない眼球」と言えば、LASIKを始めとする屈折矯正手術後の方はその最たるものとなります。LASIK術後眼を通常の計算式を用いて眼内レンズを決めると、遠視方向にズレてしまうことは知られています。専門の計算式を用いても、どうしても通常の目に比べると成績が劣ってしまうことは否めません。

 私は…、乱視もあるし、元々は視力0.05前後の強度近視で、レーシックをしているし、黄斑前膜も…と、平均的ではない眼球要素のオンパレード!だからズレたのでしょう!!

さあ、その新たな右眼・焦点66㎝!

焦点30㎝は手に取った本を読む距離、40㎝はテーブル上の新聞を読む距離、50㎝はパソコンを見る距離、という大体の目安がありますが…では焦点66㎝は?

実際に生活してみるとどんな感じなのか?

測ってみると、身長165㎝の私が腕をいっぱいに伸ばしたその少し先です。

…何だかとっても中途半端な感じがしますが…、検診の時、鄭先生にこれを伝えたら「では、これから本を読むときは、こーして(鄭先生、手をいっぱいに伸ばす)読んでください!」とご冗談が返ってきたので、私も負けずに「…いえ、老眼鏡をかけます!…でも、それより近くも見えたりもするんですけど…」と言うと「では…あとは気合!ですね!!」「はい!(≧▽≦)!」

では具体的に、老眼&遠くは見える左眼と裸眼のまま両眼視すると、何が見えるのか?

立ち上がった状態で、ほぼプリントの字が読めます。

パソコンを使っている人の背後からでも、何となくパソコンの字が読めます。

ほぼ、何となく、というのは若干にじみがありピントバッチリではないということです。そのブレは、その距離の左右の視界が融像しきれていない、ということだと思います。

なので、パソコンを使うとき、裸眼でも何となく見えるけれど、長時間使うときは、今まで使っていた左眼のみ度の入ったこの老眼鏡をかける方がピントバッチリなので、それをかけています。(ブルーライトもカットするし!それ、疲れ方が全然違うし!!)机上の書類や手元で本を読むときも、この片方だけ度の入った老眼鏡とても良い塩梅なのです。

以前の記事にも書きましたが、黄斑前膜だった影響で物が大きく見える右眼の視界と老眼用レンズで物が大きく見える左眼の視界がほぼ同じ大きさに見えているようで(全く同じ大きさではありませんが)左右の視界が融像できる範囲なようで、2重に見えることがないのは勿論、とても見やすい!(だた、とーっても小さくて画数の多い字は、眼鏡をかけたまま虫眼鏡を使わないと見えませんが)なので、デスクワークではこれをかけています。

先日この老眼鏡を忘れて出勤したのですが、裸眼でもそんなに疲れることもなく何とか見えました。手術前(焦点が30㎝だったときに)老眼鏡を忘れた時は、書類やパソコンにいちいち近づかないと見えなかったのが、今は裸眼で書類を手に取っても机上に置いても何となく見えるのです。なので、料理をするときも袋や箱の裏に書いてある作り方や分量がほぼ見えるので、老眼鏡の必要はなく、手術前より見える範囲が広がった感じがします。(黄斑前膜の手術前や術後しばらくの頃は、料理本の分量も見えないし、包丁を使う手元も見えにくくて老眼鏡をかけていたのを思い出すと、随分と改善したなぁと思います)

出先でも、例えば、クレジットカードで買い物した時に、レシートを見せられて金額の確認とサインを求められても、裸眼でちゃんと見えるし書ける!(明るい店内で、レシートという白地に黒文字だとしっかり見える。暗いところで、色がついた紙とか色文字だと、途端に見えにくいけれど…)

でも、先日ママ友とランチしたときは、少し暗い店でしたが、何とかメニューが見えました!(やはり黄斑前膜の手術前後、自分よりずっと年上の人も見えているメニューが私には全く見えなくて、悲しくてひたすら不安だったのを思い出し、ここまで見えるようになったことに、本当に感謝だわ♡と、鄭先生に手を合わせるのです☆)

このように実際は66㎝よりも手前が結構見えているのです。これが、偽調節なのかもしれませんが、黄斑前膜だった影響で大きく見えることが偽調節を助けているのでは?と思うのです。だって、老眼の左眼だけで見ると字がとっても小さくてボケてて読めないものが、右眼だけで見るとグッと大きくなるので見やすい、両目だと若干にじむような感じですが、まあまあ読めるのです。

ただ、しっかり明るくないと途端にぼやけて見えにくくなるので、本を読むときは明るさがなければ、老眼鏡をかけます。

どのくらいで見えにくくなるかというと、電車の中で外の太陽の明かりが射すほど明るい窓側にいると本の字がしっかり見えるのに、車内のポールやつり革で少しでも影になるような中側だとたちまち見えにくいのです。キッチンは明るいから見えるけど、洗面所はあまり明るくないので見えにくい…。しかも立っていると灯かりに近いのでギリギリ見えている物もしゃがむとその分(1mちょっと?)灯かりから離れてしまい見えにくいという具合に、ちょっとした明るさの差に大きく左右されます。

中~遠距離は、今まで通り左眼で見ていますからモノビジョンは成立しています。光るものやシンプルなものが2つに見えるのも変わりませんが、全体の風景(外)としては白内障の時にところどころにあった霞が無くなった分の違和感が減り、以前よりはスッキリ見えるようになりました。複雑な画像全体は2重にできないのに、空との境目などは少しブレて2重に見えます。脳が何とか融像しようとしているんだろうけど…そこ、頑張らなくていいから!という私の意思は脳には届かないようで、脳の画像処理能力って面白いなあと思います。

でもこれが!新たに運命られた(?)私のこれからの視界なのですから、工夫しながら大事に大事に付き合っていきたいと思います☆彡

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)

File19*黄斑前(上)膜・術後に発症した白内障の術後*半分、白い!…だけじゃない☆パート2

*右眼・黄斑前(上)膜の手術後、1年9カ月(51才)で白内障手術をしたモノビジョン私の場合*-(黄斑前膜の術後*1年11カ月)

 f:id:white-ivy:20200225152424p:plain 関東は、ひと頃より気温が若干下がったものの湿度は上がり、今度はこの湿度に体力を奪われてか、暑さにより蓄積した疲れが若干の気温の下がりで気が緩んだのか、先日ついにダウンしてしまいました。前夜、息子の19才の誕生日だったので、シャブシャブにケーキを食べたのが原因でしょう。…朝起きると、空腹なはずなのに胃が張っている(もたれているのとは少し違う)のです。触ると、胃がぷっくりしている。夏になると胃が弱りよくこうなります。

少し前から前兆はあり、結構苦しいので、それが嫌で、シャブシャブは3枚に、ケーキも小さいの(それは美しくそびえたった爽やかなイチジクのタルト)だったのに…、ダメでした。朝食にいつものオイルインした野菜ジュースとカフェオレ、そして前夜の残りの小さな焼きチーズケーキの半分、…半分ですから、薄くてほんの少しだったのに!食後に胃薬も飲んだのに!途端に気持ち悪くなり…、心の中で手がバッテンを作り、頭の中は白旗を上げ、本日の出勤は無理ー!電車で立ち続けていられないー!となりました。(いつもの時間に起きて、洗濯機も回し、お弁当も作っていたのに!)

会社に休みの連絡を入れると、昨日から疲れているように見えた、と言われました。確かに、疲れが溜まってきているという自覚はありました。通勤時間が、電車と徒歩で片道1時間くらいかかり、日ごろ特別に運動をしていないので、駅などではなるべく階段を使うようにしている(そう!駅の階段は、私にとって毎日通えるスポーツジムなの ♪ )ですが、その足も日に日に重くなるのを感じていました…。暑い時は体力温存のために無理に階段を使わない方がいいのか?それとも、動かないと逆に体力が落ちるのでは?と、果たしてどっちなの?と迷いながらも、頑張り屋の性分が、暑さで疲れている身体にムチを打つように、足は自然と階段に向かうのです。これは、今でもどちらが良いのか分かりませんが。

そして、食事は気を付けられますが、睡眠は早く床についても、エアコンとの相性が悪いのか、連日熟睡できていませんでした。エアコンが古いんだな…。だって、ここに越してきてからだから…もう19年!ひゃーっ!!どおりで風の質が悪いというか、雑というか…。それなりに掃除はしているけれど…、息子と同い年だけど、エアコンにしてはもうかなりのご老体ということね…。2年前に買ったエアコン(プラズマークラスター☆)が付いている息子の部屋に入ると、まるで空気が違うのを体感します。プラズマークラスターは本当に空気が違う!と、職場の人の強い薦めで買ってみたのですが、確かに職場についている他社のエアコンと比べても、違うのが分かります。なので、買い替えたいのですが、壊れていないのに買い替えることを良しとしない旦那に反対されて、なかなか実現しないのです。(チクショー!!)でも、もし、今壊れたら、新しいのを買っても即日取り付けてはもらえないでしょうから…、そうなったら、数日の間、地獄です!そうなったら、リビングに寝るしかないな…。リビングでちゃんと眠れるかなあー?…私だって、壊れていないのに買い替えることは基本的にはしません。だから、今でもガラケー使ってるんじゃない!…おや?旦那は壊れていないガラケースマホに買い替えてた!!お!?それを引き合いに再交渉の余地ありだわ!!

さて戻り、ダウンしたその日は珍しく朝から涼しかったので、窓から入る風だけでそのまま昼過ぎまでグッスリ眠れて、一気にスッキリ回復できました!

ここでも、やはり、睡眠大事!と睡眠の神様に手を合わせるのでした。。。

ではそろそろ本題に。

白内障の術後、2週間目に入ると、いろいろと気が付くことが出てきました!術後翌日にガーゼを取ったときの感想は、左眼と比べたその明るさに半分、白い!でしたが、2週間目に入り、だけじゃない!ことにいろいろと気が付いたのです!

とにかく術後1週間常に保護メガネをかけて、眼をぶつけたり、眼に汗や水が入らないように、特別に気を付けて過ごさなくてはならなかったのですが、手術の予想外の延期により、手術の翌々日から(決っして勧めませんが)5日連続出勤した私は、出勤時に、さすがに医院で買ったあのパーフェクトボディの保護メガネをかけるのはためらわれ(シャワーと就寝時はかけましたけど)度のないPC用メガネを持っていたので、仕事へはそれをかけて行きました。普段眼鏡をかけている人は、ご自分の眼鏡をかけないと見えなくて困るでしょうから、私も普通のメガネをかけても大丈夫だろうと思ったのです。でも私のかけたのは、PC用メガネ、つまりブルーライトカットが入っている視界が若干褐色に暗くなるものだったので、術後1週間は気が付かなかったのですが、2週目に入り裸眼で過ごすようになると、あらゆることに気が付き始めました!(え?早く言え??)

まず、一番嬉しかったのは、愛用している(住宅販売の仕事の方は腕時計が必須なので)そのお気に入りの腕時計の文字盤の淡~い桜貝色がとてもキレイに見えたこと!

検診に向かう時、電車から見えた横浜の海側に広がる淡い空の色その上に太~い平筆で波を描いたような雲がキレイだったこと!

手術前は、夏本番前なのに早くもいつのまに日焼けしたのか?と思っていた、褐色に見えていた自分の手の甲や腕が、色白に!それに血色良く若干ピンクに見えること!

これは、衝撃的でした!!レンズのメーカーさんの説明だと、20才の時の水晶体と同じ色ということなので、19才の息子に聞くと「十分白いよ!」と言われました ♪

…でもこれ、手術した右眼だけで見るとピンクがかった白に見えるのに、年相応に経年劣化しているであろう左眼だけで見ると(術前の右眼ほどではないけれど)明らかに褐色なのです!!両目で見るとその間です。ということは、息子(若い人)からは色白に見られるのに、旦那や鄭先生(同い年)からは(個人差はあるだろうけど、きっと)若干褐色に見えている…。年上の人でも白内障手術をしていない人からは褐色に見られる…って、いったい誰の見え方を基準にして本当の色というのか?!と、考えてしまいました。。。

(水晶体の色や、白内障の手術については、大高先生の比較的新しいネット記事いしゃまちに詳しく!楽しく ♪ 書いてあったので、こちらをどうぞ ↓ )

 大高 功 | いしゃまち

そして、お化粧!私はずっと前から確かに極薄化粧なのですが、手術前の数か月でどんどん顔色が悪く見えていくのが気になっていたのです。手の甲や腕の色もどんどん褐色に見えていくのもあって、50才を過ぎるとこんなに一気に老けるのか?!と実はとても悲しくなっていたのですが、それは、白内障の急激な進行によって水晶体がどんどん褐色になり、何を見てもくすんで見えていたからだったのです。

改めて、核白内障について分かりやすい説明の記事を見つけたので、以下に ↓

白内障
白内障の中で、もっとも早く手術を受けなければならない核白内障は、水晶体中央部の核から濁りが広がります。核はもともと硬いのですが、濁るとますます硬くなり、手術が難しくなってしまいます。核白内障は、放置すると合併症のリスクが高まるだけでなく、手術しても視力回復に支障が出る可能性があります。そのような事態にならないためには、早期発見・早期手術が必要です。
自覚症状として気をつけるポイントは、色彩感覚の変化です。核は硬くなると同時に黄色味を帯びるようになり、やがて褐色になります。常に濁ったレンズを通して物を見ることになるので、何を見てもくすんだ色に見えるようになります。
また、核が硬く大きくなってくると、光の屈折率が変化し、一時的に近視のような状態になるため、メガネやコンタクトレンズの度数を変える方も多いのですが、老眼が改善されたと勘違いして、白内障であることに気がつくのが遅れてしまうケースもあります。
色の見え方やメガネやコンタクトレンズの度数などに変化が生じたら、核白内障を疑って眼科を受診してください。

ちょうど1年前、黄斑前膜の術後10カ月頃、徐々に近くが見やすくなってきて近視のような状態になり(それで、左眼で遠くを右眼で近くを見るというモノビジョン状態になったのですが)術後に淡い色がキレ~に見えるようになった今、 この記事を改めて読むと、もうその通ーり!!です。

 ただ、水晶体の濁り方には大きく分けて他に2種類あるそうなので、参考までに ↓

後嚢下(こうのうか)白内障
水晶体の後ろ側から濁ってくる後嚢下(こうのうか)白内障は、発症割合はそれほど高くないのですが、一度発症すると重篤化しやすい白内障で、短期間で急激に視力が低下することがあり、放置しておくと、最悪の場合、失明の危険があります。
自覚的な症状の特徴として、水晶体の中央部から濁り始めるため、早い段階で光の通り方に影響が現れ、強い眩しさを感じます。急激な視力低下や光を敏感に感じるなどの変化を感じたら、早めに眼科を受診してください。
後嚢下白内障は、加齢白内障だけでなく、アトピー白内障でも発症します。一旦発症すると急速に悪化するため、早急な治療が必要になります。

 

皮質白内障
水晶体の外側の皮質という部分から濁る皮質白内障は、加齢白内障の中で最も多いタイプ白内障です。核白内障や後嚢下白内障に比べると、発症した時点での手術の緊急性は高くないのですが、その進行の遅さが災いすることがあります。
濁りが水晶体の中央に広がるまで視力に影響がないため、何年も症状に気づかないことがあります。しかし、濁りが水晶体の中央、つまり核の部分まで広がってくると、急に光に敏感になり、眩しさを強く感じるようになるという自覚症状も出てきます。
進行が遅い白内障とは言え、早期に手術を決断した方が治療もスムーズです。

 他にも、術前にトイレや浴室の灯かりがどんどん暗くなっていくように感じていたのが、今はハッキリと明るいのです!(トイレや浴室といった狭い空間の方が明暗の違いを感じやすい)LEDだから、時間の経過とともに暗くなったりしないはずなのに…、不良品かな?と思っていたのが、まさか己の水晶体がそれだけ濁ってきていたからだったなんて、本当にビックリしました!!

まだまだあるのですが、それはまた次回に ♪

 

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)

File18*黄斑前(上)膜・術後に発症した白内障の術後*半分、白い!…だけじゃない☆

-*右眼・黄斑前(上)膜の手術後、1年9カ月(51才)で白内障手術をしたモノビジョン私の場合*-(黄斑前膜の術後*1年10カ月)

 f:id:white-ivy:20200225152424p:plain 急車のピーポー…という音を聞かない日がないほど記録的な連日の猛暑!に、いくら責任がほぼ皆無な仕事の私でも、連日出勤し、日常生活を送るだけで体力を奪われる。。それでも毎週ちゃんと検診には行っている ♪ 優等生な患者の私ですが…、そうして仕事は休みだけど通院に出かけるだけでまた疲れるこの暑さ…暑さには強い私も今年は参ってしまいそう。。

でも!食べることと寝ることだけはちゃんとしないと、身体も頭もおかしくなってしまう!と気を付けていても、先日、私は朝食はパン派で、それに野菜ジュース(伊藤園充実野菜が好き ♪)とカフェオレ(牛乳にブレンディのインスタント粉を入れたもの…何といってもブレンディは溶けが良い ♪ )を飲むのですが、日に日に朝から暑くて、冷房の効いた寝室を出て、夜中窓を開けっぱなしだったリビングの室内温度計がついに31度!…という日、頭がボーッとして、野菜ジュースにはいつも(緑黄色野菜の吸収を良くするために)少しだけオリーブオイルやココナッツオイルを入れるのですが、牛乳に入れるはずのブレンディを野菜ジュースに入れてしまい、コーヒー味の野菜ジュースを飲む、という苦~いことに。。というわけで、頭の回転も鈍く、ブログの更新は後手後手。。。でも、そろそろ…続きを

さて、翌日検診の日の、大学から帰ってきた息子が、ガーゼが取れた私の右眼をじっと覗き込みます。「今回も麻酔注射を打ったから、その時の出血のせいで赤いのよ」と私が言うと、健常な左眼と手術した右眼を交互に見ながら「全然、本物みたいだね…」と息子。はぁ?とよく聞けば、白内障の手術とは駄目になった水晶体を人工の眼内レンズに入れ替えるんだよと教えていたのを、義眼になるんだと思っていたらしく…私は笑ってしまいました!それを聞いていた旦那が、すかさず「人造人間だ!」と口を挟みます。クレイジージャーニーという番組で、以前、皮膚の下にチップなどを埋め込むのが海外のどこかで流行っているという放送をしていたのをスゲー!と興味深げに観ながら、そういうことに全く興味のないお風呂上りの私に言っていた、アレね…と私は眉間にしわを寄せます。。。全く、この家には、昔のホームドラマのような気恥ずかしくなるくらいの労わりの言葉の掛け合いというものは、ないようです…(-"-)

その日は保護メガネをかけてシャワーを済ませ、髪は濡れタオルでガシガシ地肌を拭いて、ドライヤーでさっぱりさせてから、また保護メガネをかけて、寝ます。(翌朝、眼の赤みが引いていたら出勤するつもりなので、ほお骨辺りに跡が付かないようガーゼを貼って、その上から保護メガネをかけました。)…(再度)これは美活ブログではありませんが、わたくし、洗髪も数年前からいわゆるシャンプーやリンスは使っておらず、オリーブオイルの石鹸(サボン・ド・マルセイユ、夏場はオリプレがオススメ ♪ )で洗い、リンスの代わりに薄めたクエン酸を使っているので、地肌に余計なものが付かない分べたつきも少ないので、2日に一度の洗髪で何とか乗り切ました。(ただ石鹸洗髪はコツがいるので、専用サイトを参考にしてください)脱衣所に仰向けになって頭だけ浴室に出し、眼にお湯が入らないよう気を付けて(器用な旦那ではなく)不器用だけど素直な息子に洗ってもらいました。

翌朝(やはり保護メガネのせいか、眠りは浅かったのですが)起きて右眼を見てみると、このくらいなら出勤できる!というくらい、白目の赤みが前日より随分引いています。

黄斑前膜の術後の時はもっと真っ赤で、完全に赤みが引くまで10日はかかったので…その違いを実感します。黄斑前膜の手術は網膜硝子体手術で、大高先生の手術の説明文に、白内障手術に代表される眼科の他の手術とは根本的にレベルが違う手術、おなかの大手術などに似ていると考えてください、と書かれていた通り、手術前にも手術の翌日にも(今回は打っていない)抗生物質の点滴を打ったし、白目を縫っていたのもあり、今回よりは腫れているような重いような感覚がありました。

今回はそういう重さはありませんが、時折、眼の中の筋肉がヒクヒクするような、眼内レンズがプルプルするような感覚があります。水晶体を操っていた毛様体筋が眼内レンズと格闘しているのかな?と思いました。(だって、今まであったはずの水晶体とは全然!形も、厚さも、違うものがものの15分程度で入れ替わっているんですから!!毛様体筋はさぞかしびっくりしていると思うのです。。)

そして肝心の見え方です。術後すぐは希望した焦点40㎝の距離辺りはぼやけていましたが、術後5日目くらいから…何だか見える!ようになってきたのです!!裸眼・両目で、カレー箱の裏に書いてある分量や作り方が、手に取っても、台に置いても見えるのです!(手術前は、手に取って近づけないと見えなかった)

見える ♪ 見える ♪ と、術後1週間検診に行きました。しかし、検査の結果は手術翌日の数値ー1.5D(焦点66㎝)と変わりません。「でも…術後5日目くらいからもっと近くが見えるようになってきたんですけど…?」と言うと、「それは、偽調節でしょうね!」と、鄭先生にまた新たなワードを頂きました!早速、調べるとこのようにありました

眼内レンズは水晶体と違い、眼内レンズの厚みは変化しませんので、白内障手術後、本来の「調節力」は失われます。しかし、毛様体の筋肉が収縮・弛緩することにより眼内レンズの位置が微細に変化することなどにより、60歳以降の方と同程度の「調節力」を得ることができ、偽調節と呼んでいます。

 

単焦点眼内レンズを入れた場合でも、なかには眼鏡なしで遠くも近くも見えるようになる方がおられます。「偽調節」という状態で、その方の瞳孔の大きさや乱視等の条件がそろえば起こることがある程度分かってきていますが、術後偽調節となれるかどうか術前には分からず、またごく一部の方に限られ、たいていの方は眼鏡なしで見える距離は一か所に限られます。

 そうなんだ!そんな可能性があったんだ ☆彡

と私は、保護メガネ及び洗髪の解禁とともに、大喜びの術後2週目に入ったのでした

(あら?!タイトルの半分、白い!だけじゃない☆…の内容まで行けませんでしたね。それは、次回パート2で…)

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)

File17*黄斑前(上)膜・術後に発症した白内障の術後*半分、白い!

-*右眼・黄斑前(上)膜の手術後、1年9カ月(51才)で白内障手術をしたモノビジョン私の場合*-

 f:id:white-ivy:20200225152424p:plain 内障手術の翌朝、というか未明、外はまだ暗かったのですが…トイレに起きると何となく感覚が変なのです。家庭にはないような太っといテープでガッチリ貼ってあったはずのガーゼがない!暗い中あわてて周りを見ると…白いガーゼは枕のそばに落ちていて、驚きました!!…その横で、私の術後よりもサッカーのワールドカップで頭の中はいっぱい!連日夜更かししている旦那が静かに眠っています。(コヤツ、口は悪いが、寝相だけはいいのです)私も前夜は処方された睡眠薬のお陰でぐっすりだったので、何も覚えてません。

「このガーゼは翌日の診察まで取らないで下さい!」と言われていたので、キヤ~ッ!と半泣きな気持ちで、とにかく一刻も早くガーゼを元通りにしなくては!!とトイレは後回しにして、洗面所に行き鏡を見ながらテープを追加してしっかり貼り付けました。…その間、勿論、右眼は開けていません!コワくて開けられません!!もう必死で右眼をつむっていました!!!そしてその後、トイレを済ませ、右眼がとりあえず感覚的に何ともないのに少し安心して、再び眠りにつきました。

7時過ぎ、旦那のスマホの目覚ましの音楽で目が覚めました。…今度はガーゼはちゃんと付いています。右眼は痛くもカユくもありません。大丈夫そうです。…でも、どーして取れちゃったんだろ?不思議です。。

翌日検診、午前の受付までに来るように言われていました。しかし、片眼ガーゼのまま通勤で混んでいる時間に電車に乗りたくないし、半端な時間に行っても結構待つしなー。天気も良かったので、2回洗濯機を回しシーツなども洗ってゆっくり家を出ました。昨日の帰り道に続き、すっかりモノビジョンの私は完全に片眼でもほぼ普通に歩けます。私、この先、片眼しか見えなくなってもやっていけるじゃん!と何だか自分が頼もしくなります ♪ 医院に着いたのは12時過ぎ。午前の受付は12時半までなので、さすがに人はまばらでした。受付を済ませ、長椅子に座ろうとしたら、なんと!昨日お話した年配のご婦人が座ってらっしゃるではありませんか!!(また会えた ♪ )ガーゼはすでに取れていて、保護メガネをかけていらっしゃいます。隣に座っているご主人とおぼしき男性とお話されていたので、私はにっこり「こんにちは」と挨拶だけして空いているところに座りましたが、すぐに検査に呼ばれました。検査室で検査士さんにガーゼを剥がされ、周りをきれいに拭いてもらいます。そこで、初めてそっと目を開けました。

1日ぶりに右眼に明るさが戻ってきました。勿論、見えます!…しかし、いくつかの検査をしている途中で、希望していた焦点40cmよりも若干遠くにピントが合っているように感じます…。検査が終わり診察を待つ間に、トイレの鏡で右眼を見てみると…白目が赤い!…アレ?確か、アプリコットさんが黄斑前膜じゃない方の眼の白内障手術をしたとき、黄斑前膜の時と違って術後は眼がきれいだったと書いてらしたはず!!昨日、沢山泣いたから?寝てるときに、ガーゼが取れちゃったから?と、少し不安になり、だけど検査士さんには何も言われなかったし…あ!この目で明日から仕事に行けるかな~?と明日からの予定を考えます。急な手術の延期でしたから、仕事の休みが変えられず、術後翌々日から5連続出勤でした。でもそこは、時給に似合った責任の薄~い、どころか、ほぼ責任などないような仕事ですから、いざとなれば堂々と病欠すればよいのです。急に休んでも、特に迷惑がかかることがない、という気楽なところが今の仕事のよいところなのです。だから、(私としては最長の)7年も(?)続いているのです。

そして鏡を見ながら保護メガネをかけ、待合室に戻り、長椅子に座って診察を待っていると、昨日お話したご婦人がいらして、また少しお話することができました。その方の白目は赤くありません。どちらの眼を手術したのかわからないくらいです。やはり何か違うのだわ…と思いながらも、2人で共通した感想は手術した方の視界が明るい!そして、手術はやはり、しっかり手術でしたよね!と。その方は、手術中に「眼を閉じないで下さい」と言われたようで、次週の黄斑前膜の手術はもっと大変かしら?ガスを入れることにならないといいんだけど…と心配されていました。そんなことをいくらも話さないうちに、その方は会計に、私は診察に呼ばれたので「黄斑前膜の手術、頑張って下さい!」とお別れしました。

診察室に入り、鄭先生に昨日の手術のお礼を申し上げるとすぐに「白目が赤いんですけど?」と言います。鄭先生はこともなげに「通常は目薬の麻酔だけなんですけど、硝子体手術をした人は痛みを感じやすいんでねぇ、麻酔の注射を打ったんですよぉ。右上のところに。それで、出血してるんです」と。え?今回も白目に麻酔注射打たれたんだ…全然分からなかった!黄斑前膜の時は、恐怖心が湧くほどグッと押されるような衝撃があったのに…。あの時は初めて白目に穴が開いたから、あんなにグウッと押されるように感じたのかなあ?それとも注射の種類が違うのかなあ?などと思いながら、診察を終えると鄭先生はカルテを見ながら「モノビジョンでいくにしては…若干近視が弱いですかねー。60~70㎝にピントが合ってますねえ。2.5D狙い(焦点40㎝)にしたんですけどねえ…」とおっしゃり、レーシックもしているし黄斑前膜も影響して焦点ズレするかもしれないことは覚悟していたけれど、やはり少しガッカリします…。でも、その気持ちを振り払うように、これを潔く受け入れなくては!と私は笑顔で「大丈夫です!文句言いませんから…」と言いました。すると、スタッフさんが笑い、鄭先生も柔らかい京都弁のイントネーションで「文句言われても、どうしよ~もないんですけどね~。まあ、まだ変わりますから!」とおっしゃい ました。そこで単純な私は、すぐさま、まだ変わるの?!そうか、変わるかもしれないのか!?とたちまち良い暗示にかかったのでした☆彡

そして、翌日か週末に来られるかと聞かれたのですが、来週ではだめですか?とお願いしたら、何事もなければ来週でもよいということになりました。

帰りの電車で、ふと昨日と違う自分になっているような気がしました。昨日は電車の中でも悲しくて涙が止まらなかったのに、今はもう悲しくありません。そして、突然に詩人金子みすゞの「大漁」が浮かんできて、昨日の私の悲しい涙は、水晶体への弔いの涙だったのだと気が付きました。もしかしたら、まだ頑張っていたかもしれない水晶体を私の意思がさっさと見切ってしまったのではないかと、長年頑張ってくれた水晶体に申し訳ないような気持ちになったのだと分かりました。しかしガーゼが外れ、眼内レンズの入った新たな右眼の視界が開けたことで、喪が明けたのです。

(後日この気持ちを鄭先生にお伝えしたら、「弔われた水晶体は超音波で砕かれて吸いとられて見事成仏しているので、ご安心ください。」とお返事頂きました^^)

ですから、無事に成仏した水晶体のためにも、私は、焦点ズレも含め自分で決めた新しい視界をしっかりと受け入れなくてはならないのです。

大漁       -金子みすゞ

 

朝焼け小焼だ、 大漁だ
大羽鰮(おおばいわし)の 大漁だ。

浜は祭りの ようだけど、

海のなかでは 何万の、
鰮(いわし)のとむらい するだろう。

 さあ、気持ちが新たっまたところで、術後1週間は眼に水や汗が入ることは厳禁なので、顔は拭くだけ(これは平気 ♪ ) 髪は他の人に洗ってもらいます(これは大変!)お風呂も寝るときも保護メガネを1週間はつけて、3種類の目薬を1日4回(こちらは数か月)点します。

…にしても半分、白い!右眼だけで見ると、白いものが純白に!

そして、今までなんでこんなに薄いんだろう?と思っていた、このはてなブログの字やoutlookのメールの字が、濃く見える!!字が薄く見えるのは、システムの設定のせいだと思っていました…。なんで、こんな薄ぼんやりしたグレーなんだろ?…と。何のことはない、己の水晶体の濁りのせいだったのです!それは、もう、びっくりです!!

…そして、比較されて初めて分かった、半分、セピア!

という左眼の視界の衝撃の事実!!…この続きはまた次回。。。

追記:前回の黄斑前膜の手術の時は、余分に張り付いた憎っくき膜を取ってもらった喜びでいっぱいだったのに、今回の白内障の手術では終了直後から悲しみが押し寄せてきて…同じ眼の手術でも術後の感情がこんなに違ったことに、自分でも驚いてしまいました!

感情に身体が反応して涙が出た…そのずっと後に頭で理由が分かる。涙は止めようとしても、止められない。そこに私の意思はない。意思によって生きているつもりでいるけれど、意思は、私のごく一部なのだと思い知らされる。私は、私が思っているよりもずっと複雑なのだと。面白いなぁ…と、思う。

 

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)

File16*右眼●ー*黄斑前(上)膜の術後*白内障手術。。。

ー*黄斑前(上)膜手術当時49才だった為、白内障手術を同時にしなかった私の場合*-(黄斑前膜の術後*1年10カ月)

 f:id:white-ivy:20200225152424p:plain 先週、関東が観測史上最短で梅雨明けしたという、いきなりの猛暑日となった6月25日、右眼の白内障手術をしました。

1年9カ月前にした黄斑前膜の手術後、高い確率で発症すると言われている合併症の核白内障の手術です。(白内障にはいくつか種類がありますが、手術は同じで、駄目になってしまった水晶体を人工レンズに入れ替えるという水晶体再建手術です。)

術後1週間はパソコンを控えた方が良いということでしたので、自宅のパソコンは封印しておりました。(しかし、思わぬ手術の延期でスケジュールの調整がつかず、術後3日目から昨日まで5日間連続勤務で、職場のパソコンは使わざるを得ませんでしたが…。)

そう、本当は先週手術の予定でした。思わぬ事態で延期となり、先週は術後検診の為に多めに仕事の休みを取っていたので、Wワークしていて普段は休みの少ない私に突然ゆっくりできる時間が出来ました。すると、何だか急に気持ちが乗ってきて、ずっと汚れが気になっていたキッチンの床シートを張り替えたり、奥の棚の改造をしたりと、普段はできない家の中の整理整頓に身が入りました!

家の中がスッキリすると、心もスッキリします☆

立つ鳥跡を濁さず。身の回りを綺麗にして、再度手術に臨みたい…。

お陰様で心の準備も十分に、余裕を持って手術の日を迎えることができました。

手術当日の朝、旦那には延期になったことも勿論伝えてありましたが、朝に弱い旦那は普段通り自分の出勤支度にバタバタ。私が「今日、手術なの」というと「あ、そ」と予想通りにコヤツらしい返事。「頑張って!とか、何とかないの?!」と言うと、「頑張るのは医者だろ。おまえは麻酔かけられて転がってるだけだろ。」と相変わらずの淡冷辛口ぶりに「麻酔ったって、部分麻酔なんだから!キョロキョロしないように、じっとしてるの結構大変なんだよ!」と言うと、チロッとこっちを見て「…じゃあ今日無理して晩飯作んなくていいよ。弁当買ってきてやろうか?」とようやくコヤツの(これで目一杯の!)気遣いの言葉を聞ければ、私の心はよし!となり、「いいよ、片眼でもご飯は作れるよ。予め下準備してるし」と言うと、再びチロッとこっちを見て「あ、そ」と出勤していきました。(…何も言わなかったら、きっと帰って来るなり片眼ガーゼ貼ってる私を見て「あれ?今日だったの?」で終ってたんだろうな…。ま、別にいーんですけどね。)

手術は14:20~でした。3時間前には来るよう言われていたけれど、少し遅れて到着。先週9時に来た時ほどの混雑ではありません。それでも、最初は廊下の丸椅子に座っていましたが、少しして中の長椅子が空いたので移動すると、隣に座っている年配のご婦人も定期的に私に続いて目薬を点されています。聞けば、偶然にも私の次の14:40~白内障の手術でした。そして、やはり先週の手術を延期した方でした。今日の術後の経過が良ければ来週反対の眼の黄斑前膜の手術をする予定と聞き、私も1年9カ月前に黄斑前膜の手術をしたことを伝えました。その方は「私としては、黄斑前膜の方=悪い方の眼を先に手術してほしい気がするんだけど、先生は反対の眼の白内障の手術を先にした方がいいって言うのでね…」とおっしゃいます。黄斑前膜の術後は見え方が安定するまで時間がかかるのを身を持って知っている私は、なるほど!と思いました。両眼ともそれなりに白内障がある人は、先に黄斑前膜でない方の眼の白内障手術をしてしっかり見えるようにしてから、もう片方の黄斑前膜の手術をするのかー、と。アプリコットさんは、黄斑前膜の方の眼を先に手術されましたから、この方ほど反対の眼の白内障が進んでいなかった、ということなのでしょう。そうか、白内障の進行具合によってどちらを先にした方が良いか、判断が分かれるんだーと妙に感心していると、「あなた、花粉症はある?」と聞かれました。国民病と言われる花粉症がないのが自慢な私は「いいえ!」と答えました。すると「私は花粉症が酷くて目を擦ってしまうから、そのせいで歪んで見えるようになったのかと思ったのよ~」とかわいいことをおっしゃり、そのまま黄斑前膜の事をそうこうお話している間に手術30分前になり、スタッフさんにトイレを済ますよう言われました。

(先週11:20~の手術の予定だったときは2時間前の9時に来るよう言われていて、今回は3時間前だったので、お昼ご飯の時間込みかな?と思っていましたが、そんなものはなく、ひたすら定期的に目薬を点されていました…)

トイレから戻ると、手術用のキャップを被せられました。少ししてスタッフさんのシーバーから「次の方お願いします」と聞こえてきて、ほぼ時間通りに手術室へ移動しました。手術室に入ったら、衛生を保つ為、先生への挨拶は不要ですから声を出さないように言われていた通り、黙って静かに足元に鞄を置き、やや厚手のタオルハンカチだけを手に握り、椅子に座りました。

そこからはもう…目の周りから中からワシャワシャと掛けられたり拭かれたりで、ガッツリ消毒され、1年9カ月前にも同じようにされたはずなのに忘れてるなーと思いながら、鄭先生の(当たり前なのでしょうが)診察の時とは違う張り詰めたような空気を感じ、しかし声はとても穏やかでゆっくりしているのに、動作はテキパキしている(ように感じる…だって、ワシャワシャしていて手つきまで見えない)そんなことに圧倒されていると、右眼に透明なシートを張られたり、部分的に剥がされたりしているうちに、全体にカバーがされて、右眼だけが出ている状態になりました。嗚呼…いよいよ始まる…と思った途端、カバーで隠れている左眼からなぜか涙が出ました。

そして「上…、右…、…左下」と見る方向を支持された後、しばらくして「3つの光の真ん中辺りを見てください」と言われます。光は上に横並びに2つ、その真ん中の下に1つあり、逆三角形のような配置になっています。「え?真ん中の光?」と思った私は、前にYouTube大高先生の白内障の手術の映像を見た時に「眼をキョロキョロされるのが一番困る」と言われていたのを思い出しながら、懸命に真ん中の下にある光を見つめます!…しかし、この光、何だか結構揺れる…。それでも、必死で見つめていると、私が見ていた真ん中の下にあった光だけが、突然消えて無くなってしまったのです!…あ!目印が消えた…と思ったら、気付きました。もしかして、3つの光で囲まれた真ん中辺りを見るように言われたんじゃないの?ヤダー!今まで少し下を見てたけど大丈夫かなー?!と思っていると、そのうち暗くなり…また明るくなったかと思ったら…終わったようで、しっかり貼り付けてあったシートをバリッと剥がされ、ガーゼを貼られました。このガーゼは、翌日の診察まで付けたままです。

他の人の体験談に、このシートを剥がされる時が一番痛かった!と書いてありましたが、私は前回の黄斑前膜の手術時も今回も全く痛くありません。それはきっと、肌バリアがしっかり保たれているからだろう、と密かに自負しているのですが…。

これは美活ブログではありませんが、少々お話しますと、かれこれ5年前になりましょうか。友人から、肌断食なる本を勧められ納得した私は、化粧水・乳液・美容液といったいわゆる基礎化粧品といわれるものを断ち、メイクも、ぬるま湯洗顔のみで落ちる極薄メイクしかしない生活に切り替えたのです。今までしていた、しっかり基礎化粧品やメイクを塗って→洗顔料でガッツリ落として→メイクと一緒に落ちたであろう水分・油分をまた基礎化粧品で補うべく塗って…の繰り返しを止めたのです。すると、それは私に合っていたようで、今までよりも肌がふっくらと厚くなってきたのです。つまり、この厚さこそが、いわゆる肌バリアではないかと思っております。

さて戻り、手術は無事終了し、時間にしてトータルで15分位だったでしょうか、腕時計をしていたのに全く見ていませんでした。怖さや不安は全く無くても、キョロキョロしないようにする!だけで、肩にずっと力が入っていました。当たり前なのですが、やはり、しっかり手術!でした。。。

そして、手術室から出て長椅子に座り、会計やお薬を待っていると、急に悲しくなってきて、涙が出てきました。ポロ…ポロ…と、止まりません。お薬を持ってきてくれた薬剤師さんに「痛いんですか?」と聞かれ、首を横に振ると「怖かったですか?」と聞かれ、また首を横に振ると「お水、持ってきましょうか?」と気遣って下さいました。帰りの電車の中でも、家に帰ってからも、ポロ…ポロ…と涙が出て、ガーゼの内側が濡れて、鼻のあたりがかゆくなってしまいました。手術は無事済んだのに、なぜか悲しくなって涙が出たのです。

その日はぐっすり眠りたかったので、睡眠薬と痛み止めを飲んで早めに寝ました。

悲しい涙の訳は、後日分かったのですが…それはまた、次回に。。。

 

横浜相鉄ビル眼科医院 (横浜駅西口、神奈川県横浜市西区)

ー*執刀主治医:鄭(てい)先生*-

(注:鄭先生には、ブログ掲載の承諾を得ています)